「武家政権首班たちの法号」おまけ〜徳川将軍家の「先祖」な人々〜
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先週、武家政権首班たちの法号について少しまとめてみました。今回、その続きと言いますかおまけといいますか、徳川将軍家の「先祖」な人々の法号を調べてみました。
新田義重:大光院殿(
新田氏の祖。『義重山風土見聞録』によれば、家康が追贈したのだそうです。徳川将軍家は新田氏の末裔を称していたため、「遠祖」の顕彰を行ったものでしょう。
関連サイト:
「東京大学史料編纂所」(http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html)
『義重山風土見聞録』の記載は、こちらを御参照ください。
下記記事によれば、大光院は、家康が義重をまつるため建立させた寺院なんだとか。
関連記事:
「徳川将軍家と、「先祖」としての新田義重」
※参考 徳川家の系譜を追う上では余談ですが、新田氏一番の有名人なのでこの人は外せないでしょう。
新田義貞:
源光院殿(源光院殿義貞大居士)
他に金龍寺殿(金龍寺殿真山良悟大禅定門)という呼称も。
家康と新田氏を繋ぐとされる人々を以下では見ていきましょう。まずは
松平親氏:芳樹院殿(芳樹院殿俊山徳翁居士)
新田氏末裔としての松平氏の祖とされる。伝わる所では、世良田有親の子で、永享の乱により追及を受け上野国新田荘得川村を出て諸国を遊行、三河で松平信重の婿となったという。
その後は、系譜によれば
松平泰親:良禅院殿(良禅院殿秀岸祐金居士)
松平信光:崇岳院殿(崇岳院殿月堂信光大禅定門)
松平親忠:松安院殿(松安院殿太胤西忠大禅定門)
松平長親:悼舟院殿(悼舟院殿一閑道閲大居士)
松平信忠:安栖院殿(安栖院殿泰孝道忠大居士)
ときた後に
松平清康:善徳院殿(善徳院殿清叟道府大居士)
家康の祖父。三河に勢力を広げるが、25歳で家臣に殺害される。
松平広忠:慈光院殿(慈光院殿応政道幹大居士)
瑞雲院殿という号もあり。
家康の父。24歳で家臣に殺害される。
こうして家康に続きます。あとは、また余談として家康周辺の人々を。
徳川家元:正元院殿(正元院殿傑伝宗英大居士)
家康の異母弟とされる。家康が岡崎城にいた際、その生母が家康に存在を訴えた。広忠から賜った脇差が証拠の品として認められ、家康に迎えられた。しかし多病のため人前には出ず蟄居していたため人に知られていない。徳川三郎五郎とも。ただし架空説も。
松平信康:清瀧寺殿(清瀧寺殿前三位達岩善通大居士)
光徳院殿、騰雲院殿、常法院殿とも
家康の長男。嫡男として育てられ織田信長の娘婿となるが、武田氏との戦いの最中に若くして自刃を命じられる。家中の内紛が絡んだという説も。
結城秀康:孝顕院殿(孝顕院殿三品黄門吹毛月珊大居士)
浄光院殿(浄光院殿森岩道誉大居士)とも。
【参考文献】
平野団三『越佐と謎の石造文化』新潟日報事業社
『龍ヶ崎市史 中世史料編 第 1 部』龍ヶ崎市教育委員会
『徳川諸家系譜 第一』八木書店
『徳川諸家系譜 第四』八木書店
『日本人名大辞典』講談社
中村孝也『家康の族葉』講談社
本多隆成『徳川家康と武田氏 信玄・勝頼との十四年戦争』吉川弘文館
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「武家政権首班たちの法号~「○○院殿」とか「●●寺殿」とか~」
「徳川時代の新田義貞供養~「新田家末裔」としての徳川将軍家~」
※2019/9/15 改行をいじりました。2019/9/19 結城秀康と徳川忠長を追加。