どうも、松原左京です。
昔と今とを比べた場合、「生涯結婚しない人」が増えたというのが特徴の一つとしてあげられます。そしてこれは、次世代を残すという観点から、深刻な社会問題として語られるのは尤もな事だと思います。とはいえ、それなら多くの人が結婚していればその点は大丈夫かといえば、そうも言えないようです。
儒教文化圏では、家を絶やさないよう子孫を残す事が重んじられました。そのため、偉人と言われるようなレベルになると、周囲の圧力もあって家庭をもうけるケースがほとんどと言えます。少し言い訳をしておきますと、『童貞の世界史』で中国・朝鮮半島の童貞偉人を見いだし得なかったのも、そうした要因が大きな理由でした。
しかしながら、童貞であったかはともかく、結婚したらそれで次世代確保ができたかといえば、そう話が単純でなかったのは勿論のこと。儒教文化圏であろうが、その点は例外でありませんでした。
朝鮮半島の『慵齊叢話』という書物には、既婚男性も含めた性愛に淡白な事例がいくつか挙げられているそうです。具体的な事例を、以下で少し見てみましょう。
齊安という男性は、女性を嫌悪して近づけず対座もしなかったそうです。また韓景琦という人は、妻をめとったことはあったものの同衾はおろか言葉を交える事も無かったとか。彼は抑も、女性使用人が近づくと杖で追い回すといった為人だったそうなので、女性全体への嫌悪感が病的なレベルで強かったと思われます。にもかかわらず妻帯したのは、次世代に家の後継者を残す責務があるとして、周囲から説き伏せられたといったところなんでしょうね。
金子固という人物の息子も同様なタイプだったらしく、成人した後も女性に関心を示さなかったそうです。そこで家が絶えるのを親が恐れ、とある美人を妻として迎え入れました。しかし当の息子は喜ぶどころか、恐れ戦いて床下へ逃げ隠れたという話が伝えられています。
江戸時代の日本にも、同様な逸話があるようです。この時代の大名は、やはり家を絶やさないため世継ぎを残す事が求められる。それは中国・朝鮮と同様でした。しかし『甲子夜話』によれば、信濃のとある大名に非情な女性嫌いがいたそうです。女性の匂いからして嫌悪の対象だったらしく、結婚はしたものの奥方とは対面するだけにとどめ同衾はしなかったと伝えられています。
異性と深い関係になる事に興味も適性もない人物が、社会的義務から無理に結婚させられたとしても、結局は誰も幸せにならない結末になりかねない。本人も、相手も、そして周囲も。そんな感慨を抱かせる話です。
結婚に対する社会の感覚・強制力は時代によって様々かと思います。ただ、性愛やら結婚やらに著しく適性を欠く個体は、いつの時代にも一定数生じるのは確かのようです。それを思えば、「結婚しない人生」も一定の市民権を持つようになってきた現代は、従来と比べると生きやすい時代といえるのかもしれません。一方で、次世代確保とか相手を求めながら得られない人の問題とかを考えると、相手を求める人同士が縁を生じやすくするよう社会が色々手配りすることは十分意味があるんだろうなあとは思います。ただ、望まぬ人にまで無理強いするのは、誰にとっても良くない結果になりうるという教訓を今回読み取っておくべきでしょう。また、性愛や結婚に興味を示さない人はいつの時代も一定数いるので、それをもって「異常」とか「おかしい」とか言うべきではないという点も言えるのではないかと考えます。
参考文献:
田中香涯『医事雑考 妖・異・変』鳳鳴堂書店
松原左京&山田昌弘『童貞の世界史』パブリブ
関連記事:
『童貞の世界史』中でも、結婚歴がありながらも生涯童貞だったと思われる人も何人か登場します。