2017年 12月 30日
漢詩の一種「楽府」とは~頼山陽『本能寺』を題材に~
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『真田丸』と『おんな城主 直虎』。ここ二年、戦国時代を舞台とした大河ドラマが続きました。そのせいか、「本能寺の変」が取り上げられたのも二年連続。特に『直虎』では最終盤に本能寺の変がやってきましたから、まだその余韻が残っている方もおられるかと思います。
本ブログを御覧の方は大半が御存じかと思いますが、一応。「本能寺の変」とは、戦国時代後期に足利政権に変わって中央政権を掌握していた織田信長が、家臣の明智光秀によって襲撃され殺害された事件です。しかし主君にとって変わったかに見えた光秀も、覇権確立には到りませんでした。同じく信長の家臣であった羽柴秀吉が瞬く間に光秀を倒し、中央政権の新たな主として天下統一を進めていくのです。
さて、本ブログではこれまで何度か漢詩を取り上げてきました。そこで今回は、この本能寺の変を題材にした有名作品を味わってみようかと。作者は徳川後期の有名漢詩人である頼山陽で、題はズバリ『本能寺』。
本能寺
本能寺。溝幾尺。 吾就大事在今夕。
茭粽在手併茭食。 四簷楳雨天如墨。
老阪西去備中道。 揚鞭東指天猶早。
吾敵正在本能寺。 敵在備中汝能備。
(坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂 193-194頁より)<読み下し>
本能寺。溝 幾く尺。
吾 大事を就す 今夕に在り。
茭粽 手に在り 茭を併て食ふ。
四簷の楳雨 天墨の如し。
老阪 西に去れば 備中の道。
鞭を揚げて 東に指せば 天猶早し。
吾敵は正に本能寺に在り。
敵備中に在るに 汝能く備へよ。<超意訳>
「本能寺は、溝の深さがどれだけあるだろうか。」
「私が大仕事にかかるのは、今晩のことだ。」
そう思いながら、光秀は笹に包まれたちまきを手にして、笹ごと口にした。
四方の軒から梅雨がしたたれおち、天は墨を塗ったかのように真っ暗。
老ノ坂を西へ向かえば、(援軍に向かうべき)秀吉のいる備中への道筋になる。
しかし光秀は馬の鞭をさしあげて東を指した。その時、空は夜明けにはまだ早い。
「敵は本能寺にあり!」
だが光秀よ、恐るべき敵は実のところ備中にこそいる。だから、しっかり備えをしておきたまえ。
ここで少し解説。「茭」は笹、「簷」はひさし、「楳」は梅を意味します。老ノ坂とは、京都市と亀岡市の境にある峠で、山陰道から京都へ入る所になります。「大枝の坂」「大江山」とも言うそうです。思い出されるのが、足利尊氏が鎌倉政権に反逆した際の事。あの時の尊氏も、この大江山を越えて京の六波羅に攻め入る形になりました。最後の句にある備中にいる敵とは、やがて大返しをしてくる羽柴秀吉を意味するのは申し上げるまでもないでしょう。
平仄は、下記の通り。○が平声、●が仄声、△が両用。なお、平仄についてはこちらを参照。
●○● ○●●(韻1) ○●●●●○●(韻1) 韻脚は尺・夕 入声十一陌
○●●●●○●(韻2) ●△○●○○●(韻2) 韻脚は食・墨 入声十三職
●●○●●○●(韻3) ○○○●○○●(韻3) 韻脚は道・早 上声十九皓
○●●●●○●(韻4) ●●●○●○●(韻4) 韻脚は寺・備 去声四寘
…それぞれの韻の分類は、そういう分類名だという事だけ御理解いただければ。僕も実は詳しくは分かってません。なお、韻については下記サイトで詳細は調べました。韻が仄声だったので。
関連サイト:
「韻と平仄を検索するページです」(http://tosando.ptu.jp/kensaku.html)
これまで何度か扱ってきた絶句や律詩と大きく異なるのが、おわかりいただけるかと。目立つ点としては、
・平仄に明らかな規則性を見いだせない。
・韻が何度か変化している。
というのが挙げられます。あと、同じ文字を何度も用いているのも個人的には気になります。どうやら、同じ漢詩とは言っても、絶句や律詩とはタイプが異なるようです。
・平仄に明らかな規則性を見いだせない。
・韻が何度か変化している。
というのが挙げられます。あと、同じ文字を何度も用いているのも個人的には気になります。どうやら、同じ漢詩とは言っても、絶句や律詩とはタイプが異なるようです。
結論から申しますと、この作品は「古詩」の一種である「楽府」に分類されます。「古詩」というのは読んで字の如く「古いタイプの詩」という意味。「韻は踏んでいるものの平仄や句数に制限がない」タイプの詩を、こう呼ぶのだそうです。その中でも、長句・短句が交錯する自由な形式である「楽府」と呼ばれる種類に、本作は分けられるのです。
なお、「韻が途中で別の音になる」のは古詩では割とあるらしく、そういうケースは「換韻」と呼ばれます。一方、律詩や絶句と同様に「最初から最後まで同じ音の韻」の古詩は「一韻到底」というそうです。
なお、「韻が途中で別の音になる」のは古詩では割とあるらしく、そういうケースは「換韻」と呼ばれます。一方、律詩や絶句と同様に「最初から最後まで同じ音の韻」の古詩は「一韻到底」というそうです。
元来、「楽府」とは前漢の武帝が設置した役所の名前。そこでは音楽を司っており、具体的には各地の民謡を収集したり新たに歌を制作していました。時代が移ると、彼らが収集した民謡や、彼らが作成した儀礼曲・軍歌そのものが「楽府」と呼ばれるようになります。
そしてやがて五言詩が生まれると、楽府と「詩」とが分けて認識されるようになりました。魏晋南北朝期にも新たな楽府が好んで作られ、そこから七言定型詩が生まれたとされています。
唐代になると、楽府を音楽に乗せて歌う風習はすたれましたが、楽府スタイルでの詩は好んで作られました。上述した自由なスタイルが好まれたようです。この頃の作品を「新楽府」と称する事もあります。中でも白居易による作品は有名だとか。
そしてやがて五言詩が生まれると、楽府と「詩」とが分けて認識されるようになりました。魏晋南北朝期にも新たな楽府が好んで作られ、そこから七言定型詩が生まれたとされています。
唐代になると、楽府を音楽に乗せて歌う風習はすたれましたが、楽府スタイルでの詩は好んで作られました。上述した自由なスタイルが好まれたようです。この頃の作品を「新楽府」と称する事もあります。中でも白居易による作品は有名だとか。
さて。これにならってでしょうか。頼山陽は日本史を題材に六十六の作品を楽府形式で残し『日本楽府』として残しました。直接手本にしたのは明の詩人・李東陽の『擬古楽府』だとか。この『日本楽府』が完成を見たのは文政十一年(1828)のことです。この『本能寺』も、『日本楽府』にある作の一つです。山陽の高揚した気分が乗り移ってくるような、リズミカルな言葉の運びを素直に味わえる一品だと思います。日本史を題材にした作品にともすればありがちな、我が国を称揚するため他国を貶めるような表現も少なくとも『本能寺』にはないですし。
一口に漢詩と言っても、実に色々な形式があるものですね。まだまだ僕も知りたい事、学ばねばならぬ事がたくさんです。それでは、良いお年をお迎えください。
【参考文献】
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
兵藤裕己『太平記(二)』岩波文庫
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
兵藤裕己『太平記(二)』岩波文庫
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関連サイト:
「詩詞世界」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「頼山陽 本能寺」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn291.htm)
実のところ、このサイトを御覧いただくのが一番早い気がします。
「詩詞世界」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「頼山陽 本能寺」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn291.htm)
実のところ、このサイトを御覧いただくのが一番早い気がします。
by trushbasket
| 2017-12-30 12:45
| NF








