<読書案内>元木康雄著『源頼朝』
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2019年 02月 13日
今年に入っても、日本中世史関連の新書刊行は続いていて嬉しい限り。という訳で、今回は元木康雄著『源頼朝』(中公新書)をお題にしたいと思います。 言うまでもなく、頼朝は鎌倉政権の創設者であり、その後の日本政治史を大きく規定した一人。その生涯について、近年の研究成果ももとに改めて読み解いた一冊。無論、後の研究で更にイメージが変わるものもあるでしょうし、まだ議論中で研究者によっては異論がある点もあるでしょう。なので、本書の内容を鵜呑みにすることはできません。それでも、従来のイメージが大きく変わった点も多々あります。 武士にとって、京の王朝貴族との人間関係が重要な意味合いを持っていたのは存じ上げていましたが、思っていた以上に重要なものであったようです。頼朝だけでなく主要な武将たちの軍事行動をも少なからず規定していたようで。また、頼朝が流人としてほぼ身一つで東国に趣き、結果としてそこで決起した事。すなわち頼朝に累代の家人がほぼ存在しなかった事が、後に頼朝と御家人達のありように大きく影響を与えたそうで。少なくとも頼朝を評価する上で、関東武士と源氏の主従関係を過大評価する事はできないようです。 それを念頭に、「頼朝は何を目指していたのか」「その時々の朝廷との折衝が意味していたものは何か」「後白河や九条兼実、源通親と頼朝との関係性は」「晩年の宮廷工作は失策だったか」「頼朝にとって奥州藤原氏とは」といった様々な点が説かれていく様は、個人的にはミステリを読む楽しみにも通じるものがありました。 なお、本書によって一番イメージが変わったのは、頼朝よりむしろ弟・義経。才能豊かながら暴走した結果、粛正されたという印象を従来は持っていましたが、再考の余地があるようです。また、今まで思っていたのと少し実像は違ったようですが、義経は規格外の戦術指揮官である、という事を改めて印象づけられました。更に言えば、平家滅亡後の頼朝・義経の対立は、どちらが悪いと言うより「状況転変の急激さ」や「情報伝達手段の乏しさ」などに起因する不幸なすれ違いという性格も強そう。 無論、義経だけでなく範頼も十二分に優秀な指揮官です。対平家二面作戦が一時破綻するという不利な状況の中、見事な手腕を発揮したと言えるでしょう。 終章では、頼朝時代を通じて源氏将軍家が朝廷にとってどんな存在になったかも触れられます。義満以降の足利将軍家は、あるいは結果としてそのポジションにのっとったというべきなのかも。また、本書を読んでから坂井孝一先生の『承久の乱』を読むと話がよく繋がるかも。後鳥羽上皇の狙いがあくまで義時討伐であって倒幕でない、という坂井先生の説がよりしっくりくる気がしますよ。 とりとめもなく語ってきましたが、鎌倉期に限らず日本中世史に興味のある方は一見の価値ありです。
by trushbasket
| 2019-02-13 20:54
| NF
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