2017年 01月 05日
直前3場所28勝で大関になった人々~昇進時成績はそこまで気にしなくてよい?~
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「直前3場所で33勝以上」、それが大関昇進の一応の基準だと言われています。もっとも、これは明文化されたものではなく、番付運によって左右される面も大きいそうです。1場所15日制が確立して以降では、大関昇進直前3場所の最小勝ち星は28勝なんだとか。それに該当するのは、以下の人々です。
・鏡里(最高位横綱 優勝4回) 昭和26年5月場所より大関
昭和25年5月場所 関脇9勝6敗、同9月場所 関脇8勝7敗、昭和26年1月場所 関脇11勝4敗 場所後に大関昇進
・若ノ花(のち、初代若乃花 最高位横綱 優勝10回) 昭和31年1月場所より大関
昭和30年3月場所 関脇10勝4敗1分、同5月場所 関脇8勝7敗、同9月場所 関脇10勝4敗1分 場所後に大関昇進
28勝といっても引き分けが2つありますから、実質29勝相当と称して良いかもしれません。事実、9月場所に横綱千代の山と引き分けたのが高く評価され昇進の決め手になったとされています。
・北葉山(最高位大関 優勝1回) 昭和36年7月場所より大関
昭和36年1月場所 関脇8勝7敗、同3月場所 関脇9勝6敗、同5月場所 関脇11勝4敗 場所後に大関昇進
・北の富士(最高位横綱 優勝10回) 昭和41年9月場所より大関
昭和41年3月場所 関脇8勝7敗、同5月場所 関脇10勝5敗、同7月場所 関脇10勝5敗 場所後に大関昇進
面白いのは、いずれのケースも本人が大関昇進を予測していなかったらしい事。通常、大関昇進が予測される場合は番付編成会議の日は部屋で待機するものだそうです。昇進を伝達する使者を出迎えるためにです。
ところが、鏡里はその当日、友人を見送るため東京駅へ出かけていたという証言があります。若ノ花もまた、子供を連れて温泉に出かけようとしているところを止められたそうで。北の富士に至っては、昇進が伝えられた際に昼寝をしており、伝達式の準備も何もなく慌てて足袋を横綱柏戸から借りる始末。柏戸は北の富士が当時所属していた出羽海部屋と異なる伊勢ノ海部屋所属でしたから、往復に30分かかったとか。その間、使者は待たされる羽目に陥ったそうです。Wikipediaのみで見かけた情報なので真偽は不明ですが、北葉山も北の富士同様、寝ているところに昇進を告げられたという話があるそうですね。情報源を御存じの方がおられましたら、御教示ください。
昔は今よりも大関昇進基準は甘かったらしいのですが、それでも28勝で大関というのはどのケースでも本人にとっても意外だったという事でしょうね。
もう一つ面白いのは、4人のうち3人が横綱になっている事。うち2人は優勝を二桁の大台に乗せた大横綱。残りの北葉山も、大関時代に優勝を記録し名大関と称して問題ない存在です。いずれも、地位を汚さず功成り名遂げたと言ってよいでしょう。ここから考えると、昇進時の星数が少な目でも、それ自体を別に煩く云々する必要はなさそうですね。
【参考文献】
小坂秀二『昭和の横綱』冬青社
石井代蔵『千代の富士一代』文春文庫
by trushbasket
| 2017-01-05 20:14
| NF








