漢詩の中でも、絶句・律詩のような近体詩は平仄や押韻といった規則がかなりきっちりと決まっています。詳しくは
こちらの記事を参照の事。
さて、ここで面白いことに気がつきませんか。絶句の場合、起句・結句は二文字目・六文字目の平仄、四文字目の平仄、押韻が同じになります。つまりかなり似通った構造になるわけです。やろうと思えば、起句と結句に同じ文句を持ってくることも平仄・押韻という視点だけから言えば不可能ではない。
という訳で。今回、起句と結句が全く同じである珍しい漢詩をご紹介しようかと。作者は伴林光平。幕末期の尊攘活動家です。元来は河内の浄土真宗寺院で住職をしていましたが、国学などに傾倒して還俗。天皇陵の復旧を志して調査を行ない、朝廷から高い評価を受けています。文久三年(1863)に大和国五条で天誅組の蜂起に参加しましたが敗れて捕らえられ処刑されました。
そんな人物の詩なので、拝外思想とかナショナリズムとかで今日から見ればアレなのはあらかじめ御了承ください。ではとりあえず、見ていきましょう。
辛酉二月出寺蓄髮時作
本是神州淸潔民
謬爲佛奴説同塵
如今棄佛佛休恨
本是神州淸潔民
<読み下し>
本是れ 神州 淸潔の民
謬つて佛奴と爲りて同塵を説く
如今 佛を棄つ 佛恨むを休めよ
本是れ 神州 淸潔の民
(詩・読み下しとも猪口篤志著『日本漢詩 下』明治書院 411頁より)
<超意訳>
私は元来、神国日本の清浄さに生まれついた民であった。
しかしながら何を誤ってか仏の僕たる僧侶となって仏教の教えを説くはめになった。
今、私は仏教を棄てようと思う。だが仏よ、どうか恨まないでほしい。
私は元来、神国日本の清浄なる民なのだから。
平仄・押韻は下記。○が平声、●が仄声、◎は平声で韻脚。なお、平仄については
こちらを参照ください。韻脚は民、塵、民の「上平声十一平」。
●●○○○●◎
●○●●●○◎
○○●●●○●
●●○○○●◎
以下、語句を適宜解説。
・神州:神の国。中国・日本とも、自国を尊んでこう呼ぶ事がある。
・同塵:「和光同塵」とも。光を和らげて塵と同じくする、すなわち自らの優れた徳を隠して俗世間に交わる事。元来は『老子』にあった表現だが、仏教に取り入れられ仏が姿を変えて一般世間に交わり人々を教化するという意味合いになった。ここでは、そうした仏教の教え一般(特に浄土真宗)という意味であろうか。
題名からするに、還俗した際の詩なのですね。起句がまず大前提としてあり、「にもかかわらず…」という形で承句、そして転句を経て結句で改めて「大前提」に立ち戻る。最初は「大前提」に無自覚だったが、最後は自覚的。そういった効果を表しているものでしょうか。内容は人を選びまくるとはいえ、工夫としては面白い。
さて。実のところ、近体詩には「一字不重用」という原則があります。すなわち、同じ文字を二度は使わないという法則です。ただし、例外規定もありまして、重ね字の場合や、「詩の表現として重ねて用い、詩の表現として効果があがる場合」(一海知義著『漢詩入門』岩波ジュニア新書 205頁)は許されるのだとか。起句と結句を全く同じにするのも、詩の表現として効果を上げるためという例外規定の拡大解釈はできなくもないのかもしれません。
気になるのは、転句の下三字。三文字目・四文字目とも仄声の場合に六字目を孤平にするのはよかったのでしたっけ?恥ずかしながらちょっと自信ありません。ひょっとすると、絶句としては厳密には問題あるのかも。
まあともあれ、平仄・押韻の都合からやろうと思えば起句・結句を同じにする事もできなくはない、というちょっと興味深い形式をした詩の一例でした。
【参考文献】
猪口篤志著『日本漢詩 下』明治書院
一海知義著『漢詩入門』岩波ジュニア新書
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版
『日本大百科全書』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
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