武家政権首班たちの法号~「○○院殿」とか「●●寺殿」とか~
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2019年 09月 08日
武家政権関連の小説とか文書を見てますと、亡くなった偉い人に関しては「●●寺殿」とか「○○院殿」とか呼んでいたりする。日本史に詳しい方にとっては、お馴染みの光景だと思います。思えば、昔は貴人の名を直接呼ぶのは憚られましたものね。 という訳で、今回は武家政権のトップたちに関する「○○院殿」とか「●●寺殿」といった呼称(戒名といいますか法号)を、裏がとれる範囲で調べてみました。なお、足利氏が他と比べ詳しめなのは、僕の思い入れが絡んでいます。 まずは、鎌倉政権から。 <北条得宗家> 今回判明した人は少な目で下記の通り。 北条泰時:常楽寺殿 北条経時:蓮華寺殿 北条時頼:最明寺殿 北条時宗:法光寺殿 北条貞時:最勝園寺殿 北条高時:日輪寺殿 全員がこういった形式の法号があった訳じゃない、という事でしょうか? 次は、足利政権です。 <足利将軍家> 足利尊氏:等持院殿(等持院仁山妙義) 鎌倉では長寿寺殿 足利義詮:宝篋院殿(宝篋院道惟瑞山) 足利義満:鹿苑院殿(鹿苑院天山道義) 足利義持:勝定院殿(勝定院顕山道詮禅定門) 足利義量:長得院殿(長得院鞏山道基) 足利義教:普広院殿(普広院善山道恵) 足利義勝:慶雲院殿(慶雲院栄山道春) 足利義政:慈照院殿(慈照院道慶喜山) 足利義尚:常徳院殿 足利義稙:慧林院殿(慧林院嘩山道凞) 足利義澄:法住院殿 足利義晴:萬松院殿(萬松院曄山) 足利義輝:光源院殿(光源院融山道圓) 足利義栄:光徳院殿(光徳院玉山) 足利義昭:霊陽院殿(霊陽院昌山道休) ちなみに、将軍以外でも尊氏絡みではこういった人々も。 足利貞氏:浄妙寺殿 尊氏の父です。 足利高義:円福寺殿 尊氏の早世した兄です。 竹若丸:雲光院殿 尊氏の子。尊氏が鎌倉に対し挙兵した際に鎌倉方の手で殺害されています。 赤橋(北条)守時:慈光院道本 鎌倉第十六代執権。鎌倉滅亡時に戦死。尊氏の義兄(妻の兄)にあたります。 更に。足利将軍家の中で、将軍にならなかったものの重要だった人物。 足利直義:大休寺殿(大休寺古山恵源) 尊氏の弟。政権運営に力量を発揮しましたが、観応の擾乱で滅亡。 足利直冬:慈恩寺殿 尊氏の子ですが、直義の養子として観応の擾乱を戦いました。 足利義嗣:円修院殿または林光院殿 義持の弟。やがて存在が義持を脅かす事となり殺害されました。 足利義視:大智院殿 義政の弟。応仁の乱の途中から義政と敵対。 足利義維・無覚寺殿(無覚寺中山) 義晴の兄弟。彼も武家の棟梁として擁立された経験あり。 <鎌倉公方> 足利時代に東国を統治していました。京の将軍家とは対立することも。 足利基氏:瑞泉寺殿(瑞泉寺玉厳道昕) 足利氏満:永安寺殿(永安寺壁山道全) 足利満兼:勝光院殿(勝光院泰岳道安) 足利持氏:長春院殿(長春院楊山道継) 足利成氏:乾享院殿(乾享院久山道昌) 成氏が鎌倉を離れてからは古河公方と呼ばれます。成氏の子は政氏という訳で。以降は 足利政氏:甘棠院殿(甘棠院殿吉山道長) 足利高基:潜光院殿(潜光院殿高山道実) 足利晴氏:永仙院殿(永仙院殿系山道統) 足利義氏:香雲院殿(香雲院殿長山周善) 鎌倉公方絡みで、こちらも。 <堀越公方> 足利政知:勝幢院殿(勝幢院九山) 成氏と対立していた将軍義政が、対抗馬として送り込んだ存在です。 足利茶々丸:成就院殿 父・政知死後に異母弟を討って家督を継ぎましたが、伊勢宗瑞に討たれました。 なお、篠川公方や稲村公方、小弓御所の法号については調べた範囲では分かりませんでした。 足利政権の次は、織豊政権。 <織田政権> 織田信長:総見院殿 織田信忠:大雲院殿 <豊臣政権> 豊臣秀吉:国泰祐松院殿 豊臣秀次:善正寺殿 豊臣秀頼:嵩陽寺殿 最後は、徳川政権となります。 <徳川将軍家> 徳川家康 安国院殿 徳川秀忠 台徳院殿 徳川家光 大猷院殿 徳川家綱 厳有院殿 徳川綱吉 常憲院殿 徳川家宣 文昭院殿 徳川家継 有章院殿 徳川吉宗 有徳院殿 徳川家重 惇信院殿 徳川家治 浚明院殿 徳川家斉 文恭院殿 徳川家慶 慎徳院殿 徳川家定 温恭院殿 徳川家茂 昭徳院殿 徳川慶喜 (ー) ちなみに、家治の早世した嫡男・家基にも孝恭院殿という法号があります。 あと、慶喜は近代まで生存したからでしょうか、このての法号はないようです。 【参考文献】 日置昌一編『日本系譜綜覧』講談社学術文庫 『日本大百科全書』小学館 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 『日本歴史大辞典』第一巻 河出書房新社 『群書系図部集 二』第一巻 八木書店 『美術人名辞典』思文閣 『大辞林』三省堂 『大辞泉』小学館 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版 『日本人名大辞典』講談社 坂本太郎監修『日本史小辞典』山川出版社 丸山浩一『家系のしらべ方』金園社 栃木県史編さん委員会『栃木県史 資料編 近世』栃木県 『泰平年表』八木書店 『続群書類従 第五輯 上』やぎしよ 杉山博『戦国大名後北条氏の研究』名著出版 『東福寺誌』東福禅寺 関連記事: ※2019/9/9 徳川家基について加筆。2019/9/11 足利茶々丸について加筆。2019/9/19 古河公方歴代について加筆。
by trushbasket
| 2019-09-08 16:07
| NF
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