2019年 05月 12日
<OBサイト記事再掲>「南朝忠臣」達の神社
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※OBサイト「れきけん・とらっしゅばすけっと」で掲載していた記事です。当該サイト消滅に伴い、最低限の修正を経て本ブログにて再掲載いたします。
はじめに
14世紀の日本を二分した南朝と北朝。近代に入ると、様々な経緯を経て南朝が正統とされ北朝は偽朝とみなされた事はご存知の方も多いと思います。そうした中で、南朝の忠臣達を顕彰するために彼らに関連する土地に彼らを祀る神社が建立されました。そうした神社の有名どころについて一覧形式でここでは挙げていきたいと思います。
・湊川神社(神戸市中央区)
旧別格官幣社 祭神楠木正成公 合祀正行・正季公以下将士 祭日7月12日
<楠木正成>
河内の豪族出身。後醍醐天皇が鎌倉幕府に対し挙兵した際に呼応し、赤坂城・千早城での篭城戦で幕府軍を翻弄。これが鎌倉軍の威信低下・各地での倒幕勢力蜂起に繋がっており功績・見通しは卓越している。建武政権下では河内・和泉・摂津に権限を与えられ、尊氏が反逆した後も後醍醐のため奮戦する。この際に情勢が有利な間に尊氏と和解する、京を一旦明け渡して包囲するといった献策をしたが受け入れられず、不利な戦いを強いられた湊川合戦で足利の大軍の前に力尽きる。後世に至るまで忠臣として称えられた。
<楠木正行>
正成の子。詳細は後述。
<楠木正季>
正成の弟。正成と共に戦い湊川で戦死した。その際に、「死ぬ際の一念で来世の善悪が決まるが、今何を思うか」と正成に問われた際に「七たび生まれ変わっても人間として朝敵を討ちたい」と答えた話は有名でここから「七生報国」という言葉が生まれた。
・四条畷神社(大阪府四條畷市)
旧別格官幣社 祭神楠木正行公 合祀正時公以下将士 祭日1月12日
<楠木正行>
正成の子。正成が戦死した後に楠木氏の当主として畿内南朝方の主力となる。数回にわたり足利方を撃破するが、四条畷で足利方執事・高師直の率いる大軍と遭遇し激戦を繰り広げた末に戦死。この戦いの直前に戦死を覚悟し吉野如意輪寺の扉に辞世を書き残したという逸話は有名。
・藤島神社(福井市)
旧別格官幣社 祭神新田義貞公 合祀脇屋義助公以下将士 祭日8月25日
<新田義貞>
源氏の血を引く関東の豪族。尊氏が後醍醐方に寝返り京を占拠したと同時期に挙兵し鎌倉を占領、鎌倉政権を滅亡させる。尊氏が後醍醐天皇に反逆した際には後醍醐方の総指揮官として軍勢を率い転戦するが苦戦を強いられる。後醍醐が吉野に逃れる前後に後醍醐の皇子・恒良親王を伴い北陸に向かった。一時はその軍事手腕で北陸に勢力を広げるが、黒丸城攻めの最中に督戦のため少数の兵で前線に向かう最中に敵の大軍に遭遇し戦死。なお、この地より兜が出土しており、義貞のものである可能性が指摘されている。
<脇屋義助>
義貞の弟。義貞の副将として奮闘。義貞死後も北陸で戦闘を継続するが戦況不利となって撤退、四国に渡航して勢力扶植を図るが間もなく病没した。
・菊池神社(熊本県菊池市)
旧別格官幣社 祭神菊池武時・武重・武光公 祭日5月5日
<菊池武時・武重・武光>
肥後に拠点を持つ豪族。武時は鎌倉方の九州における拠点である鎮西探題を攻撃するが戦死。武重・武光は武時の子であり、九州における南朝方の主力として活躍した。中でも武光は後醍醐の子・懐良親王を奉じて足利方の内紛に乗じて九州を制圧した事で知られる。
・名和神社(鳥取県西伯郡大山町)
旧別格官幣社 祭神名和長年公 祭日5月7日
<名和長年>
伯耆を拠点とする新興豪族。海運により経済力を付けたという話もある。隠岐に流された後醍醐天皇と連絡し、脱出した後醍醐を迎え船上山に篭城して鎌倉方を撃退した。その功績から建武政権では後醍醐に重用されている。尊氏が反逆した後も後醍醐方として働き、洛中での攻防で戦死。一族はそれ以降も南朝方として奮戦した。
・阿倍野神社(大阪市阿倍野区)
旧別格官幣社 祭神北畠親房・顕家公 祭日1月24日
<北畠親房>
後醍醐天皇の重臣の一人。尊氏が反逆し後醍醐が吉野に逃れた際、伊勢に南朝方の勢力を築く。後醍醐死後、関東に入り南朝方の勢力扶植に腐心するが果たせず。その後、吉野で南朝方の指揮を取り足利幕府の内紛に乗じて京都奪回を成功させる。南朝方の正当性を主張するため歴史書『神皇正統記』を執筆するなど当代有数の知識人でもあった。
<北畠顕家>
北畠親房の子。建武政権では東北地方を統括する奥州将軍府に赴任。尊氏が反旗を翻した際には上洛し尊氏軍を新田義貞・楠木正成らと共に西国に追い落とす。尊氏が再び京を占領し政権樹立した後、再度上洛を試みしばらくは破竹の進撃を続けるが、石津の戦いで高師直に敗れ討ち取られる。戦死する直前に後醍醐を諌めたことでも知られる。
・霊山神社(福島県伊達市)
旧別格官幣社 祭神北畠親房・顕家・顕信・守親公 祭日4月22日
<北畠親房・顕家>
上述。顕信は顕家の弟・守親はその一族である。
・北畠神社(三重県津市)
旧別格官幣社 祭神北畠親房・顕家・顕能公 祭日10月13日
<北畠親房・顕家>
上述。顕能は顕家の弟。
・結城神社(三重県津市)
旧別格官幣社 祭神結城宗広公 祭日5月1日
<結城宗広>
南奥州の豪族。鎌倉政権崩壊期に後醍醐方に付いた。息子の親光は後醍醐に寵愛されて尊氏との京と争奪戦で命を落としている。北畠親房と共に関東・奥州への南朝勢力扶植に腐心したが果たせず伊勢で病死。
・小御門神社(千葉県成田市)
旧別格官幣社 祭神花山院師賢 祭日4月29日
<花山院師賢>
後醍醐天皇の近臣。後醍醐が鎌倉政権に対して挙兵し奈良に逃れた際、後醍醐の身代わりとして比叡山に趣いた。露見して比叡山の協力が得られなくなって笠置の後醍醐の元に合流し、敗北後は捕えられ下総に流罪となりその地で没した。
他、南朝関係者を祭る神社は以下の通り
・鎌倉宮(鎌倉市)
旧官幣中社 祭神護良親王 祭日8月20日
<護良親王>
後醍醐天皇の皇子。早期から倒幕の志を持っていたともされる。後醍醐天皇が挙兵した際には比叡山・吉野などで僧兵や豪族たちに蜂起を呼びかけ倒幕勢力を組織化、後醍醐が隠岐に流された期間には実質上の総司令官として活躍した。後醍醐政権下では豪族達に人望のあった尊氏と対立する。しかしこれは結果として新政権の不安定要素となったのは否めず、また倒幕戦で総司令として発した令旨が後醍醐の綸旨と競合するなど後醍醐にとっても脅威となっていた。最終的には捕縛されて鎌倉に送られ、やがて中先代の乱の際に直義によって殺害される。
・金崎宮(福井県敦賀市)
旧官幣中社 祭神尊良親王・恒良親王 合祀新田義顕公以下将士 祭日5月6日
<尊良親王>
後醍醐天皇の皇子。後醍醐の事業に協力し、鎌倉に捉えられて土佐に流されたが脱出し九州で挙兵している。その後も新田義貞軍の旗印として擁立されており各地を転戦。最後は新田軍と共に越前金ヶ崎で篭城するが落城の際に自決。
<恒良親王>
後醍醐天皇の皇子。寵妃・阿野廉子との間に生まれた関係もあり皇太子に立てられる。尊氏との戦いの中で新田義貞と共に北陸へ下った。この際に後醍醐より帝位を譲られているようだ(ただし、後になり後醍醐はそれを撤回し自分が天皇と主張)。越前では独自の綸旨を発布し新田軍と共に金ヶ崎城に篭るが落城の際に捕えられ後に処刑される。
<新田義顕>
新田義貞の子。尊良・恒良と共に金ヶ崎城に篭るが落城時に自決。
・八代宮(熊本県八代市)
旧官幣中社 祭神懐良親王 祭日8月3日
<懐良親王>
後醍醐天皇の皇子。征西将軍として九州制圧を命じられ菊池氏に擁立された。一時期は足利方の内紛に乗じて大宰府に入り九州全土を支配下に置く事に成功したが、やがて今川了俊の九州制圧により勢力を後退させ八代で没した。
・井伊谷宮(静岡県浜松市)
旧官幣中社 祭神宗良親王 祭日9月22日
<宗良親王>
後醍醐天皇の皇子。後醍醐が挙兵した際には天台座主として比叡山僧兵を支配下に置くべく奔走した。尊氏反逆後も南朝方勢力扶植のため信濃・遠江など各地で転戦。歌人としても有名で『新葉和歌集』『李花集』を編纂している。
・吉野神宮(奈良県吉野郡吉野町)
旧官幣大社 祭神後醍醐天皇 祭日9月27日
末社 御影神社 祭神日野俊基・資朝公
船岡神社 祭神児島範長・高徳公、桜山茲俊公
滝桜神社 祭神土居道増・得能道綱公
<後醍醐天皇>
皇室が持明院統・大覚寺統に別れて争っていた時代に大覚寺統・後宇多天皇の子として生まれる。名は尊治。天皇に即位すると優れた政治手腕で朝廷の支配が及ぶ京都周辺での政治改革を行い高い評価を得た。自らの系統へ皇位を残そうと試行錯誤した結果、最終的に鎌倉政権打倒のため挙兵する方向へ。緒戦は敗れ隠岐に流されるものの最終的に倒幕に成功し朝廷による統一政権を実現する。しかし新政権への反発を抑え込むことができず足利尊氏の反逆により政権は瓦解。吉野に逃れ尊氏が擁立する持明院統の朝廷と対立するが、足利方との戦いが不利になりつつある中で病没した。
<日野俊基・資朝>
後醍醐天皇の寵臣。後醍醐に従い鎌倉政権打倒のため計画を主導した。そのための味方を募るため各地の豪族に連絡をとったりもした。計画が露見して捕縛され、鎌倉方に処刑された。
<児島範長・高徳>
修験道の中心地である児島半島の豪族。後醍醐天皇に味方し活動したとされるが、彼ら個人の実在については疑問もある。高徳が隠岐に流される後醍醐に対しまだ忠臣が残っている事を桜木に記した逸話は知られている。
<桜山茲俊>
備後の豪族。楠木正成が赤坂で挙兵したのに呼応するが、その落城の報を聞いて自害。
<土居道増・得能道綱>
伊予の豪族。水軍を率いて南朝方として活動。
・吉水神社(奈良県吉野郡吉野町)
旧村社 祭神後醍醐天皇 合祀楠木正成公・宗信法印 祭日9月27日
<宗信法印>
吉野吉水院の院主。後醍醐が崩御した際に動揺する貴族達を一喝し人心を安定させた。
・作楽神社(岡山県津山市神戸)
旧県社 祭神後醍醐天皇・児島高徳公
近代の神社分類
近代になると、天皇を中心として国民をまとめ上げるために神道が利用されました。その際、全国の神社が格付けされ体系だてられています。これは延喜式に倣ったもののようです。分類は以下のようになります。
・官国幣社(官社)
祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社で、中央の神祇官が祀る官幣社と地方が祀る国弊社に分かれます。順位は以下の通り。
官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社
他に、国家に功績を挙げた人物を祀る神社として別格官幣社があります。
・諸社(民社)
国家以外から奉幣を受ける神社です。奉幣を受ける先によって序列が決められています。
府社・県社、郷社、村社、無格社
おわりに
南朝方の人物を祀るという行いは、前近代に全く行われなかった訳ではありませんでした。ただ、敵手である足利尊氏により慰霊・怨霊慰撫の目的で仏教寺院建立・菩提供養目的での田地寄進といった形で行われたものでした。それと比較して、近代の「南朝忠臣」神格化は慰霊と言うより顕彰という性格が強そう。近代国家における天皇・国家への献身的忠誠を鼓吹する上で宣伝効果を期待する目的が大きい印象です。是非はおくとして、近代・前近代でありようが変わったという事なんでしょうね。
【参考文献】
『神社祭神事典』展望社
村上重良著『国家神道』 岩波新書
『日本大百科全書』小学館
高柳光寿著『足利尊氏』春秋社
村松剛『帝王後醍醐』中央公論社
『ピクトリアル足利尊氏南北朝の動乱』学研
植村清二『楠木正成』中公文庫
森茂暁著『皇子たちの南北朝』中公新書
森茂暁『太平記の群像』角川選書
『日本古典文学大系太平記』一~三 岩波書店
虎尾俊哉『日本歴史叢書延喜式』吉川弘文館
陳舜臣『山河太平記』ちくま文庫
「津山市公式観光サイト」(http://www.tsuyamakan.jp/)
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※2019/5/16 不完全な部分を修正。
by trushbasket
| 2019-05-12 13:19
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