2017年 01月 21日
歌舞伎世界を「梨園」と呼ぶいわれとは?~意外な、文人中国趣味の名残~
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芸能界において、歌舞伎役者の方々は今でも少なからぬ影響力があるようですね。さて、その歌舞伎役者の世界、人によっては「梨園」と呼ぶことは、皆さま御存じかと思います。その由来について、今回は少し述べたいと思います。
『旧唐書』音楽志や『新唐書』礼楽志の記述によれば、おおよそは以下に述べる通りだそうです。唐の全盛期、玄宗皇帝は音楽に長じていました。そこで、宮廷の楽人から子弟300人を選抜し自ら教えたのだそうです。その栄えある弟子として、太常寺太楽署に所属する男子楽人や妓女の司である教坊から、見込みのある者が選ばれたのだとか。自ら教えるだけあって玄宗の音感は確かで、一声間違えただけでも聞き逃すことなく必ず訂正したといわれています。いわゆる絶対音感というものだったのでしょうか?
この、皇帝が教えを与える教楽府は、宮廷北西郊にある梨を植えた庭園に設置されました。そのため、彼らは「梨園の弟子」と呼ばれたのです。
この、皇帝が教えを与える教楽府は、宮廷北西郊にある梨を植えた庭園に設置されました。そのため、彼らは「梨園の弟子」と呼ばれたのです。
しかし御存じの通り、玄宗の栄光は長くは続きませんでした。やがて安史の乱によって唐は混乱に陥り、以後は衰運に入ります。そうなると、やがて「梨園」は玄宗の栄華のはかなさを象徴する言葉となったようで、例えば白居易は『長恨歌』で「梨園弟子白髪新」とうたっています。なお、白居易はやはり玄宗時代の繁栄をしのぶ『梨園弟子』という詩も残しています。
やがて、後の世になると玄宗は演劇の始祖神としてまつられるようになっていきます。そして「梨園」という言葉も、明・清時代には演劇界全体を意味するようになっていきました。
我が国でも、徳川時代に文人たちがそれを真似たようです。彼らは中国趣味から、演劇界、中でも歌舞伎の世界を「梨園」と呼ぶようになりました。これが、現在にも残っているのです。徳川期の文人が中国趣味で日本の地名などに独自の呼称を用いたのは以前にも紹介した通りですが、「梨園」という呼称もそれと同様な経緯の産物と言えるのです。徳川期の文人趣味が日本文化に残した影響は、意外に侮れないようです。
【参考文献】
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
近藤春雄『長恨歌・琵琶行の研究』明治書院
東郷吉男『四字熟語辞典』東京堂出版
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
近藤春雄『長恨歌・琵琶行の研究』明治書院
東郷吉男『四字熟語辞典』東京堂出版
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関連サイト:
「詩詞世界」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「長恨歌 白居易」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r25.htm)
「白居易 梨園弟子」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs29.htm)
「詩詞世界」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「長恨歌 白居易」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r25.htm)
「白居易 梨園弟子」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs29.htm)
by trushbasket
| 2017-01-21 13:17
| NF








