頼山陽『日本楽府』と川中島合戦 「筑摩河」~かの有名な七絶だけではありません~
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題不識庵擊機山圖
鞭聲肅肅夜過河
曉見千兵擁大牙
遺恨十年磨一劍
流星光底逸長蛇
(新田大作『漢詩の作り方』明治書院 52頁)
<読み下し>
鞭聲肅肅 夜 河を過る
曉に見る 千兵 大牙を擁するを
遺恨 十年 一劍を磨き
流星光底 長蛇を逸す
<超意訳>
鞭の音すらも静かにしながら、謙信の軍は川を渡った。
夜が明けた際には、武田軍は上杉の大軍が大将旗を掲げて迫っているのを目の当たりにする事になった。
しかし無念ながら、十年をかけて剣を磨いて備えてきたのに、
星が流れる光のような僅かな差で、大敵・信玄を取り逃がしてしまった。
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・不識庵:上杉謙信のこと。元亀元年(1570)から、「不識庵謙信」の道号を名乗った。
・機山:武田信玄のこと。「恵林寺殿機山玄公大居士」が彼の法名である。
・粛粛:静かに、ひっそりと。
・大牙:天子や大将の陣営に建てる旗。牙旗。中国で、大将の旗竿を大きな象牙で装飾したことに由来する。
・逸長蛇:長蛇を逸する。惜しい得物、大事な機会を逃す。
さて、『日本楽府』でも山陽は川中島合戦に関する作品を詠んでいます。それが、今回取り扱う「筑摩河」。ちなみに、これで「ちくまがわ」すなわち千曲川を意味します。
筑摩河
西條山。 筑摩河。
越公如虎峽公蛇。
汝欲螫。 吾已噉。
八千騎。 夜衝暗。
曉霧晴。 大旗掣。
両軍摶。 山欲裂。
快劍斫陣腥風生。
虎吼蛇逸河噴雪。
傍有毒龍待其蹶。
(坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂 173-174頁)
<読み下し>
西條山。 筑摩河。
越公は虎の如く峽公は蛇。
汝螫(ささ)んと欲す。 吾已に噉(か)む。
八千騎。 夜 暗を衝く。
曉霧晴れ。 大旗掣(ひ)き。
両軍摶(う)ち。 山裂んと欲す。
快劍 陣を斫(き)り 腥風 生じ。
虎吼へ蛇逸し 河 雪を噴く。
傍に毒龍の其蹶(つまづ)くを待つ有り。
<超意訳>
謙信が陣取る妻女山、信玄が本陣をおく千曲川。
越後の謙信はさながら虎のようで、甲斐の信玄はまるで蛇を思わせる。
信玄が夜襲で上杉軍に打撃を与えようとした際、已に謙信は攻勢に移っていた。
謙信率いる八千騎の軍勢は、夜に暗闇をついて武田軍のもとへ。
時は夜明け方、戦場の霧は晴れて。目の前に現れた謙信の旗印が武田軍の動きを押しとどめる。
かくして両軍は相戦い、その激しさで山も裂けようかというほど。
謙信が振るう鋭い刃は武田方の陣地を切り破り、その行くところに血なまぐさい風が巻き起こる。
虎が咆吼するかの如く信玄に迫った謙信だったが、信玄はあやうく逃れ千曲川は雪のように白い波しぶきをたてる。
かくして両雄が激闘するかたわらで、両者の蹉跌をあたかも毒龍のごとく待っているものがいた。すなわち織田信長である。
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関連サイト:
「韻と平仄を検索するページです」(http://tosando.ptu.jp/kensaku.html)
・西條山:長野市松代町清野にある山。妻女山とも言う。
・筑摩河:千曲川の事。新潟県に入り信濃川と名を変える。日本最長の川である。
・越公:越とは越後の事。そこの領主である、上杉謙信を意味する。
・峽公:峡とは山と山の間の細長い土地。「かい」ともよむので、ここでは甲斐国を意味する。甲斐の領主、武田信玄を意味する。
・螫:毒虫が針をさす事。「刺」でも可。
・噉:かみつく事。
・掣:押しとどめる。
・腥風:血なまぐさい風、殺伐な気。
・毒龍:ここでは織田信長を指すか。両英雄が相克し消耗するため、漁夫の利を得たという観点と思われる。
新田大作『漢詩の作り方』明治書院
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『大辞泉』小学館
『大辞林』三省堂
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス