2017年 01月 15日
続「リア充とは何か」 同様の観点から足利尊氏を見る~笑顔の向こう側に~
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たとえ世間的に恵まれた立場でも、本人の精神が「リア充」のそれでない事はある。その一例として、森鴎外について以前触れました。今回は、同様な観点から足利尊氏を見ようと思います。
いうまでもなく、足利尊氏といえば源氏の名門として生まれ、征夷大将軍として足利政権を樹立した人物です。政権の主となり、武士たちの長であった彼は、世間的にはリア充らしく見えるといってよいでしょう。
尊氏は、武家の棟梁に相応しく器量の大きな人物であったとされています。有名な話ですが、『梅松論』によれば当時の禅僧・無窓疎石が尊氏を賞賛し
御心強にして。合戦の間。身命を捨給ふべきに臨む御事。度々に及といへども。咲を含て怖畏の色なし。(『群書類従 第拾參輯』塙保己一編 経済雑誌社 195頁)
<現代語訳>
御心が強く、合戦の際、命を落しなさってもおかしくない状況に臨むことが幾度となくあったが、笑みを浮かべて恐れる様子がない。
と述べているそうです。この他『源威集』にも、合戦に臨む尊氏について「例の笑み」と書かれており、彼が戦場で微笑を浮かべているのは「いつものこと」、周知の事であったようです。
一方で、尊氏はこの世の生きづらさに苦しんだ人物でもありました。まあ、政権を樹立はしましたが、大変な目にもあっていますからね。庶子として育ったり、心ならずも天皇に背く事になったり、弟を攻め滅ぼす羽目になったりで。
そんな尊氏は、建武三年(1336)八月に清水寺への願文を収めています。後醍醐方との戦いに勝利し、京を制圧して政権樹立への目途が立った時期のことです。これも有名な文章ではありますが、以下に引用します。
この世は夢のごとくに候。尊氏にたう心たばせ給うひ候て、後世たすけさせをはしまし候べく候。猶〱とく、とんせいしたく候。たう心たばせ給候べく候。今生のくわほうにかへて、後世たすけさせ給候べく候。今生のくわほうをば直義にたばせ給候て直義あんをんにまもらせ給候べく候。(中村孝也編『書簡集録武家興亡観』興亡史論刊行会 115-116頁)
<現代語訳>
この世は夢のようにはかないものです。尊氏に仏道へ入る心をたまわり、来世をお助け下さいますようお願いいたします。一刻も早く、世を逃れ隠遁したいと思います。仏道へ入り悟りを求める心をたまわりますようお願いいたします。今生での幸せの代わりに、来世での救済をお願いいたします。今生での幸せは弟・直義にお与えくださって直義を安穏でいられるようお守りくださいませ。
元来なら得意満面でもおかしくない時期なんですけれど…。世間から逃れたいという願望を仏への祈りにおいて強く吐露していますね。
こうした苦悩を、尊氏が生涯抱え続けた可能性は高そうです。『風雅和歌集』に収載された、彼が晩年に詠んだ思しき歌に次のようなものがあります。
いそぢまで まよひきにける はかなさよ ただかりそめの 草のいほりに(清水克行『足利尊氏と関東』吉川弘文館 93頁)
<超意訳>
五十歳になる今まで、迷いながら生きてきた。儚いことだ。この世はただ仮の、草の庵のような空しいものだというのに。
歴史学者・清水克行氏は、尊氏について
みずからを明るく周囲に調和させようと努める一方で、内に虚無主義(ニヒリズム)を抱える(同書 45頁)
鷹揚で人当たりはいいものの、彼はつねに内面には深い虚無を抱えていた(同書 90頁)
と評し、「無頓着」「よくも悪くも「無私」の人」(同書 44頁)と総括しています。どうやら、足利尊氏も、「武家の棟梁」という人も羨む身の上にありながら、「リア充」とは呼び難い精神を有した人物であったようですね。
そうした話から思い出されるのが、森鴎外です。というのは、彼も自らがモデルと思しき人物を「晴々とした顔」(森鴎外『あそび』より)の人物だと強調して描いていたからです。そして、事実、子供たちから「常に微笑を浮かべていた存在」として回想されているからです。三男・森類は「父は怒るという感情を忘れて生まれてきたような人だった」(森類『鷗外の子供たち』ちくま文庫 16頁)、「見あげるとこわい顔をしている時もあったが、たいがいは晴ればれとした表情をしていた」(同書 28頁)と述べていますし、次女・小堀杏奴も「楽しいね、いつものそういった微笑」(小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫 19頁)、「いつもの微笑」(25頁)と鴎外が基本的に微笑を浮かべていた事を証言しています。上述した尊氏の「例の笑み」に通じるものがありそうですね。
そんな鴎外が、栄光に包まれた経歴にもかかわらず、生涯にわたり生きづらさを抱えていたらしい事は以前に述べた通り。
そういえば、鴎外の戯曲『仮面』にこんな一説があるそうです。
意志を強くし、貴族的に高尚に、寂しい高い処に身を置かうといふ高尚な人物は尊敬すべき仮面を被つてゐる(森於菟『父親としての森鷗外』ちくま文庫 316頁)
鴎外も尊氏も、心の奥深くに抱える生きづらさや孤独感を隠すかのように、「笑顔」という仮面をかぶっていたのかもしれません。尊氏が何かといえば出家や自害を口に出すような一面をも有していたのも有名ですし、鴎外も上記引用によれば時に怖い顔を覗かせたりしていますしね。
恐らくは生い立ちや性格といった理由から世間への生きづらさを抱えていたにもかかわらず、立場上家長として世間の前面に立たざるを得なかった。そして時に動揺を示しながらも、ともかくもその立場に踏みとどまって奮闘した。尊氏と鴎外は、そういった意味で共通点を有しているのではありますまいか。そういえば、「周囲の動向に翻弄され傷つけられ、また自身も知らぬうちに周囲を傷つけてしまうという型の人物」(清水克行『足利尊氏と関東』吉川弘文館 90頁)という尊氏評は、鴎外にも当てはまりそうに思えます。更に言えば、尊氏の「生死に対する執着が希薄」(同書 44頁)という点も、鴎外が「死を怖れもせず、死にあこがれもせず」(森鴎外『妄想』より)と述べているのを連想させるものがあります。…僕は、どうやらそういった人物に惹かれる傾向があるのかもしれません。
なお余談ながら、二人とも母方の影響力が強い点も共通しています。尊氏は足利家当主としては珍しく母が北条氏の出ではなく、それが鎌倉政権からの離反という決断に大きく影響を与えたとされています。後醍醐方に寝返る際の交渉には、母方上杉氏の人間が当たっています。また、尊氏が生涯心の支えとした地蔵信仰は、母由来とも推定されているそうです。一方、鴎外の両親は母の家に父が養子に入る形となっており、そのせいか鴎外の教育や家庭形成にも母の発言力が強かったのは有名です。
【参考文献】
『群書類従 第拾參輯』塙保己一編 経済雑誌社
中村孝也編『書簡集録武家興亡観』興亡史論刊行会
清水克行『足利尊氏と関東』吉川弘文館
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
森類『鷗外の子供たち』ちくま文庫
小堀杏奴著『晩年の父』岩波文庫
森於菟『父親としての森鷗外』ちくま文庫
関連記事:
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
関連サイト:
「畑に家を建てるまで」(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/index.htm)より
一読していただければ明らかだと思いますが、ここの鴎外評から、先週・今回の記事は触発されたと申し上げて差し支えありません。
※2017/1/18 引用元に関する表記を少し追加、改行を追加
※2017/11/06 誤りを修正。
by trushbasket
| 2017-01-15 16:25
| NF








