2018年 06月 24日
『断腸亭日乗』から見る、関東大震災~たとえば、余震はどれくらい?~
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去る18日の大阪地震。余震の恐れも考えると、まだまだ油断はできません。
さて。先週、永井荷風に関する記事を投下しましたが、荷風が長年にわたり日記『断腸亭日乗』をものしていたのは有名ですね。そこには、荷風自身が経験した大地震、すなわち大正十二年(1923)九月一日の関東大震災に関する記述も当然あります。
そこで今回は、『断腸亭日乗』から、この地震に関連した記録を見てみたいと思います。ただし手元にあるのは完全版ではなく一部を抜粋した摘録なので、抜け落ちた記録は多々あるかと存じます。御了承ください。
まずは、当日(九月朔)の記録。地震に関する最初の記述は
日まさに午ならむとする時天地忽鳴動す。(永井荷風著 磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』(上) 岩波文庫 67頁)
というもの。この時に読書中であった荷風は、「架上の書帙頭上に落来るに驚き、立って窻を開」いたところ、見えた景色は「門外塵烟濛々殆ど咫尺を弁ぜず」といったところ。つまり、門の外はホコリがおびただしく立ち上り、少し先すらよく見えなかった、という訳ですね。近所の瓦が尽く落ちたためそうなったのだとか。荷風が屋外へ逃げようとしたタイミングで「時に大地再び震動す」、外に出ると「数分間にしてまた震動す」といった状況だったそうです。当日にも、数回の揺れがあった事が分かります。
なお、荷風にとって慶すべきことに、彼自身および麻布にあった住居・偏奇館は大きな被害を受けずにすんだようです。荷風は当日に表通りの山形ホテルで昼食・夕食をしている所をみると、そのホテルも「食堂の壁落ちたり」という被害を受けつつも「食卓を道路の上に移」すなどしてどうにか営業は可能な範囲だったようで。東京と一口にいっても、被害の度合いは色々だったのでしょうか。なお、ここまでの括弧内は同書・同頁からの引用です。
まあ自身の日常は大きく狂わされるには到らずすんだせいか、後世から見れば「いい気なものだ」と吐き捨てたくなるような感慨も後日に荷風は残している訳ですが、それはまた別の話。
閑話休題。翌日以降も揺れに関する記録があります。それだけ、余震が続いていたという事でしょう。九月二日には「地震ふこと幾回なるを知らず」(同書 68頁)、十月四日も「初更強震あり」(同書 70頁)、十一月朔にも「深夜強震あり」(同書 71頁)といった具合。どうやら、荷風は少なくとも本震から二ヶ月後までは余震に怯える生活を余儀なくされていた、と見て良さそうです。上述したように摘録なので、ごく一部だけなんでしょうけど。長きにわたって余震への警戒を要するのは、当時も今も同じなんですね。当然といえば当然かもですけれど。
近代における日記文学の最高峰として知られる『断腸亭日乗』、時代を記録した証言としても価値が高い事が改めて分かりますね。
【参考文献】
永井荷風著 磯田光一編『摘録 断腸亭日乗』(上) 岩波文庫
『大辞泉』小学館
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荷風は震災だけでなく、戦災も経験しています。
※2018/6/25 解説を少し追加、それに伴い参考文献追加。また一部表現を変更。
by trushbasket
| 2018-06-24 22:36
| NF








