僕は、南北朝時代が好きです。そして、大河ドラマ『太平記』が好きです。…当ブログを御覧の方々からすれば、何を今更、という話ではありますが。
大河『太平記』には印象的な場面が数多くありますが、その中の一つに。ごく序盤、主人公・足利高氏(のち尊氏)が後に妻となる女性・赤橋登子と初めて対面した場面があります。初々しい二人のやり取りが見ていて実に微笑ましかった。和歌の話で盛り上がっているあたり、教養に富んだ者同士である事もうかがわれます。
この場面については、二人が対面する事になるいきさつや裏事情など、語り出すと長くなるのでその辺が気になる方は下記リンク先を御参照いただければ。
関連サイト:
「史劇的な物見櫓」(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)より
「太平記1」(http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki1.html)
「太平記2」(http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki2.html)
「project-REN」(https://blog.goo.ne.jp/project_ren)より
「【太平記】-第2回『芽生え』-(1)」(https://blog.goo.ne.jp/project_ren/e/1774b7d825b92aa10f6ab663168aa7e9)
さて。ここのところ、気分が乗った際に勅撰和歌集をいくつかパラパラ見ている事があるのですが。そんな折、ふと見かけたのが上述の二人が話題にしていた歌。
延喜十五年御屏風の歌 貫之
忘らるるときしなければ春の田をかへすがへすも人は恋しき
(塚本哲三校『拾遺和歌集・後拾遺和歌集』有朋堂書店 158頁)
『拾遺和歌集』恋三に収録された、紀貫之の歌だったのですね。恥ずかしながら、この時まで存じませんでした。異本によっては、「かえすがえすも」でなく「かえすがえすぞ」になっているようです。
歌の意味は、「あの人の事が忘れられないので、春の田を何度も掘り返すかのように、返す返す恋しく思われる事だ」といったところでしょうか?二人が言っていた通り、まさしく「恋の歌」。
そういえば、『太平記』で二人が読んでいた本では、「かえすがえすぞ」となっていたようですね。また、二人が見ていたのは『拾遺和歌集』でなく『古今六帖』。
少し解説を入れますと。『拾遺和歌集』は花山院の意思で編纂された三番目の勅撰集で、1000年前後に成立したもののようです。一方、『古今六帖』はその少し前に作歌の指針として成立した和歌集。『万葉集』や『古今集』を始め幅広く名歌を集め、題ごとに分類したのが特徴とされています。こちらにも、件の貫之の和歌は収載されているのですね。国際日本文化研究センターの和歌データベースで調べたところ、『古今和歌六帖』第四の恋の部にありました。
興味の向くままに本を色々読んでいると、思わぬところで思わぬものといきなり繋がったりします。これもまた、そうした事例の一つといえるのでしょうね。これぞ、読書の醍醐味の一つ。
【参考文献】
塚本哲三校『拾遺和歌集・後拾遺和歌集』有朋堂書店
関連サイト:
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