2018年 08月 11日
性愛を遠ざけた将軍の一例~自らの堕落を恐れた秋山好古~
|
どうも、松原左京です。『童貞の世界史』にはゴードンやキッチナーといった生涯にわたり性愛を遠ざけたとされる近代軍人も登場します。
そして我が国にも、生涯独身で「童貞将軍」と呼ばれた陸軍大将・植田謙吉がいた事は以前にご紹介した通り。
さて。近代日本の将軍には、他にも性愛を遠ざけた事で知られる人物がいます。その名は、秋山好古(1859-1930)。日本騎兵の父とも呼ばれる軍人で、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』にも登場しますから御存じの方は多いかと思います。まあ実のところ、好古は36歳で結婚しており、童貞はおろか厳密な意味で「性愛を遠ざけた」と申し上げるのも問題があるかも。それでも、艶聞から遠い存在で周囲から「女嫌い」と呼ばれたりしたそうですから、この手の例に挙げるのは決して的外れではありますまい。
本題に入る前に、とりあえず好古の略歴を。彼は松山藩士の子として生まれ、当初は大阪師範学校を卒業して教員の道を選びました。しかし西南戦争を契機として軍人に転じ、明治十二年(1879)に陸軍士官学校を卒業。陸軍大学校を経てフランスに留学、騎兵の専門家として栄達していきます。日清戦争後には騎兵実施学校長をつとめ騎兵の作戦単位を大隊から連隊に変更するといった功績を残しているそうです。日露戦争では少将として騎兵旅団を率い、黒溝台や奉天などで多大な武勲を立てています。その後も近衛師団長・朝鮮軍司令官・教育総監・軍事参議官などを歴任しています。日本海海戦などで活躍した海軍中将・秋山真之は実弟です。
さて。好古は「女嫌い」とも称され部下にも風紀が乱れないよう強く求めていましたが、本人によれば「自分とて決して女が嫌ひでも否でもない」(『秋山好古』秋山好古大将伝記刊行会 517-518頁)し「美人と語らひ、美人に接するは誰しも愉快なること」(同書 518頁)であると述べています。ただ信用や忍耐を重んじた結果、そうなったのだとか。
そうした本人の述懐をもとに、好古の伝記は
唯青年時代に於て異性に対する愛欲は動もすれば度を失して、国家社会に奉ずる力を消磨することを恐れたに過ぎなかった(同書 517頁)
と評しています。
閑話休題。好古は結婚する前も後も、赴任先では独り身の質素な生活を貫いていたそうです。そうした生活に慣れていれば、戦争の時も楽だという考えもあったのだとか。更に独身の軍人が身軽なのを良いことに遊興へ走るのを憂慮し、「兎角日本人は女子にのみ貞操を要求して、男子は勝手なことをしているが、それは大いに反省すべきである」(同書 同頁)と戒めています。そうした好古の姿からは、見習うべき点は今でも少なくないのかも。
脱線したので、話を戻します。思い返せば、以前に取り上げた植田謙吉も「戦場の露と消える軍人に妻子は、足手まとひだ」(菅原節雄『陸軍の巨頭を語る 粛軍に立つ人々』今日の問題社 23頁)といった理由で独身を貫いていました。好古も国家の命運を担う陸軍幹部として職務に精励するためあえて性愛を遠ざけたという点では共通していると言えそうです。
参考文献:
『秋山好古』秋山好古大将伝記刊行会
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
菅原節雄『陸軍の巨頭を語る 粛軍に立つ人々』今日の問題社
『秋山好古』秋山好古大将伝記刊行会
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
菅原節雄『陸軍の巨頭を語る 粛軍に立つ人々』今日の問題社
『童貞の世界史』落選者列伝 坂田金時~主君への忠誠がすべて、子孫を残すのに興味なし?~
国家への忠誠か主君への忠誠かという違いはありますが、好古と共通性を感じなくもありません。
近代における楠木正成への信仰の一例~正成の画像を持っていれば弾に当たらない~
日露戦争に関する一逸話が。
国家への忠誠か主君への忠誠かという違いはありますが、好古と共通性を感じなくもありません。
近代における楠木正成への信仰の一例~正成の画像を持っていれば弾に当たらない~
日露戦争に関する一逸話が。
by trushbasket
| 2018-08-11 15:22
| 松原左京









Amazon :