2017年 04月 01日
無名の人が、「名を竹帛に垂る」ための条件~後世に何かを残す、尽くす、あとは運~
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『後漢書』鄧禹伝に「名を竹帛に垂る」という言葉が記されています。これは、「功績をあげて歴史に名を残したい」という望みを表したものです。事実、この発言をした鄧禹は後漢光武帝の側近として大功を挙げ、望み通り名声を後世に残したのです。それにしても、この言葉が慣用句として残っている事実は、「歴史に自らの名を残す」という事を夢見たことがある人が、少なからずいることを意味しているように思います。
しかし、実際問題として、名を残すという事は言うまでもなく非常に困難。過去を振り返っても、リアルタイムにおいては名声を勝ち得たはずの人物ですら、我々の時代にまで名を知られているのはごくわずかです。ましてや、我々の大半は「その他大勢」に過ぎないままに年齢を経てしまった存在でしかありません。しかし、そんな我等でも、「歴史に名を残す」希望が全くない訳ではないようです。そこで、今回は、それに関した話をしてみようかと思います。
・生前は無名だが、大成した弟子によって顕彰されたケース
宋時代の中国には、儒教解釈の新説を唱える者は多数存在しました。周敦頤はリアルタイムにおいてはその中の一人にすぎませんでしたが、その系譜をひく朱熹が大きな影響力を有したが故に顕彰されるに至ったそうです。
次は我が国の事例。足利時代中期の歌人・東常縁は、当時多かった武家歌人の一人ではありました。しかし、生前の影響力は必ずしも強くなかったという話もあります。しかし、高名な連歌師・宗祇を弟子とし、『古今集』の講義を伝えた事が後々に意味を持ってきました。宗祇は、連歌のみならず和歌においても名声を求め、己の師であった常縁を定家以来の正統な口伝を伝えた存在だと喧伝。宗祇の弟子であった三條西実隆がこれを信じたため、後世において常縁の名が残ったそうです。
宋時代の中国には、儒教解釈の新説を唱える者は多数存在しました。周敦頤はリアルタイムにおいてはその中の一人にすぎませんでしたが、その系譜をひく朱熹が大きな影響力を有したが故に顕彰されるに至ったそうです。
次は我が国の事例。足利時代中期の歌人・東常縁は、当時多かった武家歌人の一人ではありました。しかし、生前の影響力は必ずしも強くなかったという話もあります。しかし、高名な連歌師・宗祇を弟子とし、『古今集』の講義を伝えた事が後々に意味を持ってきました。宗祇は、連歌のみならず和歌においても名声を求め、己の師であった常縁を定家以来の正統な口伝を伝えた存在だと喧伝。宗祇の弟子であった三條西実隆がこれを信じたため、後世において常縁の名が残ったそうです。
・一般世間から「ドロップアウト」した結果、かえって名を残す結果に
近代日本における事例です。自由律俳句の大家・荻原井泉水が、一高時代の同窓と語り合った際。以下のような話題が出たのだそうです。
近代日本における事例です。自由律俳句の大家・荻原井泉水が、一高時代の同窓と語り合った際。以下のような話題が出たのだそうです。
ぼくらの同級の中で、大臣になったのも五六人はいるが、今日、世間ではもう名を忘れている。
今を時めく人たちもまだ数名はいるけれども、もう十年経つとそういう人の名も忘れられてしまうのではないか
そうだな、だが、あと十年経っても忘れられない名もあるよ。それは藤村(操)だ。あいつの名は、華厳の滝のあるかぎり忘れられないさ
それからもう一人いるよ。それは放哉だよ。
(いずれも荻原井泉水『放哉という男』大法輪閣 6頁より)
在学中に厭世自殺した藤村操、酒に溺れエリート会社員の地位を失った尾崎放哉。いずれも、世間一般の価値観からすれば「負け組」呼ばわりされて不思議ではない存在です。しかし、「勝ち組」であるはずの人々が忘れ去られた一方、彼ら二人の名は後世まで語り継がれる結果に。井泉水は、彼らが「肉体的と精神的との相違はあるが」(同書 12頁)、「「放」というものを決行した」(同書 13頁)、すなわち自我を捨て去った様が人々の心に残ったからではないかと述べています。見解の当否はともかく、興味深い意見です。あと見過ごせない共通点といえば、藤村にせよ放哉にせよ、遺書や俳句という形で、自らの魂の叫びを世に残しているという事が挙げられそうです。
・残していた日記が、後世にとって有用な史料に
徳川前期の尾張藩士・朝日文左衛門は、生涯にわたり日記『鸚鵡籠中記』を残しました。彼自身は平凡な一般武士に過ぎませんでしたが、大変な筆まめで好奇心も強く、様々な事を長年にわたり日記に書き記しています。当時の社会情勢・風俗・風聞を詳細に記したこの日記は当時を知る上で貴重な史料であり、これによって文左衛門は後世に名を残したと言ってよいでしょう。
徳川前期の尾張藩士・朝日文左衛門は、生涯にわたり日記『鸚鵡籠中記』を残しました。彼自身は平凡な一般武士に過ぎませんでしたが、大変な筆まめで好奇心も強く、様々な事を長年にわたり日記に書き記しています。当時の社会情勢・風俗・風聞を詳細に記したこの日記は当時を知る上で貴重な史料であり、これによって文左衛門は後世に名を残したと言ってよいでしょう。
本当に、何がきっかけで名が残るかは分からないものです。それでも、あえて上で述べた事例の共通点らしきものを探ってみると、
何でもよいから、後の世を意識して物を残す。自らの魂を刻み込んだものを、この世界に残す。考え方を表明した作品でも、日々の記録でも、仕事の業績でも良い。または次世代のために人を育てる。
といったところかもしれません。
残したものが、後世に研究価値を見出され評価されるかもしれず、目を掛けた次世代が大成しその余慶を被って顕彰されるかもしれない。そんな人生を送ったならば、無名に甘んじる日々であっても、「後世に名が残る」事に関する可能性は皆無ではなさそうです。針の穴を通すような、非常に小さな確率には違いないでしょうけど。
一見すると、世間的な成功を収めるのが名を残す上では近道に思えます。しかし、これとて井泉水らが述べたように、後の時代にまでそれを残すのは至難の業。「歴史に名を残す」というレベルで見た場合には、無名に甘んじた一般人と社会的成功を収めた人々との間にある差は、小さくはないにせよ一般に思われているほどではないのかもしれません。
余計な事を考えず、日々の業にいそしみ、次世代以降をも視野に入れて懸命に生きる。それが(極めて細くはあるけれど)意外な近道なのかも、とも思います。無論、それとても、ごくわずかな可能性でしかないでしょう。そもそも、「名を残す」事を意識する事自体にいやらしさを感じる向きもあるでしょうし、その感覚も尤もだと思います。でもまあ、それでも、「死後にひょっとしたら…」と淡い期待を抱くこと位は、誰であっても許されるのではないか、とも思うのです。いずれにせよ、本当に歴史に名が残るかどうかは知りようがありませんが、悔いのない人生にはしたいものですね。
【参考文献】
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』角川叢書
荻原井泉水『放哉という男』大法輪閣
神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』中公新書
『大辞泉』小学館
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』角川叢書
荻原井泉水『放哉という男』大法輪閣
神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』中公新書
『大辞泉』小学館
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「<読書案内>神坂次郎『元禄御畳奉行の日記 尾張藩士の見た浮世』 」
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関連サイト:
「Books&Apps」(http://blog.tinect.jp/)より
「「承認欲求の強い人」は認められず、逆に「承認欲求のない人」ほど評価されるという皮肉。」
(http://blog.tinect.jp/?p=37211)
「Books&Apps」(http://blog.tinect.jp/)より
「「承認欲求の強い人」は認められず、逆に「承認欲求のない人」ほど評価されるという皮肉。」
(http://blog.tinect.jp/?p=37211)
※2017/4/30 説明不足の部分があり、補足しました。
※2017/7/18 誤字等を修正。
by trushbasket
| 2017-04-01 14:39
| NF








