2017年 06月 03日
『童貞の世界史』落選者列伝 植田謙吉~生涯独身の陸軍大将、人呼んで「童貞将軍」~
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どうも、松原左京です。今回の「落選者列伝」は、近代日本の軍人・植田謙吉(1875-1962)を扱います。
植田謙吉は、大阪府の出身。狭山藩(北条氏)家臣の家系だったそうです。父親は陸軍の軍吏で、兄も軍人でした。謙吉は当初、資本家の道を選ぶべく進学しましたが、中途で士官学校に改めて入学。陸軍軍人としては順調に昇進したようで、参謀次長・朝鮮軍司令官などを歴任。一時は陸軍大臣後継に擬せられたこともあるそうです。
昭和七年(1932)には上海事変に出動、同年に爆弾テロにあい片足を失っています。昭和九年(1934)に陸軍大将となり、更に二年後には関東軍司令官となりました。しかし、昭和十四年(1939)にはノモンハン事件の責任を取る形で予備役入りとなっています。
読書家で温厚な為人のためか人望もあり、閑院宮からの信頼も篤かったといわれています。一方、彼が大人しいのをいいことに部下が良いように動くのを抑えられなかったという批判もあるようです。
植田は生涯独身を通し、世間から「童貞将軍」とあだ名されました。独身の理由は「戦場の露と消える軍人に妻子は、足手まとひだ」(菅原節雄『陸軍の巨頭を語る 粛軍に立つ人々』今日の問題社 23頁)というものだったそうですが、他人にこれを強いる事はなかったそうです。なお、「女性を知らないわけではない」(同書 24頁)とも述べているそうですので、厳密な意味で生涯童貞だったかは疑問の余地もありそうです。士官学校時代に恋愛経験があるという噂もありますが、真偽は不明のようです。そうした事情と、「偉人」と称して良いレベルか判断に迷いましたので、採用は見送りとなりました。
参考文献:
菅原節雄『陸軍の巨頭を語る 粛軍に立つ人々』今日の問題社
額田坦『陸軍省人事局長の回想』芙蓉書房
亀井宏『昭和の天皇と東條英機』光人社
秦郁彦『現代史の争点』文春文庫
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
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by trushbasket
| 2017-06-03 12:38
| 松原左京









