2017年 04月 05日
愛情に関するあれこれ~相手が人でも故郷でも、色々悩ましい~
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どうも、松原左京です。『童貞の世界史』で取り上げた童貞偉人たちは、愛情に恵まれたかに関しては人それぞれ様々だったようです。アンデルセンやヘディンなどのように想い人から愛を得られなかった人もいれば、ウィリアム・ウォーカーのように相思の人を失ったケースもありました。そのように苦しんだ人もいた一方で、家族・友人からの愛情で十分に満たされていた人や、思う所あって愛を遠ざけ超然としていた人などもいました。また、人ではなく己の事業や祖国に愛情を捧げた人もありました。そこで、今回は「愛情」に関連して徒然のままに語ってみようかと思います。
相手から愛情を勝ち取るには、どうすればよいのか。ままならぬ、難しい問題なのは古今東西を問わないようです。これは、童貞だろうがそうでなかろうが、変わるところはないようで。
プロイセン国王フリードリヒ2世は『童貞の世界史』でも取り上げた人物ですが、その父親はフリードリヒ・ヴィルヘルム1世と呼ばれます。さて、このフリードリヒ・ヴィルヘルム1世、自らを恐れる領民に対し「お前たちは私を好きになるんだ」(飯塚信雄『フリードリヒ大王』中公新書 33頁)と杖で殴りつけながら叱咤したと伝えられます。しかし、そのようにしたところで、愛情を向けてほしい相手に効果があるかといえば、普通に考えて難しいと言わざるを得ないでしょう。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、軍事改革・財政整備など内政を整えた賢君ではありましたが、これに関してはいただけません。無理矢理に愛させようと強制しても内心の反発を招くだけでしょう。結局、愛情を獲得するには、相手にとって好ましく魅力的な存在になる他はないのでしょうが、これがまた難しいのもまた事実。
これは人間を愛させようという時だけではありません。団体や郷里・国家などを対象に愛情を抱かせたい時も十分に当てはまるように思います。
そうそう。郷里・祖国への愛情という事で思い出しましたが、過去記事を見ているとこんな話が出てきました。窮した時に必死で守り抜くものこそ、その国の人々の文化であると内藤湖南は述べているそうです。自国由来のものだろうと、他国由来のものだろうと、それは関係ないのだそうです。侘茶の祖・珠光は「和漢のさかひをまぎらかす」という言葉を残していますが、これも「他国由来だろうが自国由来だろうが良いものは良い」という考えが背景にあるという説があるのだとか。器の大きな考え方ですね。
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私個人に関して申すならば、自然に相手を惹きつける存在であるよう努めたいと思いますし、また、どうせなら、湖南や珠光が述べたような度量の広い愛の持ち主でありたいものだと思います。
思いつくままに話をしたので、あるいはまとまりのない文章になってしまったかもしれませんが、御容赦のほどを。
参考文献:
『日本大百科全書』小学館
飯塚信雄『フリードリヒ大王』中公新書
多田道太郎『身辺の日本文化』講談社学術文庫
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「内藤湖南 日本國民の文化的素質」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000284/files/3618_21531.html)
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by trushbasket
| 2017-04-05 19:24
| 松原左京









