九月に入り、少しずつ涼しくなってきましたね。秋が確実にやってきている印象です。もう、肝試しといった季節ではなくなりつつあるのでしょうね。
今回は、怪奇に出会いながらも、ひょんな理由から恐怖体験を回避できた(?)人々の話をしようかと思います。なお、今回の引用部分はいずれも森鴎外『伊沢蘭軒』からです。
伊沢蘭軒は、徳川後期の儒者であり医学者です。福山藩に仕え、渋江抽斎や森枳園といった学者たちを育てています。書物をよく蒐集し書誌学にも長じていたそうです。そんな偉い医者であった蘭軒に、こんな逸話が残されているのです。
蘭軒が往診の帰り、供を連れて夜道を歩いていた時の事。笠をかぶった童子が走ってきて蘭軒と並んで歩き出しました。やがて蘭軒は
「小父さん。こはくはないかい。」(森鴎外『伊沢蘭軒』より)
と童子に問われましたが蘭軒は無視。童子はもう一度同じ言葉を繰り返しますが、やはり蘭軒は反応しませんでした。一方、お供していた若党はその声に振り返り、悲鳴をあげました。曰く、
「今お側にゐた小僧は額の正中(まんなか)に大い目が一つしかありませんでした。ああ、気味が悪い。まだそこらにゐはしませんか。」(同書)
とのこと。それを一顧だにしない蘭軒に対し、若党は
「いゝえ、河童が化けて出たのです。あの閻魔堂の前の川には河童がゐます。」(同書)
と答えます。蘭軒はやはり一笑に付し、供を促して帰宅しました。その時、供の者が見回すと童子もなにもいなくなっていました。鴎外によれば、「河童が一つ目小僧に化けて出て蘭軒に戯れたが、伊沢氏には近視の遺伝があつて、蘭軒は童子の面(おもて)を見ることを得なかつた。」(同書)という解釈が世間ではされていたとのことです。だとすれば、近眼のおかげで恐怖体験を免れたと解釈できなくもありません。もっとも、話の内容からすれば視力が良好で一つ目小僧の顔を直視していたとしても、蘭軒は動じなさそうですが。
さて、蘭軒の近眼はどうやら遺伝性のものだったようです。そのためか、蘭軒の次男・柏軒にも似たような話があるのです。
柏軒がある晩、知人の家から帰るべく歩いていた時のこと。化け物が出るという噂の辺りで、一人の男が道ずれになりました。やがて、男は
「檀那。今夜はなんだか薄気味の悪い晩ぢやあありませんか。」(同書)
と声を掛けます。なお、柏軒の反応はこうでした。
柏軒は「何故」と云つて其男を顧みて、又徐(しづか)に歩を移した。(同書)
男はしばらくすると姿を消しました。翌日も同様な出来事がありましたが、柏軒の反応もまた同様なものでした。三日目の晩以降は、もう男は出てこなくなったそうです。なんでも、「是は来掛かる人に彼問を試みて、怖るべき面貌を見せたのであるが、柏軒は近視で其面貌を見なかつた。男は獺(かはをそ)の怪であつたと云ふのである。」(同書)という事だそうです。
柏軒も近眼ゆえに、化け物の顔を見てもそれと分からなかった。そういう事になりますね。まあ、剛毅な性格だったそうなので、直視しても平気かもしれませんけど。
この父子に残された、怪奇な逸話。どこまでが本当なのか。基となる事実があったとして、実際には何がおこったのか。それは、今となっては想像するほかないかもしれません。供の者が闇夜の恐怖によって何かを見間違えたのかも。実際、鴎外は、
要するに一つ目小僧物語の評は当時の蘭軒の言(こと)に尽きてゐる。「お前が見損つたのだ。」(同書)
と述べて見間違い説を唱えています。
あるいは、「彼らの行動範囲に怪奇スポットがあった」「彼らが共に近眼であった」「二人とも肝が据わった為人であった」といった事実が組み合わさって、こうした伝承がいつの間にかできた可能性もありそうですね。
それにしても、これらの話、通常は不利に働く事が多い「近眼」のおかげで、恐怖体験回避という事になるんでしょうか。世の中、何が幸いするか分かりませんね。もっとも、この父子の場合、仮に怪物を直視していたとしても別に何とも思わなさそうな気がしなくもないので、「近眼が幸いした」かどうかは微妙なところですけどね。
【参考文献】
「青空文庫」(
http://www.aozora.gr.jp/)より
『日本大百科全書』小学館
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