2018年 05月 20日
幕末維新期の漢詩 山田方谷『詠伯夷叔齊』~一佐幕派の心情~
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幕末維新期の志士たちには、漢詩の素養がある人が少なからずいる。それは何度か申し上げたかと思います。前回は、一例として西郷隆盛の漢詩をご紹介しました。そこで今回は、佐幕派に分類されるであろう人の作品を味わおうかと思います。
題材は、山田方谷『詠伯夷叔齊』。山田方谷は、幕末維新期の陽明学者です。備中国出身で、江戸で佐藤一斎に学びました。備中松山藩主板倉勝静によって抜擢され、藩財政の再建に力量を振るいました。学識も高く、一時は久坂玄瑞・河井継之助も彼の下で学んだとか。また、文久二年(1862)に藩主・勝静が老中となると、その顧問として幕政にも助言をなしています。朝廷を重んじる立場を取り、戊辰戦争の際も藩論をまとめ新政府軍に恭順する方針を取っています。維新後は教育に従事し、閑谷学校再興にも貢献しました。
上記のように、方谷は華やかな革命家・政治活動家ではありませんでしたが、学問だけでなく、実際の政策立案にも力量を振るった傑物と言えます。その政治的立場は体制変革よりも、体制を維持しつつ内部からの改革というものであった以上、佐幕派よりの心情であったことは想像に難くありません。『詠伯夷叔齊』は、そんな彼の思いがにじみ出た一作といえます。では、見ていきましょう。
詠伯夷叔齊
剪商計就竟戎衣
宇宙茫茫孰識非
君去中原幾周武
春風吹老首陽薇
(『新釈漢文大系 日本漢詩 下』明治書院 485頁)
<読み下し>
商を剪るの計 就つて 竟(つひ)に戎衣
宇宙茫茫孰(たれ)か非を識らん
君去って 中原 幾周武
春風吹き老ゆ 首陽の薇
(同書 同頁)
<超意訳>
商(殷)王朝を討伐するための計略は成就し、周の武王はついに軍服をまとい出陣する事となった。
広いこの世界に、誰が「暴君とはいえど武力でこれを打倒する」事の過ちを認識していたろうか。ただ、「暴を以て暴に易え、その非を知らず」と周王を非難した伯夷・叔斉兄弟だけである。
君たち兄弟が去って後、中原には周の武王のように武力にものを言わせる者が何人出現したことか、数え切れない。
春風が吹いて、伯夷叔斉兄弟が隠棲した首陽山のワラビも大きくなっているところから、もはや山にこもりそれを採って食う人もないらしい。二人のような節義の人もいないと見える。
平仄は、下記の通り。○が平声、●が仄声。△は両方可。◎は平声で韻脚。なお、平仄についてはこちらを参照ください。
●○●●●○◎
●●○○●●◎
○●○○●○●
○○○●●○◎
韻脚は「衣、非、薇」で「上平声五微」。
以下、語句の解説です。今回は、古代中国の故事が前提になっていますからちょっと多めかも。
・伯夷叔齊:中国古代の伝説的な聖人。兄が伯夷、弟が叔齊。孤竹国の国主の子であったが、兄弟で位を譲り合った末に共に出奔。周の国の徳を慕い移住した。しかし周の武王が即位してまもなく商(殷)を討伐するとこれを強く非難、兄弟共に隠遁し周の穀物を食する事を拒んでついに餓死した。
・商:古代中国の国名。我が国では殷王朝として知られる。湯王が夏王朝の暴君・桀王を打倒することで創立された。『史記』を始めとする後世の史書は当時の王・紂王を典型的な暴君として描いており、周の武王がこれを討伐し取って代わったことは義挙と見なされる事が多い。
・戎衣:軍服のこと。「戎」が戦争を意味する。
・茫茫:広々として遙か、ぼんやりとかすんでいる様子。
・中原:黄河中流・下流域の平原。中国古代文化の中心地で、中国文明においてはその後も重視された。「中原に鹿を逐う」という表現が天下争奪に加わる意味で用いられるのも、その現れである。
・首陽薇:「首陽」は首陽山。山西省の西南にあり、伯夷・叔齊が隠遁した先である。「薇」はワラビ。二人は、周の穀物を食す事を拒み、山のワラビをとって命をつないでいたが、ついに餓死した。
明治維新、すなわち薩長を中心とする新政府による徳川政権の打倒。これを方谷がどのような思いで見ていたかをこの詩から察するのは難しくないかと思います。方谷は後に「天下の事を論じたのは一も行われたことがない」と述べており、幕政運営に思う所があったのは間違いありません。とはいえ、たとえ問題があったにせよ、徳川政権が懸命に眼前の課題へ取り組んでいた事を、方谷はよく知る立場にありました。それだけに、武力倒幕に対しては素直に肯定する感情を持つことが難しかったものでありましょう。
社会が激変する時代においては、様々な立場の人間が様々な感懐を抱く。それは当然のことです。誰が正しく誰が間違っているというのではなく、それぞれが置かれた立場で懸命に明日を模索していたのだという事は肝に銘じたいものです。そして、彼らの足跡を見る際は敬意を忘れないようにしたいと思います。
【参考文献】
『新釈漢文大系 日本漢詩 下』明治書院
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『とっさの日本語便利帳』朝日新聞出版
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維新後に在野の詩人として名をなした旧佐幕派も出てきます。
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by trushbasket
| 2018-05-20 20:51
| NF








