宝筐院の足利義詮・楠木正行墓碑について~藤田精一『楠氏研究』の見解は~
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関連サイト:
「京都嵯峨野・宝筐院」(http://www.houkyouin.jp/)
余明日軍素志覚悟討死矣、願窃葬賜余首於貴院(同書 同頁)
楠家之一族者、雖吾家之怨敵、真可謂南朝忠臣矣、吾逝去之後者、可建墓碑於正行之墓側也矣(同書 同頁)
正月五日、小楠氏の四條畷に在陣せしことの不思議なるに、搗てて加えて、其の戦死を翌六日となせるが如きは、史実に合せざる甚しき所(同書 同頁)
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2019年 06月 22日
京都・嵯峨野にあまたある、由緒ある寺社。その中の一つに、宝筐院というところがあります。
関連サイト: この寺は南北朝愛好者の間では、ちょっとした有名スポット。というのも、南朝の名将・楠木正行や足利第二代将軍・足利義詮の墓碑が並んでいるからなのです。こうした恩讐を超えた墓碑の並びの由来は、藤田精一『楠氏研究』によれば天龍寺塔頭の寿寧院が所蔵する、禅僧・呉渓が書いたとされる記事が元だそうです。 それによれば。呉渓は正行と旧知の仲であり、「南朝正平四年正月五日」に四條畷で陣中にあった正行と面会します。その際、正行は「白雲立峯」と呼びかけ、これに対し呉渓は「雷電切雲」 と応答したのだそうで(藤田精一『楠氏研究』廣島積善館 344頁)。そして、正行は莞爾として 余明日軍素志覚悟討死矣、願窃葬賜余首於貴院(同書 同頁) と述懐。すなわち、つまり、討死を覚悟した正行から、呉渓は菩提を弔うよう託された訳です。それに従って、翌日に正行が戦死した後、呉渓は彼の首級を寺に埋葬した。それが、宝筐院に正行の首塚がある由来だというのです。 そして時は流れて。呉渓は時の足利将軍・義詮から帰依を受けていました。ある時、義詮との間で「偶談楠朝臣首塚」(同書 同頁)、つまりたまたま正行の首塚に関して話題になりました。そして義詮は、 楠家之一族者、雖吾家之怨敵、真可謂南朝忠臣矣、吾逝去之後者、可建墓碑於正行之墓側也矣(同書 同頁) と述べたというのです。敵ではあってもその忠義ぶりに感銘を受け、正行の墓の隣に自分を葬るよう依頼したというのですね。呉渓がその願いに応えたのは言うまでもなく、それが敵味方を超え二人の墓が隣り合わせになっている理由だとか。 しかしながら。この文書を紹介した藤田精一氏は、この逸話に関して懐疑的だったようです。まず文書そのものに着目し「前記添文の文体書風、共に当該時代のものに合せざる」(同書 345頁)ものであるし、合戦記述に関する日程もおかしい。というのは、 正月五日、小楠氏の四條畷に在陣せしことの不思議なるに、搗てて加えて、其の戦死を翌六日となせるが如きは、史実に合せざる甚しき所(同書 同頁) なのだとか。そこから、「呉渓添文とやらの史的価値、以て知るべきのみ」(同書 346頁)と藤田氏は結論しています。残念。少なくとも、義詮が正行の隣に埋葬するよう依頼した確実な証拠かというと厳しいのかも。 まあそれでも。『太平記』『梅松論』にあるように、足利尊氏が楠木正成に敵ながら敬意を抱いていたのは間違いないところ。次世代の義詮も似たような感情を抱いていたというのもありえない話ではないようにも思います。個人的には、偉大な父を持ち奮闘した第二世代として、敵味方を超えた共感というか敬意を寄せていたとしたら、何となくロマンがあるなと思う次第。まあ、史学的にはそういう態度ではいかんのでしょうが、一ファンがそうして妄想する分には許されるでしょう。 余談ながら。最後となる合戦の直前に禅僧と問答し晴れ晴れとした心で死地に向かう、という伝承は父・正成にも存在します。禅宗もまた、楠木氏の皆さんのことが好きだったのかも。 【参考文献】 藤田精一『楠氏研究』廣島積善館 有馬頼底著『やさしくわかる茶席の禅語』世界文化社 塙保己一編『群書類従 第拾四輯』経済雑誌社 『日本古典文学大系太平記』一~三 岩波書店 関連記事: 正行は、四條畷神社の祭神でもあります。 父・正成は足利方から畏敬の念で見られていた、という話。
by trushbasket
| 2019-06-22 17:33
| NF
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