今回の読書案内で取り上げるのは、pha『ニートの歩き方』(技術評論社)。著者pha氏はかつて「日本一有名なニート」と称された事もあるそうで(※1)。御存じの方も多いかと思いますが、一応。pha氏は京大総合人間学部のOBです。在学中に過ごした学生寮(熊野寮だそうです)での生活を原点に、パソコンやネットが好きな人が共同生活するシェアハウス「ギークハウス」を立ち上げました。定職に縛られる生き方が合わなかった経験から、自由を重んじる生き方を軸としてプログラミング等でインターネット社会を利用しながら生計を立てているとのことです。社会的に「普通」とされる色々な事になじめない経験を多々されたのもあって、自身に居心地の良い生き方を模索されているようです。
僕個人としては、pha氏のような生き方に対しては「ちょっといいなと思うけど、僕には真似できそうもないな」といった感慨を抱きます。色々な「普通」になじめず居心地悪さを感じる、というのは僕もよく理解できるので憧れはあるのですが。森鴎外が『北条霞亭』冒頭近くで
わたくしは嘗て少うして大学を出でた比、此(かく)の如き夢の胸裡に往来したことがある。しかしわたくしは其事の理想として懐くべくして、行実に現すべからざるを謂(おも)つて、これを致す道を講ずるにだに及ばずして罷んだ。(森鴎外『北条霞亭』春陽堂文庫 3頁)
と述べた一説は、僕の心情にもよくあてはまる所。
そのため、僕がpha氏に抱いた関心は、鴎外の言い方を更に真似ると、こうなります(※2)。
彼phaは何者ぞ。敢てこれを為した。phaは奈何(いか)にしてこれを能くしたのであらうか。(同書 同頁を一部いじってます)
本書は、この問いに少なからず答えてくれます。もっとも、pha氏は本書だけでなく自身のブログやネット上の連載記事でもその辺りについて結構雄弁に語ってくれている印象ですが。
さて。僕が拝見した限り、本書の最大の意義は
社会のルールにうまく適応できなくてしんどい思いをしている人が、いろんな生き方があると知ることで少しでも楽になればいいな(pha『ニートの歩き方』技術評論社より)
という根底のコンセプトだと感じます。「このように生きねばならない」という有形無形の圧力や期待によって、生きているのもつらくなる経験をした人は少なくないのでは。そんな時、「実際は、それ以外の道もあるのだよ」とそっと告げてくれるような一冊と言えます。
ただし、彼の生き方がそのまま参考になるかは疑問です。おそらく、多くの人は彼の生き様をそのまま真似る事はできないでしょう。これは、彼の才覚や行動力があって初めてなしうる事ですから。それに、これはこれで大変そうだと感じました。もっとも、それについては既に方々で指摘されていますし、pha氏自身もそれは認めた上で
他の人がみんな僕と同じように生きられるわけでもない
多分、大多数の人は僕の送っている生活よりも普通に働いていたほうが幸せで安全な生活だと感じるんじゃないだろうか
(pha『ニートの歩き方』技術評論社より)
と述べておられます。
それでも、色々な状況を想定し、衣食住や金銭など様々な項目にわたり箇条書きで多数の選択肢を具体的に検討してくれています。なので、ニート生活に興味がある人はもちろん、転職を考慮している人、失業したらどうなるか不安がある人も一読に値するかと思います。そうした生き方をする上で諦める必要がある事項、ニート生活の向き不向きについても言及がありました。pha氏が「働かない」生活をする上で綿密な計算や分析をされていた事がうかがえます。
あと、印象的だったのが、「人とのつながり」(同書)という言葉が頻出する事。ストレスをためこまないよう一定の流動性や距離感を保ちつつ(※3)も、孤独に陥らない事が大事である事がくりかえし強調されていました。そうした指摘を念頭に置くと、インターネットを最大限に活用する事が働かず生きていく上で不可欠だとの指摘も、より納得できます。ネットは「人とのつながり」「暇つぶしにやること」「最低限のお金」(同書より)を得るため非常に有用であり、中でも繋がりがあれば他二つはついてくるのだとか。
ただし。病気や災害など有事への備えについてはあまり言及はありません。pha氏からすれば、働けなくとも「なんとかギリギリ死なない」(同書より)程度の方策を想定しており、実感としては「今死なずに生きているだけでなんとかラッキーだと思っている」(同書)という事ですので有事の備えまでは手が回らないという事でしょうか。
繰り返しますが、彼のような生き方は誰にでもできる事ではないし、多数がそうすべきものでもない。これはpha氏自身も認めておられる通りです。僕にしても、内容に全面的に同意できる訳ではありません。実際、Twitter上での呟きを拝見してハラハラしたり頭の痛い思いをする事もありますし。
それでも、本書は非常に有意義な一冊ではないかと考えます。というのは、上で引用した基本的コンセプトには強い共感を覚えるから。あと、「これこそが正しい」「こうでなくてはならない」という姿勢でなく、異論に対しても柔軟なスタンスである事も好感が持てます。印象的だったpha氏の言葉をもう少し引用しておきます。
仕事なんかで悩んで死ぬなんて本当に馬鹿馬鹿しい
死なないこと以上に大事なことなんて人生にはない
仕事なんて命に比べたらどうでもいい。人間は仕事のために生きているわけじゃないし、仕事なんて人生を豊かにするための一つの手段にすぎないんだから。
(いずれも本書より)
そういう訳で、実際に真似られるかどうかは別として、「こういう生き方をしている人もある」という具体的な逃げ道の一例を示したという点において、本書には大いに意味があるのではないかと。
別にどんな生き方でもなんとか生きられたらそれでいいんじゃないの。自殺したり人を殺したりしなきゃ(本書より)
というpha氏の発言は、重いと感じます。
閑話休題。本ブログ「とらっしゅのーと」執筆陣は全員、多かれ少なかれ
「この世界に生きづらさを感じている人々が背負っている心の重荷を、少しでも軽くできないだろうか」
という思いを抱きつつ執筆してきたのではないか。そう感じています。まあ、全員に直接尋ねた事はないので確証は持てませんが。それだけに、そういった意味でpha氏は、我々とは方法論は違えど、目指すところに関しては少なからず通ずる面があるのかもしれない。そう感じた一冊でした。
なお、pha氏には『持たない幸福論』(幻冬舎文庫)や『しないことリスト』(大和書房)、『知の整理術』(大和書房)など他にもいくつか著作があります。興味を持たれた方は、そちらも手に取ってみるのも良いかもしれません。
※1 ただし実際の所、執筆活動や時々のアルバイトなどもされており「ニート」とは異なるようです。
※2 もっとも、鴎外が霞亭に抱いた期待は報いられなかったのではと分析する向きもあるので、適切な喩えとは言い難かったかもですが。
※3 家族のような、密接で固定した人間関係には息苦しさを感じるとのことです。
【参考文献】
pha『ニートの歩き方』技術評論社(kindle版)
森鴎外『北条霞亭』春陽堂文庫
石川淳『森鴎外』岩波文庫
関連サイト:
pha氏のブログです。
「億万長者になった後も働き続ける人は、一体何をモチベーションにして頑張ってるのか」
ここに挙げられた生き方はpha氏とは正反対に見えますが、「仕事のために生きているのでなく、仕事が人生を豊かにするための一手段」という点では通じるものがなくもなさそう。
「働ける限りは働き続けなければならない」という社会には、僕も恐怖を覚えます。