2017年 03月 08日
人生とは、歴史とは~極限まで意味を縮めると…~
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人生とは、そして歴史とは一言でいえば何なのでしょう。
仏教学者・ひろさちや氏によれば、サマセット・モーム『人間の絆』にこんな話があるそうです。ある国の王が、賢者に命じて人類社会の歴史をまとめさせました。ところが、ある時は多忙故に、そして二十年後は気力の衰えのために王は歴史書を読むことができません。そこで、賢者にその都度短く編纂させたのです。それから二十年後、臨終の床についた王に賢者が耳元で囁いた言葉が以下のものでした。
人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ(ひろさちや『「狂い」のすすめ』集英社新書 65頁)
これこそ、人類の歴史を極限まで短くまとめたものだったのです。
閑話休題。文豪・森鴎外は晩年、徳川期の学者たち等を対象とした伝記作品を執筆しています。代表的なものが『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』です。いずれも大部の著作で、表題となっている当人だけでなくその子孫や周辺の人々についても書き継いでいます。それだけに、鴎外の端正で無駄のない文体に惹かれて読み進めはするものの、全ての内容を頭に収めるのは至難の業です。
それでも、読んでいて感じるのは上述の
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ」
ということ。更にこれら伝記からは、
「それでも人は世代を継いで、世を紡いでいく」
という点も読み取ることができます。ところで、上記作品群では「家」という形で世代が引き継がれていますが、「家」観念が当時と比べ希薄になった現代人としては、必ずしも家や血のつながりに拘らないという意見も多いかとは思います。もっともまあ、実際問題として、徳川期でも血を分けた人間が家や志を継ぐとは限っていませんでしたけれどね。例えば北条霞亭の家は、霞亭急死の後は血の繋がらない養子が継承しています。
「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ」
そうまとめてしまうと、夢も希望もないように思えます。ただし、逆に考えると、「どのような人生を送ろうと、結局はそのような形に収束する」という事は、「自分のできる範囲で力を尽くしさえすれば、他人と比較して引け目や劣等感を感じる必要もない」という事です。そして、次世代も我々の事績を何らかの形で引き継いで生きていくという事を希望として抱く事も不可能ではなさそうです。鴎外が残した各種伝記からは、そんなことも読み取れそうです。
【参考文献】
ひろさちや『「狂い」のすすめ』集英社新書
森鴎外『北条霞亭』春陽堂
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
by trushbasket
| 2017-03-08 19:15
| NF








