「足利直義は、戦下手である」
かつて、そう思っていた時期が僕にもありました。比較対象となる兄・尊氏が日本史全体で見てもトップクラスの名将である事や、直義が戦歴の最初において中先代の乱、対新田義貞と立て続けに大敗したのがこうしたイメージの一因だったかと。
しかし、イメージが変わるきっかけになったのは、南北朝武将たちの行軍速度を計測したとき。
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直義は、建武の戦乱において九州から上洛する際に陸軍を率いて1日14km程度の速度で進軍していました。
行軍速度に関する以前の記事も参考にするなら、「優れた組織」レベルの速度だとか。直義の統率能力の高さが示唆され、意外な思いをしたものです。それを契機に、直義の戦術指揮官としての能力を見直してみようという考えが生まれました。その結果をまとめたのが、下記の記事です。
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見直してみると、京都攻防戦では兵力の優位に助けられながらも北畠顕家・
脇屋義助という錚々たる面子を相手に一日粘って見せたりなかなかの指揮官ぶり。苦戦する事も多いだけに、名将と呼ばれるレベルに達しているかは疑問ながら、大軍を率いる指揮官としては水準以上の力量があったという結論になりました。
となると。序盤の大敗二つについて。手越河原については、相手が新田義貞ですのでエクスキューズはそう難しくありません。「直義が弱かったんじゃない、義貞が強かったんだ」で解決する話。実際、義貞は行軍速度からも優秀さが十分うかがえる上、尊氏相手にも怯まず戦巧者ぶりを発揮した事がありますしね。
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では、中先代の乱はどうか。やはり、敵方が強かったと評するべきなのか。それを検討したのが、下の記事。
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どうやら、北条方の指揮官・諏訪頼重は足利軍幹部を次々に討死させる大勝利を重ねつつ、1日30km以上の強行軍をやってのけた様子。やはり、「直義が弱かったんじゃない、頼重が強かったんだ」という結論が妥当のようです。
一見するとパッとしないように見える武将も、その戦いぶりを詳細に検討すれば意外な一面が見えるもの。そして、時には芋づる式にこれまで知られなかった「隠れた名将」にも気づける事があったりします。これも、歴史趣味の面白さの一つなんでしょうね。
それにしても。こうして再評価を重ねると、直義を破って意気上がる義貞に奇襲で勝利して形勢逆転したり、頼重を迅速な行軍で瞬殺した尊氏って、つくづくとんでもない指揮官だと再認識させられる次第。