2019年 05月 18日
<OBサイト記事再掲>とあるエリート教育に関する一駄弁~ある書曰く、かつての英国パブリック・スクールは「リアル男塾」?~
|
※OBサイト「れきけん・とらっしゅばすけっと」で掲載していた記事です。当該サイト消滅に伴い、最低限の修正を経て本ブログにて再掲載いたします。
はじめに
『魁!!男塾』という漫画をご存知でしょうか。1980年代に「週刊少年ジャンプ」に連載され、『北斗の拳』『キン肉マン』『聖闘士星矢』などと同様に看板作品となった、宮下あきら先生の作品です。
男塾とは、創立300年以上の歴史を持つ東京都にある架空の私立男子校で、塾長江田島平八の下で全国の高校の手に余る不良少年達を集めて鍛え上げています。作中で、江田島塾長は豪語して、
男塾は落ちこぼれの集まりなどではなく、真のエリート集団だ。鍛え上げられた卒業生たちはやがて、社会のあらゆる分野で日本をリードしていくはずだ
といった内容の発言をしています。さてこの『男塾』、連載初期は戦前の鬼教官たちが軍国主義を髣髴とさせる無茶苦茶で過酷なシゴキを敷く様子を描くドタバタコメディでした。ここから、男塾における日常風景を見ていくと…。
教官・上級生に対しては絶対服従を要求され、無茶で理不尽な訓練や命令は日常茶飯事。寮生活や合宿でもまた質実剛健の名の下でシゴキや無体な食生活を余儀なくされ一つ一つが命懸け。違反しようものなら男塾伝統の過酷な折檻・処罰を受けさせられました。
また、新入生歓迎のイベントでは、底の抜けた瓶を顔に被せられ酒を際限なく注ぎ込まれて溺死しないよう飲み続けなくてはいけない儀式、灼熱の鉄板の上で熱さの余り飛び回るのを見て楽しむ「悶邪の舞」といった「伝統の儀式」が行われる有様でした。
更に、ラグビーやボクシングといったスポーツを独自のルールで(危険で命懸けの代物に)アレンジし試合が行われたり、後述するように伝統的な格闘大会も行われました。他にも、頭に硫酸を入れた湯飲みを載せ全員身体を縄で繋ぎ合わせた上で座禅を組ませるなどの荒行もしばしばだったようです。
学業について見れば、「武士道とは死ぬ事と見つけたり」という文句で知られ没我的武士道を鼓吹したとされる『葉隠』(※)を教材として使用して精神教育を行っていたようです。その一方で、一般科目は軽視されていたようで、九九を暗誦できるとされる生徒がインテリと目される有様でした。
因みに、『男塾』は途中から当時の「ジャンプ」における大多数の漫画と同様に人気獲得のため格闘路線を歩む事となります。男塾内部で上級生と繰り広げられた伝統的決闘、外部のライバルとの闘争、更に闇の世界で繰り広げられる破天荒なトーナメントが続々と展開され人気を博しました。
主要な登場人物は、ほとんどが中国拳法やインド・エジプト等に起源を持つと設定される様々な奇想天外な武術の達人とされ、数々の秘技を駆使した戦いが繰り広げられました。その際、数々の秘技の内容・由来に通暁した塾生が散見され、伝統ある武術の知識や心得が重んじられていたと推測されます。
尚、余談ですがこれらの戦いで見られる塾生たちの生命力は驚嘆に値するもので、明らかに命を落としたと思しき人物が「最高峰の中国医術により」生還し戦線復帰した事すら珍しくありませんでした。男塾の人命軽視とも思える苛烈な教育方針もある意味納得がいくというものです。
ここで、一つの疑問が浮かび上がってきます。果たして、これがエリートを育てる教育といえるのか?この男塾からエリートが育つと言う事が信じられるものなのか?
英国のエリート教育
そもそも、エリート教育とはどのようなものなのか。ここで、それを理解するための手近な例として現在も貴族階級が生き残っており伝統的な貴族教育について明らかになっている英国の教育を見ることにしましょう。一般に、貴族即ちエリート階層は次のような教育課程を受けると言われています。
・プレップ・スクール:6-14歳前後の子弟を対象とした全寮制・男女別学の私立学校。
・パブリック・スクール:プレップ・スクールの次段階で11-18歳頃の子弟を教育する全寮制・男女別学(大半は男子校)の私立学校。中でもイートン、ハロウ、ラグビー、ウェストミンスター、ウィンチェスターが名門とされる。
・大学:パブリック・スクールを卒業した子弟が進学。多くはオクスフォードかケンブリッジのいずれかである。多くのコレッジに分かれ、そこを根拠にした教師一人に学生数名の個人指導が中心。特定のテーマについて論理的に健闘し成果を発表する形で専門教育が厳格に行われる。
パブリック・スクール
英国のエリートたちがたどる教育課程の中で、鍵を握ると言えそうなのがパブリック・スクールです。十代前半から後半という、多感な年代をここですごす事になり、その人格形成に大きな影響を与える事は想像に難くありません。では、パブリック・スクールにおいてどのような教育がなされていたのか、それを見ていくこととしましょう。手元にある書物によれば、以下のように描写されています。
パブリック・スクールの教育の基本は、人格の陶冶と将来よき指導者になるための資質を磨くことにある。したがって、チャペルでの礼拝を通じて宗教教育がおこなわれ、集団生活を通じて忍耐力と指導力、自立心が培われ、スポーツを通じて克己心とフェア・プレイの精神が育てられるのだが、これに比べて学業のほうはあまり重要視されなかったようだ。
もちろん、古典語(ラテン語、ギリシア語、そして時にはヘブライ語も)教育が厳しかったことは事実だが、一方、数学や理科といったいわゆる実用的な学問は概して軽視された(※※)し、フランス語、ドイツ語なども重きを置かれたとは言えない。
(ともに小林章夫『イギリス貴族』講談社現代新書 86頁)
午前中は相変わらず古典語を中心とした教育に時間がさかれるものの、午後ともなるとスポーツに熱中する
(同書 87頁)
この寮生活は厳しい上下関係から成り立っている。ハウス・マスターと言われる指導教官はきわめて厳格で、規則に違反した生徒は容赦なく罰せられる。…(中略)…しかしハウス・マスター以上におそろしいのは、上級生である。五〇人ぐらいの生徒が同じ寮に入り、上は一八歳から下は一三歳ともなれば、新入生にとって最上級の生徒はほとんど雲の上の存在である。…(中略)…それでなくとも血気盛んな年頃の子供たちが集まっているのだから、ケンカや暴力沙汰は頻繁におこるが、上級生にたてでもつこうものなら、『下級生しごき』がおこなわれることを覚悟しなければならない。
(同書 90頁)
更に、名門パブリック・スクールであるラグビー校の十九世紀における様子を活写した小説『トム・ブラウンの学生生活』にはこんな描写も。
六級生の連中はまだ姿を見せなかった。それで、それまでの場ふさぎに、古い由緒のある、面白い行事が行はれた。それは、新入生が一人残らず、順次にテーブルの上に立たせられて、独唱をやらせられ、もしそれを断つたり、泣き出したりすると、罰として塩水のはひつた大ヂョッキを飲ませられるのだった。(トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活(上)』前川俊一訳 岩波文庫 144頁 漢字は新字体に直しています)
この小説は「全体としてラグビー校を理想化して描いている」(小林章夫『イギリス貴族』講談社現代新書 91頁)という話なので、この描写すらもかなり抑えたものである可能性はありそうです。
因みに、プレップ・スクールの教育方針も同様のものであったといわれています。
「魁!!パブリック・スクール」?
こうしてみると、小林氏の著作に描かれたパブリック・スクールで見られた光景は男塾でのそれとかなり似通っているのが分かります。理不尽な上下関係と厳しいしごき、上級生による下級生いびり、古典重視・一般実用強化軽視の学業、精神教育の重視、スポーツ重視など。
好意的に見るならば、両者の教育は、学力そのものよりも強固な精神力・強靭な心身・強い絆で結ばれた人脈を重んじていると言えるのかもしれません。
男塾は、直接的には江田島の海軍兵学校をモデルにしているとどこかで聞いたことがあります(どこでかは忘れましたが)。事実なら、日本海軍は英国海軍を手本として創立されている事・海軍士官もまた国家を支えるエリートである事を考えると、英国のエリート教育と多くの類似点を持つ事は決して偶然ではないのかも知れません。因みに、『男塾』続編において語られる未来では、主人公・剣桃太郎が内閣総理大臣となったのを筆頭に、嘗ての塾生たちが政財界の大物として卒業後においても強い絆で結ばれている事に言及しておきましょう。
しかし、近年の様々な例を挙げるまでもなく、こうした教育は一つ間違えれば教育の名を借りた理不尽な暴力・虐待・差別の肯定に堕してしまう危険を孕んでいると言えます。始末に困った子供を「矯正」するために同様な方針の教育を安易に志向する話が時に聞かれます。確かに、そうした教育はある時代や地域において「選ばれた人間」を育てる上であるいは実績があったのかも知れません。しかし、現代日本が軽々にまねして良いものではない事は無論のことです。英国はこの辺に関して長い歴史で培った伺い知れないノウハウがあるのでしょうが、表面だけをうかつにまねると大変な事になりそう。少なくとも個人的には肯定したくないし遠慮したいなあ、とも思います。
まず、こうした教育では、与える方にも相応の資格が要求される事は言及すべきでしょう。男塾においても、塾長たる江田島平八は大戦中の米国をも大いに畏怖させた傑物であり、並外れたカリスマの持ち主である事は特筆されて然るべきかと。更に、心身のケアやアフターフォローだって重要です。男塾には王大人なる人物が最高峰の中国医術を会得しており、彼の下で助かるすべがないと思える塾生たちすら心身ともに完治させるシステムが備わっているのは上述した通り。最低限、それだけの人間力や技術力・設備力は要求したいところ。パブリック・スクールも形は違えど、その手の感化力やケアシステムはあったのでしょうし。生徒の実家が太いから、厳しくはあっても粗略にはできないでしょうから。現代日本で、そうした条件を満たせるところはどれだけあるやら、気になるところ。
更に英国エリート教育においては、卒業後に大学において厳格に学問に励んでおり、学問・知性が決して蔑ろにされているわけではないことを忘れてはなりません。
豊かな教養や知性・徳性をそうした教育の過程で与える事が出来ず、心身への十分なアフターフォローができないのならば、それは悲喜劇でしかありません。パブリック・スクールとて、一部だけを抜き出してみればギャグ漫画と同レベルでしかないのですから。
※一般には死を美化し軍国主義を肯定していると思われている『葉隠』であるが、実際には作者山本常朝自身が「私だって、生きる事が好きである」と述懐しているように決して命を捨てることを闇雲に正当化する書物では必ずしもないとも言われる。嫌な上司からの酒の断り方、部下の失敗のかばい方など現代サラリーマンのビジネス書に近い性格の部分もある。現代から見れば凄絶な内容なのは否定のしようはないが。
※※その後は大学進学への基準も厳しくなっている。小林氏の著作が出された時点では已に、パブリック・スクールでもかなり理数系の教科に力を入れるようになっているという。
【参考文献】
小林章夫『イギリス貴族』講談社現代新書
トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活(上)』前川俊一訳 岩波文庫
『魁!!男塾である!!』集英社
宮下あきら『魁!!男塾』1-20 集英社文庫
『日本大百科全書』小学館
和辻哲郎・古川哲史校訂『葉隠』上・中・下 岩波文庫
関連記事:
僕個人としては、教育は以下のような心構えであってくれたらなあ、と思います。
by trushbasket
| 2019-05-18 14:22
| NF








