2017年 02月 05日
『童貞の世界史』落選者列伝 郷誠之助~会社再建の神様、生涯独身は若き日の悲恋ゆえ?~
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どうも、松原左京です。今回の『童貞の世界史』落選者列伝は、近代日本経済界に大きな存在感を示した実業家・郷誠之助(1865-1942)を扱います。
郷誠之助は、男爵家の子として岐阜県に生まれました。東京帝国大学を経てドイツへ留学。帰国後は、一時期農商務省に勤務しています。
転機となったのは1895年。この年、経営困難となっていた日本運輸の社長に迎えられます。更に1900年には同様な危機にある入山採炭の社長にもなります。そして何と、どちらの経営再建にも成功したそうです。これによって経済界から一目置かれるようになります。1911年には東京株式取引所理事長・貴族院議員に就任。財界の大立者となります。以後も東京株式取引所理事長・日本商工会議所会頭・日本経済連盟会会長を歴任したといいますから、いかに重きを置かれたかわかるかと思います。実際、日本郵船と東洋汽船の合併をあっせんしたり、十五銀行・川崎造船所などを整理したりといった業績があるそうです。日本近代経済史に大きな足跡を残した傑物と称して問題ないでしょう。
さて、この誠之助は生涯独身を貫きました。その背景には、若い頃の恋愛があるという見方もあります。青年時代、中村のぶ子という女性と相思の仲となります。二人は結婚も考えましたが、彼女の実家が強硬に反対、引き裂かれたのぶ子は悲嘆のあまり自殺を遂げてしまったのです。これが誠之助の精神に大きな傷となったのは間違いないでしょう。
彼の独身が、この悲恋に影響されたものかどうかは、不明です。もっとも、いずれにせよ、誠之助が操を通し生涯童貞であったわけでないのは確かです。むしろ、女遊びが盛んな人物として知られたようです。
若い頃、放蕩に溺れ「数多の美しい歌妓に囲繞せられながら」「柳暗花明の色街に流連し、大杯を傾け、色を流して」(実業之日本社編輯局編『財界巨頭伝 立志奮闘』実業之日本社 17頁)という有様で、父親から勘当された時期もあったといいます。外遊中も失恋を忘れようとするかのような放蕩振りは変わらなかったようですし、7人の妾を持っていたという話も出てきました。
という訳でこの郷誠之助、妻帯こそしなかったようですが、艶福家ではあったようです。残念ながら『童貞の世界史』という観点からは大いに外れる存在ですが、せっかく調査過程で浮かび上がった偉人です。一般に知られているとは言い難いようですし、諺にも「袖触れ合うも他生の縁」とやら申しますのでここで御紹介することとしました。
参考文献:
『日本人名大辞典』講談社
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
郷男爵記念会編『男爵郷誠之助君伝』大空社
実業之日本社編輯局編『財界巨頭伝 立志奮闘』実業之日本社
『20世紀日本の経済人』日本経済新聞社
邑井操『「大将」の器 部下の心をいかにつかむか』PHP文庫
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※2017/2/8 誤字を修正しました。
by trushbasket
| 2017-02-05 12:06
| 松原左京









