どうも、松原左京です。今回の『童貞の世界史』落選者列伝は、伝説の日本画家・伊藤若冲(1716-1800)を扱います。
若冲は、18世紀の日本で活躍した画家です。京都出身、青物問屋の家に生まれました。名は汝鈞(じょきん)。絵や禅を好み、40歳で弟に家業を譲って画家の道に入りました。
狩野派に学び、更に尾形光琳や中国画をも研究して独自の画風を確立するに到りました。その作風は、写実を基礎としながらも巧みなデフォルメで幻想的な雰囲気を醸し出したものと評価されています。鶏の絵を中心に、花や鳥をしばしば描いていた事は、御存じの方も多いでしょう。有名な作品としては、『群鶏図』や『動植綵絵』、『野菜涅槃図』が挙げられます。
若冲は生涯独身でした。やがて出家の身となり晩年は深草の石峰寺に隠棲している事から、禅宗への信仰ゆえという要素は大きかったと思われます。しかしそれにとどまらず、春画も残されていないらしい事から、女性に興味が無かったと見る向きもあるようで。中には、ユング心理学的な観点も引き合いに出して、「女性に特に関心を示さなかったとしても、シュジュギュイであると考えれば、想像を逞しくする必要はない」(『日本橋学館大学紀要 第9号(2010)』日本橋学館大学 16頁)と述べる研究者も存在しています。ちなみにシュジュギュイとは、秋山さと子の記述によれば「生まれながらにして自己完結型であるか、あるいは、まだ男女が明確に分かれていない幼児性を残している」(いずれも同書 同頁)存在だそうで。
そうした推測をする向きも複数ある事から、少なくともざっと調査する限りでは生涯童貞であった可能性はありそうに思えました。ただし、決め手を欠いたため採用見送りとなった事例です。
参考文献:
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本人名大辞典』講談社
『大辞泉』小学館
狩野博幸・森村泰昌『異能の画家 伊藤若冲』新潮社
『日本橋学館大学紀要 第9号(2010)』日本橋学館大学より村上千鶴子「伊藤若冲という生き方 : 作品の分析と求道の考察 : 「動植綵絵」を中心に、禅宗、分析心理学の視点から」
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