どうも、松原左京です。過去記事の中に、本居宣長による『源氏物語』研究書を部分的に現代語訳したものがありました。
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一部を切り取って抄訳した代物なので、どの程度信用するかは自己責任にて。
この中で、宣長はこう言っていました。
物語は、人の心のまことを描き出したものである。だから、世間の「正しさ」や道徳といったものとは、別の原理で動いている。世間の目からすれば、許しがたい不道徳が肯定的に描かれる事すらある。だが、それを道徳や「正しさ」で切ってしまうのは正しくない。それは「物語の魔」というべきものだ。物語は物語、道徳は道徳である。
私の眼からも、概ね頷ける言葉だと思います。まあ、本居宣長はアレな発言も少なからずしている御仁ですから、現代人がその言葉を無批判にありがたがるのはどうかとも思いますが、この論旨は決して間違ってないと感じました。
となると。物語や、それを始めとする芸術作品は、誰かの心の「まこと」を道徳とは別の原理で映し出したものであるからには、別の誰かを傷つけるリスクは必然的に持たざるを得ない。そんなしんどい推論も出てくる訳で。確かに、「誰も傷つけない、しかも優れた作品」が理想ではあるでしょう。そして、そんな作品もまた探せば見つかるでしょう。しかしそれは、「現時点において」「幸運にも」そうなっているという側面はどうしてもある。
残念ながら、芸術とか文学とかに触れる際は精神を傷つける「毒」成分があるかもしれない、作る際にはどうしても誰かにとって「毒」である成分が入るかもしれない。そういう覚悟を、常に持っておくべきなのかも。
芸術に「毒」がつきものなら、芸術そのものを排斥すればよいか、といえばおそらく話はそう簡単じゃ有りません。
上でも述べた通り、芸術が人間の心から生まれるものである以上、人間の心そのものに必然的に「毒」があるという事。しかも、芸術という手段を封じられて昇華・整理されないまま「毒」を持ち続けるとなると、その人間自身も周囲の人々も、より大きく傷つける殺伐とした結果に終わりそう。そんな気がしてなりません。
おそらく、「毒」を徹底的に世間から排除する、となると最終的には
Death solves all problems. No man, no problems.(Edited by Neil Cornwell, Reference Guide to Russian Literature, Routledge p703)
といった境地にまで行き着かざるを得ないのかも。まあ、一つの考え方ではありますが個人的にはちょっと勘弁してほしいですねえ…。ちなみにこの文句、ロシアの作家Anatoly Rybakovが小説'Children of the Arbat'作中でスターリンに発言させたものだそうです。文中でhumanでもpersonでもなくmanという表現を使っている辺りは、時代でしょうかね。
まあ、とはいえ。だからといって「誰かが傷つけるリスク」を野放しにしろ、というのも確かにちと無体かも。個人的には、表現者の皆さんには、せめて生の悪意をそのまま作中にぶちこむのはマナーとして自重してほしい、とは思います。…ですが、これらとて強制するとろくな事にならぬ気もしますねえ。誰かを傷つけるリスクはある程度やむを得ないからといって、傷つける事に無頓着でよい、という事には決してならない。一方で、傷ついたからといって何を言っても良い訳じゃない。これらは何度でも注意喚起する必要はあるでしょうけど。いつ、自分が逆の立場になるか分からないのですから。
とりあえず思いつく対策として。作り手は、作品に盛り込むキャラクター・人物が持つ魂や人格への尊重・敬意を忘れない事が肝要かと。…言いたいことが伝わりにくい表現かもですが。
関連サイト:
「XMS」(http://xms.blog-rpg.com/)より
一方で受け手が被る可能性がある「傷」への対策には。食物アレルゲンへの社会対策あたりが、あるいは参考にはなるかもですが…。なかなかに難しそうな問題ですね。
そういえば。芸術・文芸作品だけじゃない。考えてみれば食物だって、アレルギーなどの体質や宗教などの信条による問題があったりします。病気や怪我をして医療の御世話になるときだって、同様です。日々の生命を繋ぐ食物や、心身の管理をする医療ですら、誰かを傷つけるリスク、自らが傷つくリスクは常にある。たとえ霞を食って生きるにせよ、活性酸素による毒性という問題が。逃げ場、なし!まあ、ガンディーに言わせると、そもそも
わたしたちが身を置く場には、幾百万という微生物が棲息していて、わたしたちがそこにいるというだけで被害をこうむります。(ガンディー『獄中からの手紙』森本達雄訳 岩波文庫 21頁)
という事になるそうで。してみれば、生きている事自体が、誰かを傷つけうる事象といえるのかも。
そう考えると、人間が生きるというのは、つくづく大変ですね。まず、「生命を維持する」という一点からして決して容易ではない。まして、知的生命体にふさわしい内実を持ち、自我を守って社会に打ってでるとなると、それに輪をかけて苦労だらけ。確かに人間は、生きているというそれ自体で、誰かを傷つける危険はある。しかしその一方で、生きているという事自体が、十分に賞賛される資格もあるのかもしれない。そんな気もしてきました。
とりとめもなく書いてきたら、何となくいい話っぽくまとまったようです。これ幸いと、ここで筆を置かせていただきます。
参考文献:
Edited by Neil Cornwell, Reference Guide to Russian Literature, Routledge
ガンディー『獄中からの手紙』森本達雄訳 岩波文庫
『日本大百科全書』小学館