童貞云々より大事なこと、それは「まさしく人間らしい人間」であること
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人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
実際、童貞云々よりもっと大事なことがあると思います。それは、「まさしく人間らしい人間」である事。まあ、言われなくても、我々は人間に決まっている訳ですが。どういう事なのか。以下、追々お話して参りましょう。
とある男が思い詰め、かくなる上は生きている甲斐もないと、自ら狼に食われて果てようと山に入ります。しかしながら狼は男を襲おうとしません。狼の一頭が言うには、「お前は本当の人間だから食わない」とのこと。そして、その狼から眉毛を一本もらって男は人里に帰ったのです。狼の眉毛を通じて他人を見ると、ヒト以外の動物に見えたのだとか。狼からすれば、同じ人間でも間違いなく人間に見える人と、他の動物に見える人とがあったという訳ですね。主人公は、前者だったので取って食われる事はなかった。そういう事なのでしょう。
関連サイト:
「まんが日本昔ばなし~データベース~」(http://nihon.syoukoukai.com/)より
「No.0831 狼のまゆ毛」(http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=831)
ニセ者といえば人間だれしもニセ者である……。(劇画ふくしま政美『女犯坊 怒根鉄槌編』滝沢解原作 太田出版 500頁)
人間の一生とは 真の自己を見つけて歩く旅のようなものだ 自己を見出して初めてホンモノになれるのさ(同書 501頁)
さて。数々の傑作ショートショート小説を残した星新一の作品に、示唆に富むものがあります。その作品が言うことには。
もしも、心中で自らが人間である事を常に肝に銘じ、人間たるもの如何に生きるべきかをたゆまず考え学び実行するような者であれば。それならば、姿形がどうであれ人間といえるのではないか。
なるほどと思わされますね。「狼の眉毛」を通じても人間に見えるのは、そうした人物かもしれません。自己を見出した「ホンモノ」と言えるのは、そうした人々かもしれません。真実の自己を探す場所は、すなわち自らの心の中。
『柳田国男全集5』筑摩書房
菱川晶子『狼の民俗学』東京大学出版会
劇画ふくしま政美『女犯坊 怒根鉄槌編』滝沢解原作 太田出版
星新一『マイ国家』新潮文庫
『大辞泉』小学館
「青空文庫」(https://www.aozora.gr.jp/)より
「夏目漱石 夢十夜」(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html)
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