兼好法師、反出生主義に近い考えを持つ?~「子孫なきに如かず」という考えは、一定数の支持があった可能性~
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わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子というものなくてありなん。(西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫 24頁)
藤原信長(1022-1094)は関白・藤原教通の子、道長の孫にあたります。太政大臣にまで栄達しますが、関白位は叔父・頼通の系譜に継がれたため彼は関白になれませんでした。九条に屋敷を設けたことから九条太政大臣と呼ばれます。
源有仁(1103-1147)は後三条天皇の孫、輔仁親王の子。源姓を賜り臣籍降下し、左大臣に至っています。才知に優れ、鳥羽天皇は彼を皇太子にと考えたとも伝えられます。有職故実書『春玉秘抄』や日記『園槐記』などを残しています。
藤原良房(804-872)は、藤原北家の繁栄を決定的にした人物。清和天皇の外祖父として、臣下として初めて摂政になりました。ここで取り上げられたのは、後継者となる男子がおらず甥・基経を養子としたことによるものでしょうか。
こうしてみる限り、実際に彼らがそうした希望を持っていたというより、彼らに繁栄した末裔が存在しなかったことから逆算的に作り上げられた話の気もします。
ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり(同書 25頁)
これらの伝承が事実かどうかはともかく、一部の歴史上の貴人に事よせて「子孫は残さない方が良い」という考えが語られていた可能性を伺わせます。少なくとも一定数の人々の間で、そうした考え方が支持されていたのかもしれません。「子のため」かどうかまでは分からないので、「反出生主義」の範疇に入れていいかどうかは不明ですが。
参考文献:
西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫
小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』中公新書
『日本大百科全書』小学館
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
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