どうも、松原左京です。「生涯童貞」に対する風当たりは、昔に比べるとかなりましになったと言われています。それでも、まだいろいろ言われる事はあるようですね。
その中の一つとして、「人間も動物である以上、子孫を残そうとするのは当然。それをしないのは、生物失格ではないか」という意見を目にしたことがあります。まあ、次世代の事を考えると、そう言いたくなる気持ちは分からなくもありません。
しかし面白いもので、同様に「人間も動物の一種」という視点から、正反対の結論を導き出す論者もいるようです。この間、ふとした折に目にした本に、こんな一節がありました。
人間も、偉そうにいったところで、動物です。
動物は生まれてきて死ねば、どのような生涯であっても、それで十分、合格なのです。子孫を残せずに死ぬ動物だって、本当にたくさんいます。だからといって、その動物の生涯が不合格だなんて、この世の誰にもいえません。だから、生き物は、生まれてきて死ねば、それで合格でいいのです。
(いずれも中越裕史『好きなことが天職になる心理学』PHP研究所 電子書籍版)
曰く、だからこそ、童貞かどうかを含め、自分と他者を比較して優劣をつける事に意味はないのだとか。なかなかに、胸に響く言葉だと思います。
人の才や器は、人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
という結論が、「人間も動物の一種」という観点からも導き出し得るというのは興味深い話です。実際、上記の本でも「童貞でも処女でもいい」という一節もあります。
そういえば、少し前にこんな記事があったのも思い出されます。
関連記事:
人生とは、歴史とは~極限まで意味を縮めると…~
人類の歴史をとことん煎じ詰めると、「人は、生まれ、苦しみ、そして死ぬ」という一文になるという話でした。動物の一種という観点からも、歴史を通覧した視点からも、似たような結論が出てくるのは偶然ではなさそうですね。
法に触れたり人の道を外れたりしていない限り、周囲の声を気にしても仕方ない
という考えがやはり導き出されるように思います。その上で、世間からの干渉に心を惑わされず、己が本当に欲するものが何かを自問し答えを出す。それが肝要なのでしょう。生涯童貞であるにせよ、そうでないにせよ、顧みて悔いのない一生であるようにしたいものです。
参考文献:
中越裕史『好きなことが天職になる心理学』PHP研究所
関連記事: