2018年 04月 18日
歴史的に見る、「魔法使い」になれる年頃~細川政元の場合~
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どうも、松原左京です。
いつ頃からでしょうか。「童貞を貫くと、魔法使いになれる」、そんな言説を見聞するようになりました。その年頃として一番よく聞くのは、「三十歳」です。
関連サイト:
「同人用語の基礎知識」(http://paradisearmy.com/doujin/index.html)より
「童貞/ 魔法使い」(http://paradisearmy.com/doujin/pasok_wizard.htm)
今回は、日本史における事例から、「魔法使い」になれる年頃に関する参考になるかもしれないお話をしてみようかと思います。
応仁の乱が終結して間もない時期の事。この時期、室町幕府を牛耳り権勢を振るったのは細川政元(1466-1507)という人物でした。彼は、応仁の乱における一方の総帥であった、細川勝元の嫡子にあたります。修験道に熱中して妻帯せずやがて不可思議な能力を手に入れた事で知られています。政元については『童貞の世界史』のコラムでも取り上げましたので、そちらも参照していただければと存じます。
実のところ、政元は男色を好んだため、厳密には「童貞」ではありません。ですが、女色を遠ざけて魔法使いになった、という点では今回の話題に通じるものがあるかと思います。という訳で、彼について軍記物語『足利季世記』を参考に、魔法能力を手に入れた時期を探ってみようかと思います。史料の性質上、そのまま史実と受け取る事は無論できませんが、当時の受け取り方を知る事はできるかと思います。
政元は「四十歳ノ比マテ女人禁制ニテ魔法飯綱ノ法アタコノ法ヲ行ヒナカラ出家ノ如ク山伏ノ如シ」(近藤瓶城編『改訂史籍集覧 第十三冊』近藤出版部 144頁)という状況だったそうで。
そんな具合なので政元は実子もなく、後継者をどうするかが問題になりました。そこでまず延徳三年(1491) 摂関家の一つ・九条家から澄之を養子に迎えました。そして更に文亀三年(1503)には、政元が病気がちな事から一族が協議し、阿波細川家から澄元をも養子に迎えています。このように二人の養子を迎えた事が、やがて内紛の種となり政元自身の破滅にも繋がるのですが、それはまた別の話。ここで問題は、澄元が養子になったという記述の次に
此時分ヨリ政元魔法ヲ行ヒ給ヒ空ヘ飛上リ空中ニ立ナトシテ不思議ヲ顕シ後ニハ御心モ乱ウツツナキ事ナト宣ヒケル(同書 145頁)
という一文がある事です。これによれば、政元が本格的に魔法能力を手に入れたのは1503年あたりと解釈すべきかと。となると、三十七歳頃という事になります。政元のそうした有様を見た澄元側近が「此分ニテ如何サマアシカルヘキ」と判断し「六郎ヲ取立家督相続セシメ政元ヲ隠居セシメン」(括弧内はいずれも同書 同頁)ために挙兵した、という話がある事もこれを裏付けます。澄元が養子になってから、という事になりますものね。ちなみに六郎というのは、澄元の事。
という訳で。細川政元に関する限り、「魔法使い」になった年頃は俗説よりやや遅めといえそうですね。そういえば、今も昔も三十五歳頃が人生における一つの山場だという話も過去記事でありました。そちらと何か関連はあるのか、ないのか。ちょっと気になるところです。
参考文献:
近藤瓶城編『改訂史籍集覧 第十三冊』近藤出版部
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『世界大百科事典』平凡社
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より
by trushbasket
| 2018-04-18 20:31
| 松原左京









