どうも、松原左京です。日本における童貞偉人の代表と言えば童話作家・宮沢賢治を思い浮かべる方は多いのではないかと思います。無論、『童貞の世界史』にも登場していますので興味のある方は御参照ください。
さて。当時は、現在とは比較にならぬほど非婚への圧力が強かった時代。賢治は比較的裕福な家の長男だけに尚更だった事でしょう。今回は、賢治が結婚を拒んでいた事への風当たりを伺わせる話を少しご紹介しようかと。
まず、親類。やはりというべきか、
親類縁者乃至は兄弟両親よりしばしば妻帯を慫慂されるといふよりは、むしろ拝まんばかりに頼まれ(関登久也著『北国小記』十字屋書店 329頁)
という状況だったそうです。跡取り息子ですから、「結婚して次世代を残す」という事を周囲は強く希望するでしょうね。しかし賢治がそのたびに強硬に拒むため、遂には親族は根負けし「晩年は誰も言葉にして話す人はありません」(同書 同頁)というようになったのだとか。
それでも、周囲はその後も色々と言ってきたものと思われます。そのためか父親は世間に対し、賢治について
生活力がないため妻帯しないので、自分の事は自分でよく知つてゐるために、生涯一人で居たいのだ(同書 同頁)
と説明していたと伝えられます。口さがない世間に対し、父親が弁明・弁護をした発言という事でしょうね。父親が最終的には対外的に守ってくれたあたり、賢治はこの点に関してはかなり幸運だったと言ってよさそう。当時の社会価値観を考えるに、父親は賢治が次世代を残すのを一番望んでいそうな立場でしょうけれど。
自らの意志で独身・童貞を貫く場合にかかる、家族や世間からの有形無形の圧力。その一例として、今回は宮沢賢治を出させていただきました。まあ、この手の圧力なら今日でもかける人はまだいそうですけどね。
※2018/7/22 引用元表示に不備があり修正。
参考文献:
『日本大百科全書』小学館
関登久也著『北国小記』十字屋書店
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一時は、賢治同様に生涯童貞の詩人と言われました。
賢治が生涯童貞を貫いた理由に信仰の影響を見る向きもあるようで。