どうも、松原左京です。ご無沙汰しています。拙著『童貞の世界史』まえがきにある通り、
人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
という事を繰り返しこの場をお借りして申し上げてきました。
とはいえ。現代日本で生涯童貞(※)を貫く場合、考えておく必要がある問題があります。それは、将来的な「孤独」への備え。例外はあるとはいえ、生涯童貞を貫くという事は、かなりの確率で生涯独身でもあるという事になるようです。少なくとも現代日本においては。
※通常、「童貞」という言葉は性愛経験のない男性に使用しますが、古来は修道女などに使用された言葉でもある事から、ここでは男女双方をひっくるめて用いています。
ただし、結論から先に申し上げると、「孤独」「孤立」に関する問題は、童貞・独身であるかどうかとは必ずしも対応しないようです。童貞・独身だからといって過度に恐れる必要は必ずしもなく(無論、備えは必要ですが)、一方で結婚しているからと言って安泰という訳でもない。その辺りについては、末尾にリンクした関連サイトを御覧戴ければと存じます。
この記事では、当ブログの過去記事から、そうした話題に関連していそうなものをいくつかご紹介しようかと思います。
もっとも、「こうすれば100%安泰」という訳では残念ながらありません。人としてなし得る最善を尽くしても、孤独・孤立に陥るときは陥るのもまた事実。ただし、これも独身でも既婚でもいずれにも言える事ではあります。
そして、それはそれとして。個人レベルの心構えとして、「孤独と向き合う」事も必要です。基本的に一人で生きる場合は、特に。
関連記事:
孤独への覚悟を予め持っておくのは、結婚していようがしていまいが必要なことだと思います。どのような生き方であろうと、どこかで孤独と向き合う事になるのですから。特に生涯の最後においては。そのためには、自分というものをしっかりと自覚し、精神的に自立する事も大事です。
関連記事:
内面をしっかりと確立、自立させる必要に関する話。
精神的な拠り所は世間にではなく、己自身におくのでなければ、という話。
まとめますと、「何らかの形で、自分にとってストレスの少ない形で、社会と繋がりを保つ」「どう生きようと結局は己は独りである事を認識し、主体性をもって精神的に自立すること」が肝要なのかと思います。生涯童貞・独身であろうと、結婚していようと、それは同じ事。縁あって恋愛や結婚で結ばれる事は、無論素晴らしいことだと思います。しかし、「将来の孤独」を脅し文句として童貞・独身を志す人々を無理にせき立てるのは、何か違うんじゃないかな、と感じる次第。孤独・孤立という観点からは、童貞だとか独身だとか既婚だとかいった要素は二次的な問題だと考えますので。
という訳で。毎度のことではありますが、
人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
という文句で締めておこうかと思います。
関連サイト
「結婚しない人が増えたのは自然なこと」荒川和久さんが指摘する「ソロ社会」とは
「結婚しているかどうか」と「孤立しているかどうか」は必ずしも関連しない、というお話。
「一人でいられない人は、誰と一緒にいても寂しい」
内面をしっかり確立させていなければ、表面上誰かと一緒でも満たされないという話。
※2019年7月7日 関連記事を追加。