2019年 07月 17日
性愛と縁が無くとも満たされた事例の話~常に感じている、酔っている~
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どうも、松原左京です。善し悪しはともかく、現代社会において恋愛とか結婚とかが男女を問わず幸福か否かを定める上で馬鹿にならぬ要因である。それは否定できないようです。
しかしながら、これまた男女を問わず、全員が恋愛やら結婚やらを望んで得られるとも限らない。これも、否定できない事実のようで。しかも、これは相手あっての事ですし、相手方にも事情や意志はありますから、無理をするのもそれはそれで問題。
とはいえ、恋愛や結婚を経験しない人間が全員不幸なわけでは勿論ない。『童貞の世界史』の中にも、恋愛や結婚を経験せず、しかも幸福そうな生涯を送った人々は少なからず登場します。
という訳で、恋愛とか結婚とかに頼らず、精神的に満たされていた事例のお話をしてみようかと思います。これもまた、『童貞の世界史』関連の話題と申し上げて良いかと存じます。
詳しいことは存じませんが、とある人がチベット仏教僧に「女性なしでなぜ一生を過ごせるのか」と尋ねたところ、「常に感じていれば大丈夫」との答えが返ってきたという話があるそうです。
関連サイト:
「里屋-ヒーリングブログ-」(http://satoyahealing.blog97.fc2.com/)より
「肉欲を試される…婆子焼庵【ばすしょうあん】」(http://satoyahealing.blog97.fc2.com/blog-entry-182.html)
そういえば。チベット仏教に関する書籍で、性的エネルギーを否定するのでなく制御し高い境地に至った僧は現実のパートナーは「邪魔ですらあ」るという話もありました(括弧内はツルティム・ケサン、正木晃『増補チベット仏教』ちくま学芸文庫 162頁より)。なお、『童貞の世界史』でも、ダライ・ラマ五世の項目で少しこの手の話題に触れています。
ここで思い出されるのが、近代日本の政治活動家・頭山満の話。彼の場合は、性愛でなく酒関連ですが。『下戸の逸話事典』によれば、頭山は酒を好まず(※)「俺は飲まんでも酔うとる」(鈴木眞哉著『下戸の逸話事典』東京堂出版 131頁)と称していたとか。そのせいかどうかは存じませんが、周囲から「この上酒まで飲まれたら手がつけられやしない」(同書 132頁)と言われるほどエネルギーに満ちた人物で、事の善し悪しはさておき近代政治史に小さからぬ影響力を発揮したのだそうです。
※体質的な理由ではなく、その気になればかなり飲めたのだそうです。
チベット仏教の僧侶にせよ、頭山満にせよ、性愛や酒といった刺激を外部から受けなくとも己内部に由来するエネルギーで充足し十分な快感を得ていたと見るのはそう的外れではなさそうです。
快楽にせよ、自己肯定感にせよ、外部に依存するのではなく己の内でしっかり充たす事ができるなら。たとえ性愛なり結婚なりを遠ざけていたとしても幸せに生きる事ができる。そう考えることはできそうです。
皆がこれを真似る事は難しいかもしれない。でも、これを頭の片隅において少しでも顰みに倣おうと努めたなら、あるいは何かが違ってくるかもしれない。そんなよしなし事を思ったりもする今日この頃です。
参考文献:
ツルティム・ケサン、正木晃『増補チベット仏教』ちくま学芸文庫
鈴木眞哉著『下戸の逸話事典』東京堂出版
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※2019/7/17 末尾あたり、追記。
by trushbasket
| 2019-07-17 20:47
| 松原左京









