<言葉>「生死根源早可截断」~足利尊氏の毎年の書き初め~
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2019年 08月 08日
我が国は、長らく仏教の影響を強く受けてきました。それだけに、時の為政者が残した言葉にも、仏教思想の影響が色濃いものが時に見られたりします。
有名なところでは、聖徳太子は、「世間虚仮唯仏是真」(※1)と述べていたとされています。彼の事跡のどこまでが史実かは意見が分かれるようですが、仏教が日本に定着するのに大きく貢献した一人とされるだけはありますね。 ※1 「この世の全ては空しい仮のものであり、仏の教えだけが真実である」という意味。 他には、徳川家康が「厭離穢土欣求浄土」(※2)という言葉を旗印に用いた事も知られていますね。 ※2 煩悩にまみれた現世を厭い、極楽浄土に生まれ変わる事を心から願うこと。 こうした事実を踏まえると、南北朝好きとしては「じゃあ、我等が足利尊氏はどうだったのかな?」という点が気になるところです。尊氏も、自ら地蔵像を描くなど仏教への傾倒は浅からぬものがありますから。 ところで。『臥雲日件録抜尤』という文書があります。これは、足利中期の禅僧・瑞渓周鳳が残した日記『臥雲日件録』をところどころ抜き書きしたもの。鹿苑院塔主として足利義政の信頼も篤く、当時の政権中枢を知る上で貴重な史料であるとか。この日記が尊氏について言及しているのは享徳四年(1455)正月十九日のこと。瑞渓周鳳は、この日、自らを訪れた七十五歳の老僧から尊氏に関する逸話を聞いたのです。 その中に、尊氏の書き初めに関する話題も。曰く、 尊氏毎歳首吉書。曰天下政道不可有私。次生死根源早可截断云々。(近藤瓶城編『続史籍集覧 第三冊』近藤出版部 404頁) とのこと。毎年、書き初めとして「天下の政道、私有るべからず」「生死の根源、早く截断す可し」と記すのが恒例だったという訳ですね。前の方は、現代から見ても政治家の発言として飲み込めます。「天下の政治を行なうには、プライベートな事情・感情を持ち込んではいけない」といった意味ですね。問題は、もう一つの方。「生死の根源」とは「生死の根本」ともいい、解脱できず輪廻転生を繰り返す元となる迷いの事。「截断」は「せつだん」とよみ、「ズバッと切り離す事」を意味します。つまり、「悟りの妨げとなる迷いを、早くスパッと切り離さなくてはいけない」といった意味ですね。足利時代らしく、何だか禅宗っぽい雰囲気がする言葉です。 尊氏は最晩年に至るまで、色々と苦悩深い人生を送った印象があります。それだけに、自らに言い聞かせるような思いで毎年、これらの言葉を書き記していたのでしょうね。 という訳で。聖徳太子の「世間虚仮唯仏是真」、徳川家康の「厭離穢土欣求浄土」だけでなく。足利尊氏の「生死根源早可截断」も頭の片隅に記憶しておこうと思います。 【参考文献】 『大辞泉』小学館 『日本大百科全書』小学館 大桑斉『日本仏教の近世』法藏館 清水克行『足利尊氏と関東』吉川弘文館 近藤瓶城編『続史籍集覧 第三冊』近藤出版部 『精選 日本国語大辞典』小学館 関連記事:
by trushbasket
| 2019-08-08 20:26
| NF
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