医者・医学者兼業の日本文学者、医学方面での専門は?
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2018年 06月 04日
近代を代表する文豪・森鴎外は本職が軍医であった。それは、有名な話だと思います。鴎外の他にも、日本の名高い文学者で本職が医師もしくは医学者である人は少なからずいます。今回は、そうした人々の医者・医学者としての専門がなにか、何人か調べてみました。 で、調べてみた印象ですが、どうやら医者・医学者には物を書きたがる人がずいぶん多いようですね。ネットで参照できる『日本近現代医学人名事典【1868-2011】』の索引を参照にしたのですが、取りこぼしは多いかと思います。御了承ください。また、人数を絞るため、コトバンクに独立項目がある人物、なおかつ物故者に対象は限らせていただきました。 ・森鴎外(1862-1922):衛生学 本名は林太郎。津和野藩主典医の家に生まれる。東京帝大卒後、陸軍軍医となりドイツに留学し衛生学を学ぶ。帰国後も軍医として活動、最終的には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長。晩年は帝室博物館総長であった。そうした公務活動のかたわらで小説・翻訳・評論など多方面で文筆活動を展開し、夏目漱石と共に反自然主義の双璧とみなされた。作品としては小説『舞姫』『ヰタ・セクスアリス』『雁』『阿部一族』『高瀬舟』『寒山拾得』、翻訳『即興詩人』、史伝『渋江抽斎』などが知られる。 医学者としても『衛生新誌』『衛生療病志』などを創刊し啓蒙活動に励むなど盛んに執筆活動を行っている。なお、父の診療を手伝った経験を小説『カズイスチカ』に記している。他にも、小説『高瀬舟』は安楽死を扱った作品として医学的に話題に挙がる事がある。また、晩年の史伝は徳川期の医師を扱うものが目立ち、医業のかたわらで儒学を学び詩文を愛した彼らに対する、鴎外の共感・敬愛がうかがえる。 ・井上通泰(1866-1941):眼科 兵庫県出身の文筆家、歌人。生家の姓は松岡。民俗学者・柳田国男は実弟にあたる。桂園派の歌人としても活動し、歌集『南天荘歌集』がある。森鴎外らと常磐会を結成したり、御歌所寄人にも選ばれた。万葉集・風土記の研究でも名をなし『万葉集新考』『播磨国風土記新考』 などの著作がある。帝国大学医科を卒業し、眼科の開業医としても活動していた。 ・三木竹二(1867-1908):内科 演劇評論家、本名は森篤次郎。森鴎外は長兄にあたる。学生時代より歌舞伎評論を行い、1900年より『歌舞伎』誌の主催・編集を行う。従来の評判記とは異なり、考証に基づく近代的な演劇評論の基礎をつくったとされる。特に歌舞伎の「型」の記録は貴重な資料とされている。西洋演劇の翻訳・紹介でも知られた。医師としては東京医科大学卒後、開業している。 ・長野蘇南(1873-1931):眼科 熊本県出身の俳人、本名は文治。『うづら』を創刊した。句集『蘇南遺吟』。千葉医専卒後、陸軍軍医として最終的に軍医監。退官後は京都で眼科医を開業した。 ・宇都野研(1877-1938):小児科 愛知県生まれの歌人。佐々木信綱・窪田空穂に学ぶ。歌集『木群』、歌論『実作者の言葉』。東京帝大を卒業後、小児科を本職とする。 ・杉田鶴子(1882-1957):小児科 神戸出身の歌人。本名は「つる」。杉田玄白の後継にあたる家。日本医学校卒。本郷で開業しながら、歌人として活動。『朝の光』創刊に参加、窪田空穂らの教えを受けた。歌集『菩提樹』。 ・松尾いはほ(1882-1963):消化器内科 京都出身の俳人、本名は巌。『ホトトギス』同人に参加、句集『春炬燵』など。医師としては京都帝大卒後、母校教授および大阪女子医専(現在の関西医大)理事長。専門でも『胆石症の研究』などがある。 ・斎藤茂吉(1882-1953):精神科 山形県出身の歌人。正岡子規に影響され短歌に志し、伊藤左千夫に入門し『馬酔木』に投稿。『アララギ』の中心人物の一人であった。歌集『赤光』『あらたま』、評論『柿本人麿』など。医師としては東京帝大卒後、付属病院を経て長崎医学専門学校教授、のち実家の青山脳病院院長。 ・木下杢太郎(1885-1945):皮膚科 静岡県出身、本名は太田正雄。『明星』や『スバル』などに寄稿。「南蛮詩」と呼ばれるエキゾチックな作品が知られる。『食後の唄』など。他に小説『荒布橋』や演劇『南蛮寺門前』などで耽美主義に大きな影響を与えた。多芸多才な人物であり仏教美術やキリシタン研究、植物写生にも関心を示し、それぞれ『大同石仏寺』『えすぱにや・ぽるつがる記』『百花譜』などに結実している。医師としては東京帝大卒後、南満医学堂皮膚科教授・東京帝大教授などを歴任。「太田母斑」(顔面の青褐色のあざ)の研究や真菌分類「太田=ランゲロン分類法」でも名をはせている。特に後者は、レジオン・ドヌール勲章をもたらした。 ・正木不如丘(1887-1962):結核病学 長野県出身の作家、本名は俊二。『診療簿余白』でデビューし、『県立病院の幽霊』『手を下さざる殺人』など探偵小説や『木賊の秋』など大衆小説も手がけた。俳人としても知られる。医師としては東京帝大卒、パスツール研究所に留学し慶應義塾助教授。信州富士見高原療養所所長。 ・岡田道一(1889-1980):衛生学 和歌山県出身の歌人。歌集『花ざくら』『麦踏』。竹久夢二の友人でもあった。京都帝大医学部を卒業し、東京市衛生技師時代には麹町区の小学校に衛生婦を設置。養護教員制度のもととなっている。 ・小酒井不木(1890-1929):生理学 愛知県出身、本名は光治。東京帝大卒。血清学を専門として東北帝大教授に招かれるが肺結核のため任地に赴かず退職。『人工心臓』『疑問の黒枠』など探偵小説を執筆、海外作品翻訳でも業績を残した。 ・森於菟(1890-1967):解剖学 ・古屋芳雄(1890-1974):衛生学 大分県出身、東京帝大卒。武者小路実篤らと同人誌『青空』創刊に参加。小説『地を嗣ぐ者』、戯曲『地の塩』など。金沢医大教授、国立公衆衛生院長、日本医大教授を歴任。人口問題や家族計画への取り組み、結核疫学調査に業績を残している。 ・対馬完治(1890-1975):内科 新潟県出身の歌人。窪田空穂に学び、歌集『蜂の巣』など。京都府立医大卒、東京市で内科医として開業していた。フロイト研究でも知られる。 ・高野素十(1893-1976):法医学 茨城県出身の俳人、本名は与巳。東京帝大在学中、水原秋桜子と俳句を始め高浜虚子に師事。『ホトトギス』中でも俊英として名をはせた。虚子の影響を受け、写生を重んじる句風であった。句集に『初鴉』『雪片』など。医学者としては東京帝大卒後、新潟医大で助教授から教授・学長を歴任しのちに新潟大学医学部学部長。奈良県立医大教授もつとめた。 ・木々高太郎(1897-1969):生理学 山梨県出身の推理小説家、本名は林髞。1934年に精神分析を主題とする『網膜脈視症』でデビュー。2年後には『人生の阿呆』で直木賞を受けた。他にも『文学少女』などがある。探偵小説は芸術であるという持論を有し、「推理小説」という言葉を生み出した。医学者としては慶應義塾卒後、ソ連留学しパブロフの条件反射説を日本に紹介している。こちらでも『条件反射学方法論』『大脳生理学』など著作あり。 ・椿八郎(1900-1985):眼科 長野県出身の推理作家。本名は藤森章。1924年に『カメレオン黄金虫』でデビュー、他に『贋造犯人』『薬指』など。慶応義塾卒、満鉄長春医院や東京電力病院で勤務、新井薬師眼科医院長などを歴任している。 ・阪口涯子(1901-1989):内科 長崎県出身の俳人。本名は秀二郎。『俳句基地』『鋭角』などを主催、句集『北風列車』などがある。医師としては九州帝大卒後、大連逓信医院・佐世保西海病院で診療に従事。 ・富永貢(1903-1995):外科 滋賀県出身の歌人。歌を学ぶにあたり石井直三郎、戦後は鹿児島寿蔵に師事した。歌集『遠雷』『土乾く』など。京都帝大卒、東京造幣局病院長をつとめている。 ・佐々木妙二(1903-1997):産婦人科 秋田県出身の歌人。本名は重臣。東京医学専を卒業、産婦人科医院長のかたわらで『まるめら』『短歌時代』などに参加。『新日本歌人協会』結成にも加わっている。歌集『診療室』『かぎりなく』『生』など。 ・藤枝静男(1907-1992):眼科 静岡県出身の小説家、本名は勝見次郎。志賀直哉の影響を受け1947年に『路』でデビュー。私小説と幻想怪奇をあわせもつ作風と評される。『空気頭』『欣求浄土』『凶徒津田三蔵』など。医師としては千葉医大卒後、眼科医として開業している。 ・相馬遷子(1908-1976):内科 長野県出身の俳人、本名は富雄。水原秋桜子に学び、『馬酔木』同人となる。句集『草枕』『山国』など。医師としては東京帝大卒後、市立函館病院内科医長を経てのち開業。 ・藤後左右(1908-1991):内科 鹿児島県出身の俳人、本名は惣兵衛。『京大俳句』創刊に参加、新興無季俳句運動で活躍。口語調を試みるなど独自の句風で知られる。句集『熊襲ソング』など。志布志湾開発反対運動でも知られ、その関係か公害問題を絡めた作品も多い。 医師としては京都帝大卒後、復員後に鹿児島県で開業した。 ・津川武一(1910-1988):精神科 青森県出身、東京帝大卒。陸軍軍医を経て、津川診療所を設立。のち弘前市健生病院長もつとめた。『農夫』『出稼ぎ』など農村文学で知られている。共産党員であり衆議院議員もつとめた。 ・鈴木英夫(1912-2010):内科 神奈川県出身、千葉医大(現在の千葉大医学部)卒。内科医院を営みながらの文芸活動であった。北原白秋に師事、『多磨』『コスモス』創刊に参加した。歌集『おりえんたりか』や評論『北原白秋の思想』がある。 ・浜田到(1918-1968):内科 米国生まれ、鹿児島出身の歌人。歌集『架橋』を残す。 ・上田三四二(1923-1989):内科 兵庫県出身。京大卒の内科医。医師としての活動のかたわら、短歌・小説・評論活動に従事。自らの癌闘病を契機に生死をみつめた作品を多く残す。小説『惜身命』や歌集『湧井』、評論『うつしみ』で知られる。 ・小谷剛(1924-1991):産婦人科 1949年、『確証』で戦後初の芥川賞。他に『翼なき天使』『医師と女』など。 名古屋帝大を卒業し、同地で産婦人科医を営む。 ・宗谷真爾(1925-1991):小児科 千葉県出身、本名は真。慶應義塾卒。小説『鼠浄土』『なっこぶし』、評論『アンコール史跡考』など。小児科医としては、静岡引佐日赤病院に勤務し、のちに宗谷病院を開業した。 ・北杜夫(1927-2011):精神科 東京出身の小説家、本名は斎藤宗吉。父は斎藤茂吉。東北大卒、精神科医となる。1960年に『夜と霧の隅で』で芥川賞受賞し、船医経験を題材にした『どくとるマンボウ航海記』で作家として人気を確立した。他に『百蛾譜』『幽霊』『楡家の人びと』など。父・茂吉を題材にした評伝でも知られる。 ・手塚治虫(1928-1989):外科 大阪府出身の漫画家、本名は治。人間の深淵に迫ると言われる作風で現代ストーリー漫画およびテレビアニメの基礎を築いた存在である。1946年に『マアちゃんの日記帳』でデビュー、翌年の『新宝島』で人気作家となる。代表作は『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『火の鳥』『ジャングル大帝』など多数。大阪帝大付属医学専門部卒、医師免許取得。1959年には医学博士号を取得。天才外科医を主人公にした『ブラック・ジャック』をはじめ、『陽だまりの樹』『きりひと賛歌』など医師・医学を題材にした作品もある。 ・阿部完市(1928-2009):精神科 東京出身の俳人。句集『無帽』『絵本の空』など。金沢医大卒、浦和神経サナトリウム院長をつとめた。 ・なだいなだ(1929-2013):精神科 東京出身の作家、本名は堀内秀。慶應義塾卒後、病院勤務のかたわらで執筆活動。随筆『パパのおくりもの』『権威と権力』、評論『お医者さん』、小説『影の部分』などで知られる。アルコール依存症治療を専門としていた。 ・渡辺淳一(1933-2014):整形外科 北海道出身の小説家。札幌医科大学卒後、母校の助手・講師を務めた。一方で1965年に『死化粧』で作家デビュー。1969年には札幌医大で行われた和田心臓移植事件を題材に『小説・心臓移植』を発表したのを契機に大学を辞職した。1970年には『光と影』で直木賞受賞。他に『花埋』『遠き落日』『失楽園』『化身』など。 ・多田富雄(1934-2010):免疫学 茨城県出身。千葉大学医学部を卒業、千葉大教授・東大教授・京理科大学生命科学研究所所長を歴任。免疫反応を抑える抑制T細胞の存在を提唱した事で知られる。『免疫の意味論』『寡黙なる巨人』など随筆で知られる一方、脳死・臓器移植を扱う『無明の井』や原爆を扱う『原爆忌』など新作能脚本も執筆している。 とりあえずこのあたり。ずいぶん多岐にわたっています。内科8人、精神科5人、眼科4人、小児科・衛生学がそれぞれ3人、外科・産婦人科・生理学がそれぞれ2人、整形外科・消化器内科・皮膚科・結核病学・解剖学・法医学・免疫学がそれぞれ1人。内科は消化器内科・結核病学も入れると10人です。やはり母数が大きいからでしょうか。精神科・眼科も目立ちますね。 ジャンルでいえば、専門を活かした推理小説に手を出している人が昔からいたのは面白いところ。これは伝統なんでしょうかね。そういえば、海外に目をやればコナン・ドイルも医師でしたし。他にも医師の経験を活かした作品を描いている人がちらほらいて、やはり職業柄、人の生死を見つめる機会が多いため色々思うところがあるのだろうなあ、と考えさせられます。 それにしても、森鴎外を筆頭として、医学とは関係ない分野でも業績を残した多芸な人がこんなにも。何というか、天から二物どころでなく才を与えられた人というのはいるものですねえ。羨ましい話です。思えば、前近代でも文筆活動をものした医師は多かったですものね。本居宣長とか安藤昌益とか杉田玄白とか…。歴史的に、そういうものなのかもしれません。 他に知られたところとしては宮林太郎(※1)や永井明なども医師・作家ですが、コトバンクに独立項目がなく断念。下島空谷(※2)や石井露月(※3)は診療科が不明だったので除外。 ※1 宮林太郎は内科、本名は四宮学。著書に『無縫庵日録』『サクラン坊とイチゴ』など。2003年に死去。 ※2 下島空谷は俳人・随筆家。本名は勲。東京慈恵医院医学校を卒業し、陸軍軍医。その後、開業し芥川龍之介・室生犀星・久保田万太郎らと親交を結んだ。芥川の最期も看取っている。井上井月を再評価した事でも知られる。句集『薇』、随筆『芥川龍之介の回想』など。 ※3 石井露月(1873-1928)は秋田県出身の俳人、本名は祐治。正岡子規に師事して新聞記者となり、のちに医師として郷里で開業。雑誌『俳星』を創刊。 【参考文献】 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 『日本大百科全書』小学館 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版 『日本人名大辞典』講談社 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ 『デジタル大辞泉プラス』小学館 『日本近現代医学人名事典【1868-2011】』医学書院 森於菟『耄碌寸前』みすず書房 「RadiChubu」(https://radichubu.jp/)より 「漫画というジャンルを作った手塚治虫の衝撃」(https://radichubu.jp/kibun/contents/id=14233) 「四国新聞社」(http://www.shikoku-np.co.jp/)より 「宮林太郎氏死去/作家、医師、本名四宮学」(http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20030801000243) 「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より 関連記事: 「本業が医者」な偉人といえば、この人を忘れちゃいけません。 鴎外の本業に関連した記事。内容は、人によっては不快に感じるかもです。閲覧は自己責任にて。 医師としての視点で、簡潔にして要を得た分析を見せています。 ※2018/6/6 一部、生没年の誤表記を訂正。 ※2018/6/21 一部追記。
by trushbasket
| 2018-06-04 19:56
| NF
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