2017年 07月 08日
楠木正成の旗印について~「非理法権天」と正成が結びついたのは?~
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以前、北畠顕家や新田義貞の軍旗について話題にしました。今回は、楠木正成について。正成を祀った湊川神社には、二種類の旗が残されているようです。一つは、楠木氏の家紋である菊水が描かれた下に「非理法権天」と書かれているもの。割に有名ではないかと思います。もう一種類、「蟠龍起萬天」という言葉の下に竜の絵が描かれ、右に「元弘辛未歳二月 日」、左に「橘正成」とあるものもあります。これらの旗につきましては、『ピクトリアル足利尊氏 鎌倉幕府の滅亡』(学研)の83頁に写真が掲載されていますので興味のある方は当該書籍を見つけた際には参照されると良いかと存じます。
さて、有名な「非理法権天」について。実のところ、そもそもどう読むか、どういう意味かも諸説があって正しいところは明らかでないんだそうです。ただ、徳川期の有職故実家・伊勢貞丈が家訓として残した「非は理に勝つ事ならず、理は法に勝つ事ならず、法は権に勝つ事ならず、権は天に勝つ事ならず」(土橋真吉著『楠公精神の研究』大日本皇道奉賛会 807頁)が最も妥当だろうと考えられているようです。
無茶は道理に勝てないが、道理は法の定めに勝てず、法も時の権力に勝てない。そして権力も天命には勝てない。人の力は、結局天に及ばない。そういう意味とされています。
ところが、この言葉を正成が実際に旗印にしたかといえば、大いに怪しいらしいです。第二次大戦中に正成に関する研究書を著した土橋真吉氏は、以下のように述べています。
楠公時代に実際に「非理法権天」の旗文を公が使用したか否かは疑問である。現存する多数の遺物を検討すると、確に当時の物に相違ないと史的に明証断定して可い物が一つもない。恐らく江戸中期の元禄から享保時代に、楠公に仮托して偽造した物であらうと想定されるのである。(同書 806頁)
信頼できる文書で「非理法権天」と正成を結び付けた例としては、土橋氏によれば井原西鶴『本朝町人鑑』が初見だとか。一方、上記の伊勢貞丈は熱心な正成信奉者だったにもかかわらず「非理法権天」と正成を絡めて語った事はないそうです。
それゆえ、正成が「非理法権天」を旗印にしたというのは元禄ごろに生まれた伝承ではないかというのです。それにしても、第二次大戦真っただ中の昭和十八年(1943)に正成顕彰の目的で出された本ではありますが、少なくともこの点に関しては実に冷静な分析ですね。正直、意外でした。
なお、もう一つの旗にある「蟠龍起萬天」というのは、蜷局を巻いていた竜が大空に昇り世界に姿を現す、といった意味のようです。こちらの旗については、あまり言及されているものを見かけませんでした。とはいえ、湊川神社初代宮司・折田年秀はこの句を明治九年(1876)七月十日に揮毫したと日記に記していますから、この五文字も尊重はされていたものでしょうね。
【参考文献】
『ピクトリアル足利尊氏 鎌倉幕府の滅亡』学研
土橋真吉著『楠公精神の研究』大日本皇道奉賛会
『日本人名大辞典』講談社
『大辞林』三省堂
『折田年秀日記 第一巻』八木書店
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by trushbasket
| 2017-07-08 12:26
| NF








