<OBサイト記事再掲>本居宣長『玉くしげ』 翻訳:NF
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※2019/10/20 『秘本 玉くしげ』現代語訳を投下しましたので上記を少しいじり、リンクを貼付。
身におはぬしづがしわざも玉くしげあけてだに見よ中の心を
(不相応な賎しい者の行いですが、玉のような櫛箱を開けて中の心を御覧下さい)
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2019年 09月 21日
※OBサイト「れきけん・とらっしゅばすけっと」で掲載していた記事です。当該サイト消滅に伴い、最低限の修正を経て本ブログにて再掲載いたします。現代からすれば表現に問題があるところや、説として古いものもあるかと思いますがあえて極力そのまま現代語訳しています。 はじめに 『玉くしげ』は、天明七年(1787)に紀伊藩主・徳川治貞に奉った文書です。門人に紀州藩に仕える者がいたので、その勧めによって宣長が学問により明らかにした「道」を政治に反映させようとしたものだそうです。具体的な内容について本巻で述べ、別巻では大凡の理念について述べています。現在は、本巻が『秘本玉くしげ』と呼ばれて区別されており、『玉くしげ』とだけ言えば別巻だけを指します。ここでも、別巻のみを扱います。本巻(秘本玉くしげ)は長いので、また別に。 関連記事: ※2019/10/20 『秘本 玉くしげ』現代語訳を投下しましたので上記を少しいじり、リンクを貼付。 あと、現代の目から見ると奇異に映る内容も多いでしょうし、表現も必ずしも適切ではなく不快に思われる方も含まれるかもしれません。しかし、資料としてあえてそのまま現代語に訳す事にします。この内容について僕に抗議・反論されても困りますので、ご了承下さい。あとは、正確を期したつもりですが、誤訳になっている可能性を完全排除はできません。興味を持たれた方は、原文に当たられる事をおすすめします。 玉くしげの序 この書物は、我が鈴屋大人が、ある国の君に、道の概要について、今の世を諭すための詞で、誰でもたやすく理解できるように書いて、奉られた書であるが、下書きが、名の由来である櫛箱の底に残っていたのを、この里の広海がお願いして出して、版木に彫り付けたのについて、私に一言を付け加えよと言われるままに、書き付ける。そもそも我が大人の、導きのおびただしい功績は、言うも愚かであるが、それでも少々いうと、この真実の道は、外国の書物の、うわべは良い誤謬と共に、かき消されて、あの須佐之男命が、勝ち誇って荒々しく振舞われた際に、天照大御神が、恐れ多くも天の石屋に篭られて、世の中が常に夜のようになったかのように、光を見る人も泣く八百年千年と長い年月を経ているうち、思いかねて神の御心があったのであろうか、この大人が深く慮り遠大に考察し、そのままに会得なされた、その真実の意味よ。長鳴鳥の声が高く遠く、天下に響き渡って、世間の人がみな秋の長い夜の夢から覚めて、朝日を仰ぎ見るようだ。朝日の光は、美しい事だ繊細なことだ、明るい事だ尊い事だ。時は寛大な政治、すなわち寛政と元号が改まって、天下が喜び栄える始めの年の春半ば。このように言うのは、 尾張の殿人 横井千秋 玉くしげ この書物は、ある御方に、道の概要や今の世の心得を書いて奉ったものである。それに歌を詠んで書き添えたのであるが、その中の言葉を取って、このように名付けた。その歌は、 身におはぬしづがしわざも玉くしげあけてだに見よ中の心を 真実の道は、天地の間に行き渡って、どの国にまでも、同じようにただ一筋である。そうであるのにこの道が、ただ皇国にだけ正しく伝わって、外国ではみな、太古から既にその言い伝えを失っている。そのために異国では、また別に様々な道を説いて、それぞれその道を正しい道のように申すけれども、異国の道は、どれも末梢の枝葉の道であり、根本の真実である正しい道ではない。たとえあちこちと似ている所はあるといっても、その煩瑣な枝葉の道の内容を交えて用いては、本当の道に適う事はない。 それではその一筋の根本である真実の道の内容を、大雑把に申し上げるには、まず第一に、この世の中の全体的な道理を、よく理解すべきである。その道理とは、この天地も神々も万物も、どれもことごとくその根本は、高皇産霊神・神皇産霊神と申す二柱の神の、産霊(むすび)の御霊と申すもので、成立し出来たもので、世の中に人類が生まれ出て、万物万事が成立したのも、みなこの御霊でないというものはない。したがって、神代の始めに、伊邪那岐・伊邪那美の二柱の大御神が、国土万物や様々な神々を生み出しなさったのも、その根本は皆、あの二神の産霊の御霊によるものである。そもそも産霊の御霊と申しあげるのは、奇跡的で霊妙な神の御仕業であるので、どのような道理でそうなっているのかということは、全く人の知恵では、測り知ることはできない。それなのに外国では、正しい道が伝わっていないために、この神の産霊の御仕業を知らず、天地万物の道理もあるいは陰陽八卦五行などという理屈を立てて、これを説明しようとするが、これらはどれも、人智で推し量った妄説であり、実際にはそのような道理はないのである。 さて、伊邪那岐大御神は、女神(伊邪那美)がお隠れになられたのを、深くお悲しみになって、予美国(よみのくに、来世)まで慕って行かれたのであるが、この顕国(うつしくに、現世)にお帰りになり、その予美国の穢れに触れられたのを、お清めになろうとして、筑紫の橘小門の檍原で御禊なさって、清浄にお成りになった所から、天照大御神がお生まれになって、御父大御神の御委託によって、永く高天原を統治なさるのである。天照大御神と申し上げるのは、勿体無くもすなわち今この世を照らしておられる、天津日の御事である。そしてこの天照大御神が、その皇孫尊に、葦原中国を統治せよということで、天上からこの地に降し申し上げなさる。その時に、大御神の勅命に、「宝祚之隆当与天壌無窮者矣」(あまつひつぎはあめつちのむたときはかきはにさかえまさむ、「天津日嗣、すなわち太陽神の子孫は天地の限り栄えるであろう」)とある。その勅命こそ、道の根源大本である。 こうして大体の世の中の道理、人の道は、神代の段階での内容で、ことごとく備わっており、これから漏れ落ちたものはない。したがって真実の道を志す人は、神代の内容をよくよく研究して、何事につけてもその事跡を追求して、物の道理を知るべきである。その段階の内容は、どれも神代の古い伝説である。古伝説とは、誰が言い出したということもなく、ただ大変大昔から、語り伝えたものであり、すなわち『古事記』『日本書紀』で記されたものをいうのである。 そしてその二つの神典に記された内容は、大変明らかであり、疑いもないことなのに、後世に神典を説く者が、あるいは神秘口授などというものを作り出し、ありもせぬ偽りを説いて教え、あるいは異国風の理屈にばかりなじんで、神代の霊妙な趣を信じる事が出来ず、世の中の道理は、どれも神代の内容に備わっている事を理解できず、全く我が国の古伝説の内容を、理解できないで、あの異国の説の内容に依拠して処理しようとするから、その異国の言う内容に合わない部分は、どれも私的な料簡で、みだりに自分が好むように歪曲して、あるいは高天原とは、帝都を言うなどと解釈して、天上の事ではないとして、天照大御神も、ただ本朝の太祖でこの土地にいらっしゃった神人のように説明して、天津日ではない様に申す類は、どれも異国風の理屈に合わせて、無理にその内容を合致させようとする私事であり、古伝説を、殊更に狭小にして、その趣旨が広く行き渡らず、大本の意味を見失い、大いに神典の趣旨に背くものである。 そもそも天地は一枚であり、隔てはないので、高天原は、万国が同じく戴く高天原であり、天照大御神は、その天を統治なさる御神であらせられるので、宇宙の間に並ぶものなく、永久に天地の限りを余すところなく照らしなさって、四海万国にこの御徳光を蒙らないというところはなく、何れの国でも、その大御神の御蔭から漏れると、一日片時もやっていくことは出来ない。世の中で至って尊くありがたいのは、この大御神である。 そうであるのに、外国ではどこも、神代の古伝説を失ったために、これを尊敬し申し上げるべきであることを知らず、ただ人智で推し量った考えで、みだりに日月は陰陽の精であるなどと決め付けて、他にあるいは中国では、天帝というものを立てて、この上なく尊いものとし、その他の国々でも、それぞれに主として尊敬し崇めるものはあるが、それらはあるものは推し量った理屈で言っており、あるものは妄説を作って言っているものであり、どれもみな、人が仮に名をつけただけのものであり、実際には天帝も天道も何も、あるものではない。そもそも外国では、このように実体のないものばかりを唐頓画、天照大御神の御蔭が、大変尊く有り難い御事を、知らずにいるのは、大変情けないことであるのに、 皇国は格別の詳細があるので、神代の正しい古説が、詳細に伝わって、この大御神の御由来も窺い知ることが出来、これを尊び申し上げる道理が分かるのは、大変有り難い御事でございます。 さて皇国は格別の詳細があると申したのは、まずこの四海万国を照らしなさる天照大御神が、お生まれなさった御本国であるため、万国の根本大本である御国であり、全ての事が異国より優れて素晴らしい。その一々は、申し尽くすことが出来ないが、まず第一に稲穀は、人の命を繋ぎ保って、この上もなく大切なものであるが、この稲穀が万国より優れて、比類ない点から、その他の事も準じて分かるであろう。 しかしながらこの国に生まれた人は、元から慣れているので、当たり前のことであるため、気がつかないのであろう、幸いに御国人として生まれて、これほど優れて素晴らしい稲を、朝夕に飽きるまで食べるにつけても、まず皇神たちのかたじけない御恩頼を思い申し上げるべきであるのに、それをわきまえる事すらなく過ごすのは、大変もったいない事である。 さてまた本朝の皇統は、すなわちこの世を照らしておられる、天照大御神の御末裔でいらっしゃって、かの天壌無窮の神勅のように、万々歳の末の代までも、変動なさることなく、天地のある限り伝わりなさる御事。まず道の大本であるこの一事が、このように、あの神勅の効験があって、実際に違わずにおられる事から、神代の古伝説が、虚偽でない事が分かり、異国が及ばないことも分かり、格別の詳細と申す事も分かるであろう。異国では、あのように小賢しくその道を説いて、それぞれ自国のみが尊い国のように申すけれども、その根本である王統が続かず、しばしば変動して、大変乱れていることから、万事言うところはみな虚偽・妄想であり、実際ではないことを推測できるであろう。 さてこのように本朝は、天照大御神の御本国であり、その皇統が統治なさる御国であり、万国の根本大本である御国であるから、万国共に、この御国を尊び戴き臣として服従して、四海の内はみな、この真実の道に依拠して従わずにはおられない理屈であるのに、今に至るまで外国では、全く上述の詳細を知ることはなく、ただなおざりに海外の一小島とばかり理解し、勿論真実の道がこの皇国にある事を夢にも知らず、妄説ばかり言っているのは、大変に情けない事で、これはひとえに神代の古伝説がないためである。 それにしても外国には、古伝説がないので、その詳細を知らないのも、致し方ないが、本朝には、明白に正しい伝説があるというのに、世の人はこれを知ることが出来ず、ただあの異国の妄説だけを信じて、その説に馴染み耽溺して、かえって詰まらない西方の国を尊び仰ぐのは、ますます情けない事ではないか。たとえ他国が勝っているとしても、縁のない他国の説を用いるよりは、自分の本国の伝説に従い依拠する事こそ、順当であるのに、ましてや異国の説はどれも虚妄であり、本朝の伝説は真実であるから尚更である。 そうは言っても異国風の生半可で小賢しい見識が、千年以上も心の底に染み付いて、その他を考えない世間の人であるから、今このように申しても、誰もすぐには信じないであろうが、総じて異国風の小賢しい料簡は、よく考えれば、逆に愚かであることだ。今一段高いところから考えて、真実の理屈は、思慮が及ばないものであり、人が思い測るところとは、大いに相違している事があるものだと言うことを、よく理解するべきである。 また異国の人が思っているように、本朝の人も、この御国を、ただ小国のように理解している点については、天地の間に行き渡っている真実の道が、このような小国にだけ伝わっているのはどういうことかと、疑っている人もあるであろうが、これまた生意気で小賢しい一面的な料簡であり、深く考えていないものである。総じて物の尊卑美悪は、その形の大小によるものではないので、国も、どれほど広くても、賎しくて悪い国があり、狭くても尊くて美しい国もある。その中で、昔から外国の様子を考えると、広い国は、大抵は人民も多くて強く、狭い国は、人民は少なくて弱いので、勢いに押されて、狭い国は、広い国に従属するから、自然と広いのは尊く、狭いのは賎しいように思われるが、実際の尊卑美悪は、広い狭いにはよらないのである。 その上一般に外国は、土地は広大でも、いずれもその広大さに応じてみれば、田地人民は大層希少である。中国などは、諸外国の中では、良い国と聞いているが、それすら皇国と比べると、やはり田地人民は、大変少なくまばらであり、ただ無駄に土地が広いだけである。これはあの国の書物に、時代ごとの総人口数・戸数を挙げているのを、本朝の戸数・人口数と比べたら、よく分かる事である。また今現在、本朝の国々で、同じ一つの国という扱いであっても、土地は広くて、人民や生産高が少ない所もあり、土地は狭くても人民や生産高は多い所もあることを考えると、総じて土地の広い狭いには拘ってはならないことが分かるであろう。昔に大国・上国・中国・下国、大郡・上郡・中郡・下郡と分けて定められたのも、必ずしも土地の大小には拘らなかったのである。そうであるのに昔から世間の人は、これを理解しておらず、ただ土地の広さ狭さで、その国の大小を決めているのは、当たらないのである。皇国は昔から、田地人民が大変多く稠密であるのは、全く異国には類ないため、この人口や生産高で考える時は、大変な大国であり、特に豊饒・殷富・勇武・強勢であることは、どの国が及ぶ事が出来ようか。これまた格別な詳細であり、何事も神代から皇神たちが、このように尊卑優劣を定めておかれたものである。 そうであるのに近年の儒者は、ひたすら中国を褒めて尊び、何事もどれもあの国が優れているように言い、恐れ多くも皇国を見下す事を、見識が高いものと思い、殊更にみだりに賤しめ貶めようとして、あるいは本朝は昔に道はないと言い、総じて文化が開けたのも、中国よりはるかに襲いと言い、あるいは本朝の古書は、『古事記』『日本書紀』と言っても、中国の古書に比べると、はるかに後世の作品であるといって、古伝説を否定し、あるいは『日本書紀』の文を見て、太古の事はみな、構成の作り事だとけなす類は、これらはどれも例の生半可な小賢しい、上辺だけの一面的な議論であり、詳細に考察していないものである。その上に中国の書にばかり馴染み惑わされて、他にも国があることを知らないものであるから、逆に見識も大変卑小になることではないか。またこのように他国を主として、自分の本国を関心の外とするのは、自分が依拠する孔子の意志にも、大変背いている事である。 全く上述の議論が、当たっていない事を言うには、まず皇国の昔には道がないというのは、こちらに真実の優れた道があることを知らず、ただ中国の道のみを道と理解している間違いである。あの中国の道などは、末梢の枝葉であるから、ともかく、それに関わるべきではない。また文化が早くから開けたと言って、中国を優れていると思うのも、間違いである。早く文化が開けたように見えるのは、全ての事が早く変化したのであって、これはあの国の風俗が悪く軽薄であるためである。何故かと言えば、あの中国は、太古から人心が生半可に小賢しく、物事が古い事を尊ばず、ひたすら自分の思慮工夫で、改め帰るのを良いとしている国の風俗であるから、自然と世の中の様子は、時代ごとに速やかに移り変わったのである。しかしながら皇国は、正直重厚な風儀であり、何事もただ古いままを守り、軽々しく私的な知恵で改める事をしなかったために、世の中の模様が時代ごとに移り変わる事も、自然と速やかにはならなかったのである。この重厚な風儀は、今もなお残っているのである。なおこの変化の遅い早いの優劣を言えば、牛馬鶏犬などの類は、生まれてから成長するのが大変速いのに、人間はこれらに比べると、成長するのが大変遅い。これらに準じて考えると、優れたものが、変化するのが遅いと言う道理もあってしかるべきである。またあの成長するのが速い鳥獣などは、命が短く、人は成長が遅くて、命が長いのを見ると、世の中の様子が、移り変わるのが早いところは、その国の命は短く、移り変わるのが遅い国は、存続する事が永久であろう。その証拠は、数千年を経て後に分かるであろう。また古書について、その選定された時代で論じるのも、上辺だけの事である。その理由は、上述したように、中国は生半可に小賢しく、私的な知恵を振るう国の風俗であり、その古書も、それぞれ作者の自分の心から書き出したので、その時代に応じて、古い新しいの優劣があるのであるが、皇国の昔は、重厚な風儀であり、全ての事に、自分の小賢しい知恵を用いず、軽々しく古いものを改める事はしなかったので、古伝説も、ただ神代から語り伝えたそのままで、伝わってきたのを、その古伝説のままに書き記されたのが、『古事記』『日本書紀』であるので、あの軽薄な中国の著した書物と同じように、時代で論じるべきではない。選録された時代こそ後であるが、その伝説の内容は、神代のままであるから、中国の古書よりは、逆にはるかに古いことではないか。ただし『日本書紀』は、中国の書籍の有様を羨んで、漢文で文飾したものであるから、その文によって解釈する時は、疑わしい事が多いであろう。したがって『日本書紀』を見るには、文には関わらず、『古事記』と比べてみて、その古伝説の趣旨を知るべきである。大体上述の詳細をよく理解して、決して儒者たちの生半可で小賢しい議論には、惑わされてはならないのである。 さて世の中のあらゆる、大小の様々な事は、天地の間に自然とあることも、人の身の上のことも、行うことも、どれもことごとく神の御霊によるもので、神の御計らいであるのだが、総じて神には、尊卑善悪正邪とさまざまであるので、世の中のことも、吉事善事ばかりではなく、凶事悪事なども混じって、国の乱れも時々は起こり、世のため人のために良くない事なども行われ、また人の禍福などが、正しく道理に当たらない事も多いのは、これはみな悪い神の仕業である。悪い神と申すのは、あの伊邪那岐大御神の御禊の時、予美国の穢れから出来た、禍津日神と申す神の御霊によって、様々な邪悪な事を行う神々であって、そのような神が盛んに荒々しく振舞う時は、皇神たちの御守護の御力も及びなさらない事もあるのは、これは神代からの習いである。 そして正しい事や善い事ばかりではなく、このような邪悪な事も必ず混じるのは、これもまた然るべき根本の道理である。これらの内容も皆、神代から決まっており、その事は『古事記』『日本書紀』に見られる。その詳細な内容は、『古事記伝』で申しており、長くなるので、ここでは言い尽くせない。さて予美国の穢れというのについて、一つ二つ申すべきである。まず伊邪那美尊がお隠れになり、その予美国にお行きになられたのであるが、黄泉戸喫(よもつへぐひ)と言って、その国で作られたものを召し上がられた穢れによって、永くこの顕国にお帰りになることは出来ない。この穢れによって、ついに凶悪の神とおなりになって、その穢れから、あの禍津日神はお出来になったので、その道理をよく考えて、世の中で大切に忌み慎むべきものは、物の穢れである。 さて世の中の人は、貴い人も賎しい人も善い人も悪い人も、みなことごとく、死んだら、必ずあの予美国に行かないわけにはいかず、大変悲しい事であります。このように申すと、ただ大変そこが浅く、何の道理もないように聞えるが、これこそ神代の真実の伝説であり、霊妙な道理のそうさせるものであるから、生半可な平凡な知恵で、とやかく考察議論すべきものではない。それなのに異国では、様々な道を作り、人の生死の道理も、大層面白く小賢しげに説いているのだが、それはあるいは人の知恵で推し量った理屈を言っており、あるいは世間の人がもっともであると信じられるように、都合よく作ったものであり、どれも面白く聞えるが、どれも虚構な妄想で、真実ではない。総じて人が小賢しく作った説は、もっともらしく聞え、真実の言い伝えは、逆に底が浅く、愚かなように聞えるものであるが、人の知恵は限界があり、測り知れない所が多いので、全くその浅はかで愚かに聞える事に、逆に限りなく深い神妙な道理はあるのであるが、及ばない平凡な知恵でこれを疑い、あの作り事で、もっともらしく聞えるほうを信じるのは、自分の心を信じると言うもので、逆になんとも愚かな事である。 そして死んだら、妻子眷属朋友家財や万事を振り捨てて、慣れたこの世から永遠に別れさって、再び帰ってくることはできなず、必ずあの穢れた予美国に行くのであるから、世の中に、死ぬということほど悲しいものはないのに、あの異国の道では、あるいはこれを深く悲しんではならない道理を説き、あるいはこの世での所業の善悪、心を裁くことによって、死後にどうなるかを、色々と広く詳しく説いているので、世間の人はみなこれらに惑わされて、その説をもっともなものと思い、信仰して、死を深く悲しむのを、愚かな心の迷いのように思っているから、これを恥じて、無理に迷わないふり、悲しまない様子を見せ、あるいは辞世などといって、大げさに悟りを極めたような言葉を残したりなどするのは、どれも大変な偽りの作為であって、人情にそむき、真実の道理にかなわぬことである。それにしても喜ぶべきことを、それほど喜ばず、悲しむべきことも、それほど悲しまず、驚くべきことにも驚かず、とにかく物に動じないのを、良い事として尊ぶのは、どれも異国風の虚偽であって、人の真実の情ではない。大変わずらわしいことである。中でも死は、特に悲しくなくてはいられないもので、国土万物を生み出し、世の中の道をお始めになった、伊邪那岐大御神ですら、あの女神(伊邪那美)がお隠れになられた時には、ひたすら小児のように、なき悲しみ焦がれなさって、あの予美国まで、慕ってゆかれたのでなかったか。これこそ真実の人情であり、世の人も、必ずそのようでなくてはならない道理である。そのため、太古においてまだ異国の説が混じらない以前、人の心がまっすぐであった時には、死後にどうなるかという理屈などを、あれこれと工夫するような、無益な小賢しい料簡はなく、ただ死んだら予美国に行くのだと、道理のままに考えて、泣き悲しむよりほかはなかったのである。もっともこれらは、国政などには必要ない内容であるが、皇神の道と異国の道との、真偽の区別にはなるべきであろうことである。 さて世の中に悪いことや邪なこともあるのは、みな悪い神のせいであるということを、外国では知らず、人の禍福などの、道理に当たらないこともあるのを、あるものはみな因果応報と説き、あるものは、これを天命天道と言って済ますのである。しかし因果応報の説は、上述したように、都合よいように作ったものであるから、論ずるには及ばない。また天命天道というのは、中国の太古に、あの湯武などの類の者が、君主を滅ぼしてその国を奪い取る、大逆の罪を言い逃れるのと、道理のすまないことを、無理に済ませるための、こじつけ事だと知るべきである。もし本当に天命天道であるならば、何事もみな、必ず正しい道理のままであるはずなのに、道理にあたらないことが多いのは、どういうことか。結局これらもみな、神代の真実の古伝説がないため、様々に良いように作為したものである。 さて上述のように、善神悪神、それぞれ事を行いなさるので、時代を経る間に、善悪正邪様々な事があって、あるいは天照大御神の皇統でおられます朝廷すらも、ないがしろにし申し上げて、邪悪なことをほしいままにし、武威をふるった、北条足利のような逆臣も出た。そのような者にも、天下の人はなびき従い、朝廷は大いに衰えなさって、世の中の乱れた時がないわけではないが、しかしながら悪はついに善に勝つことはできず、神代の道理、あの神勅の根本が動揺するはずがないために、そのような逆臣の家は、ついにみな滅び去って、跡形もなくなり、天下は再び、めでたく太平の御代に立ち返り、朝廷は厳然として、動揺することはない。これはどうして人の力で行うことができようか。また外国が及ぶことができようか。 さて上述のように、中世に朝廷が大いに衰えなさったのは、天下の乱れによってであると思うのは、普通の考えであるが、実はこれは朝廷が衰えなさったため、天下は大いに乱れて、全ての事も衰えて廃れたのである。この道理をよく理解しないといけない。そもそもあの足利家の末期の時代は、前代未曾有の有様で、天下はずっと闇であるのと変わらず、全ての事は、この時に至って、ことごとく衰退して、本当に壊乱の至極であった。そうであるところに、織田・豊臣の二将が出現なさって、乱逆を鎮め、朝廷を立て直し申し上げ、尊び申し上げなさって、世の中はようやく太平に向かったのであるが、その後ついにまた、今のように天下がよく治まって、太古にも類まれなほどに、素晴らしい御代に立ち返って、栄えているのは、ひとえに東照神御祖命(徳川家康)の御勲功御威徳によるもので、その御勲功御威徳と申し上げるのは、まず第一に朝廷が大変衰えなさっているのを、あの二将に続いて、やはり次第に再興し申し上げなさり、いよいよますます御崇敬を厚くし、次々に諸士万民を落ち着かせ統治なさった、そのことである。この御盛業は、自然と真実の道にかなっておられ、天照大御神の大御心に叶いなさって、天神地祇も、徳川家への御加護が厚いために、このように御代は素晴らしく治まっているのである。このように申し上げるのは、ただ時勢にへつらって、かりそめに申し上げているのではない。現に御武運隆盛で、天下が久しく太平であるのは、いうまでもなく、前の時代にはいまだかつてなかった、素晴らしいことも、数々この御時代から起こっているなど、あれこれから、そうである事が分かるからである。 総じて武家による御政治は、あの北条・足利などのように、根本である朝廷を重んじ申し上げる事がかけていては、たとえどれほど仁徳を施し、諸士を良く従え、万民をよく落ち着かせ統治しなさっても、どれも私的な知恵による術策であって、道に叶っていない。これが本朝は、異国とは、その根本が大きく異なっているところである。その詳細は、外国は、長く定まった真実の君がいないので、ただ時々に、世の中の人を良く靡かせて従えた者が、誰でも王となる国の風俗であるから、その道として立てた内容も、その国の風俗によって立てたもので、君主を殺して国を簒奪する逆賊さえ、道にかなった聖人として仰ぐのである。しかし皇国の朝廷は、天地の限りを永遠に照らしておられる、天照大御神の御皇統であり、すなわちその大御神の神勅によって、決められなさったものであるから、万々代の後世といっても、日月が天におられる限り、天地が変わらない限りは、どこまでもこれを大君主として戴き申し上げて、畏敬し申し上げなければ、天照大御神の大御心に叶わず、この大御神の大御心にそむきもうしあげると、一日片時もやっていくことはできないからである。 そうであるのに中世に、この道に背いて、朝廷を軽んじ申し上げた者も、しばらくは子孫まで栄え驕った事もあったのは、ただあの禍津日神による禍であって、どうしてこれを正しい規範とすべきであろうか。それなのに世間の人は、この根本の道理、真実の道の趣旨を知らず、儒者などはちっぽけな知恵を振るって、みだりに世間の得失を議論し、何事にもただ異国の悪い風俗の道における内容を規範として、あるいは逆臣であった北条の政治などを、正しい道であるように論じるなどは、どれも根本のところが違っているので、どれほど正論のように聞こえても、結局は真実の道には叶っていないのである。下々の者は、たとえこの根本を間違えても、その身一代限りの過ちであるが、仮にも一国一郡を領有なさる君主や、その国政を担う人などは、道の根本をよく理解しておられなければならないものである。だから末梢の細かいことのために、中国の書物なども十分に学んで、利便によってその方面の知識も交えて用いなさっても、道の根本のところでは、上述の趣旨を、常々良く理解して、これを見失いなさってはならないのです。 総じて国が治まるか乱れるかは、下が上を畏敬するか、そうでないかとにあるので、上の人が、その上を厚く畏敬なされれば、下の者も、また次々にその上の人を、厚く畏敬して、国は自然とよく治まるのである。さて、今の御代と申し上げるのは、まず天照大御神の御計らいと、朝廷の御委任により、東照神御祖命から御次々の、大将軍家が、天下の御政治を施行なさる御世であり、その御政治を、また一国一郡と分けて、御大名たちがそれぞれこれを預かり御政治を行いなさる御事なので、その御領内の民も、全く私的な民ではなく、国も私的な国ではなく、天下の民は、みなこの時これを、東照神御祖命の御代々の末裔である大将軍家に、天照大御神が預けなさった御民である。国もまた天照大御神が預けなさった御国である。なのであの神御祖命の御定め事や、御代々の大将軍家の御掟は、すなわち天照大御神の御定め事であり御掟なので、特に大切にお思いになり、この御定め事や御掟を、背かず崩さないようによくお守りになり、国々の政治は、天照大御神から預かりなさった国政なので、十分に大切にお思いになって、民を育て宥めなさるのが、御大名のなすべき大切なことなので、下々の相手をする人々も、この趣旨をよくお示しになって、心得違いのないように、いつでもお気をつけられるべきである。 さて上述したように、世の中の様子は、万事全て善悪の神の御仕業であるので、良くなるのも悪くなるのも、究極のところは、人の力が及ぶことではない。神の御計らいのようでなければ、立ち行かないものであるから、その根本をよく理解なさって、たとえ少々国のために悪いことであっても、そのままできて改めにくい事を、急に除いて改めようとなさってはならないのである。改められないものを、無理に急に正そうとすれば、神の御意思に逆らって、逆に失敗する事もあるのである。一般に世間には、悪事凶事も、必ず混じらずにはおれない、神代の深い道理があるので、とにもかくにも、善事吉事ばかりの世の中にする事は、できないことだと知るべきである。 それなのに儒教の道などは、隅から隅まで掃き清めたように、世の中を善い事ばかりにしようとする教えであり、とてもできない無理な事である。だからこそあの聖人と言われた人々の世であっても、その国の中で、決して悪事凶事が無いという事は、できなかったのではなかったか。また人の知恵は、それほど素晴らしくても限界があり、計り知れないところは、どうしても測り知ることはできないのであるから、良かれと思ってする事も、実際には悪く、良くないと思って禁じることでも、実際にはそうでなく、あるいは今は良い事でも、将来のためには良くなく、今は悪い事も、後のためには良い道理もあり、人は知ることができない事もあって、全く人の料簡が及ばない事も多いので、とにかく世の中のことは、神の御計らいでなければ、叶わないものである。 それなら何事もただ、神の御計らいに任せて、良くも悪くも成り行きのままに放っておいて、人は少しもこれをいじってはならないのか、と思う人もあるだろうが、これもまた大変な間違いである。人も、人の行える限りを、行うのが人の道であり、その上に、その事が成功するかしないかは、人の力の及ばないところである、と言う事を理解して、無理な事はすべきではないのである。それなのにその行えることすらも行わず、ただ成り行きのままで放っておくのは、人の道に背く。 この事は、神代に定まった内容である。大国主命が、天下を皇孫尊に譲りもうしあげて、天神の勅命に帰順申し上げなさったとき、天照大御神・高皇産霊大神の仰せで、御約束があった。その御約束に、「今から、世の中の顕事(あらはにごと)は、皇孫尊がこれを統治なさるべきである。大国主命は、幽事(かみごと)を御管轄なさるべきである」とあり、これは万世不変の御定めである。幽事とは、天下の治乱吉凶、人の禍福などその他、全て何者がしているのか、明らかには分からず、密かに神がなされる御所業を言い、顕事とは、世間の人が行う事業であり、いわゆる人事であるので、皇孫尊である御主上の顕事は、つまり天下をお治めになる御政治である。このようにこの御契約に、天下の政治も何もかも、すべてただ幽事に任せるべきだとはお定めにならず、顕事は皇孫尊が御管轄なさるべきとあるので、その顕事がなされなくてはならない。また皇孫尊が、天下をお治めになる、顕事の御政治がある以上は、今これを分けてお預かりなさっている、一国一国の顕事の御政治も、またなくてはならないのである。これが人もその身分身分に合わせて、必ず行える範囲で物事を、行わねばならない道理の根本である。 さて世の中の事はみな、神の御計らいによるので、顕事といっても、結局は幽事に他ならないのであるが、やはり区別があるもので、その区別はたとえるなら、神は人であり、幽事は、人が働くようなものであり、世間の人は人形であり、顕事は、その人形が首・手足で、動くようなものだ。そのようにして人形が色々と動くのも、実は人が動かしていることによるのであるが、人形が動くのは、操る人とは別に、その首・手足などがあって、それが動いていればこそ、人形の効果はあるのである。首・手足もなく、動くところがなければ、何を人形の効果と言えるだろうか。その区別をわきまえて、顕事の役目も、なければならない事を知るべきである。 さてその大国主命と申すのは、出雲大社の御神であり、最初に天下を経営なさり、また八百万神たちを率いて、上述の御約束のように、世の中の幽事を司って実行する御神でいらっしゃるので、天下上下の人が、恐れ敬い尊び申し上げなくてはならない御神である。 総じて世の中の事は、神の御霊でなければならないものであるから、明け暮れにその御恵みを忘れず、天下国家のために、面々の身のために、諸々の神を祭るのは、大事なことである。善神を祀って幸福を祈るのは、もちろんのこと、また禍を免れるため、荒々しく振舞う神を祀って宥めるのも、古来からの道である。そうであるのに、人の吉兆禍福は、面々の心の正邪、行いの善悪によるものなのに、神に祈るのは愚かである、神はどうしてこれを聞くだろうかというように言うのは、儒者のいつもの議論であるが、このように自分の理屈ばかりを立てて、神事を疎かにするのは、例の生半可に小賢しい中国の見識であり、これは神には邪神もいて、よこしまな禍がある道理を知らないための間違いである。 さてあの顕事の国政の行い方や、全体的に人が行うべき事業は、どのようであるのが真実の道に叶うかというと、まず太古に、天皇が天下をお治めになっていた御方法は、古語でも、「神随天下(かむながらあめのした)しろしめす」と申し、ただ天照大御神の大御心を御自身の大御心として、万事、神代に定まったままに行いなさって、その中で、御心で決められない事がある時は、御占で、神の御心を問うて伺って行われ、総じて何事にも決して、御自分の御さかしらな御料簡を用いなさらなかった。これが真実の道の、正しい御方法である。その時代には、臣下たちも下々の万民も、同じように心が真っ直ぐで正しかったので、みな天皇の御心を心として、ただひたすらに、朝廷を恐れ慎み、お上の御掟をそのまま従って守り、少しもそれぞれの小賢しい料簡を立てなかったので、上と下とがよく息が合って、天下は素晴らしく治まったのである。それなのに西の外国の道を交えて用いられる時代になると、自然とその理屈っぽい風俗が移って、人々は自分の私的な小賢しい料簡が出てくるそのままに、下も上の御心を心としないようになり、全てのことが難しく次第に治めにくくなって、後にはついに、あの中国の悪い習俗とも、それほど変わらないようになった。 そもそもこのように、西の外国から、様々な事や様々な物が渡来して、それを取り入れたのも、すべて善悪の神の御計らいであり、これもまたそうなる筈の道理があるのである。その詳細を申し上げるには長くなるので、ここでは言い尽くせない。さて時代が移り変わるに従って、上述したように世の中の様子も人の心も変わっていくのは、自然の形勢であるというのは、普通の議論であるが、これはみな神の御仕業であり、実際には自然にそうなったのではない。そしてそのように、世の中の有様が移り変わるのも、みな神の御仕業であり、人の力が及ばないものであるから、その中に良くない事があるからといって、これを正そうとする時は、神の当時の御計らいに逆らうことになり、却って道の趣旨に叶わないのである。 だから今の世の国政は、今の世間の様子に従って、今のお上の御掟に背かず、これまでやってきたままの形を崩さずに、事跡を守って行うのが、すなわち真実の道の趣旨であって、取りも直さずこれは、あの太古の「神に従って治めなさった」趣旨に相当するのである。そして刑罰なども、許せる範囲では寛大に許すのが、天照大御神の御心であり、神代にそうした事跡がある。しかしまた時に及んで、止むを得ない事がある際の方法については、太古にも背く者がある時などは、沢山の人を殺してでも、征伐なさったように、これもまた神代の道の一部であるから、今でもそれに準じて、何事にも、その事その時の様子によって、然るべく御計らいなさるべきである。 次に下々の全体的な人の身の振舞い方については、まず一般に人と申し上げるものは、あの産霊大神の産霊の御魂によって、人が従事し行うべきである程度の力は、元から備わって生まれたものであるから、それぞれが必ず従事して行うべき事は、教えを待たなくとも、行えるものであり、君によく仕え申し上げ、父母を大切にし、先祖を祀り、妻子奴婢をかわいがり、他人ともよく交際するといった類や、またそれぞれの家業を務める事などで、どれも人が必ずしっかり行わなければならないものであるから、どれも生きている限りは、異国の教えを借りなくても、元来誰でもよく理解して、務めて行うことができるものである。 しかしその中にはやはり、心がけが悪く、上述の行いをしていない者も、世の中にはおり、人や世間にとって悪いことを、目論み行う者もいるのは、これまた悪神の仕業であり、そのような悪い者も、いないというわけにはいかないのは、神代からの道理である。人だけでなく、全てのものも、良い物ばかりそろうことはなく、中には悪い物も必ず混じるものであるが、その大変悪いのを、捨てる事もあり、直しもするのであるから、人もそうした悪い者を、教育し矯正するのもまた道であって、これはあの橘の小門(おど)の御禊での道理である。 しかし大体において神は、物事は大概、許すことができる事は、大抵は許し、世間の人が穏やかに打ち解けて楽しむのを、お喜びになるのだから、それほど悪くない者まで、なお厳しく矯正するべきではない。そのように人の身の行いを、余りに些細に正して、窮屈にするのは、皇神達の御心に叶わないので、多くはその利益はなく、逆に人の心が偏狭で小賢しくなり、多くは悪くなるばかりである。こうした教えが詳細である中国では、邪悪な知恵が深く姦悪な者が、特に多くて、時代毎に国が治まりにくい事から、その証拠が分かる。 それなのにその道理を知らずに、大部分の人を、厳しく矯正して、ことごとく素晴らしい善人ばかりにしようとするのは、あの中国風の無理な事であって、これは譬えるなら、一年の間を、いつも三月や四月頃のように、温暖であるようにだけするようなものだ。暑さ寒さは人も何も嫌がるものであるが、冬や夏の時候があることで、全てのものは生まれ育つのである。世の中もそのようなもので、吉事があれば、必ず凶事もあり、また悪がある事によって、善は生じるのである。また昼があれば夜もあり、富裕な人があれば、貧しい人もなくてはならない道理である。 そのため太古に道が正しく行われた時代でも、この道理のようであり、悪い人も各時代にいて、それはその悪事の軽重によって、お上もお許しにならず、人も許さなかったのである。しかしながら太古は、悪い人は悪いが、大部分の人は、心が素直で正しく、ただお上の御掟を畏怖し慎み守って、身分相応に、行うべき事を行って、世を過ごしていたのである。だから今の世でも、同じ事であって、悪事をする者は、その軽重によって、お上もお許しにならず、世間の人も許さないので、その他は、少々は道理に合わない事があるからといって、人をそれほど深く咎めるべきではなく、今の世間の人はただ、今の世の中のお上の御掟を、よく謹んで守り、自分の私的な小賢しさで決めた、異様な行いをせず、今の世の中で行える程度の事を行うよりほかにない。これこそすなわち、神代からの真実の道の内容である。ああ恐れ多いことだ。 本居宣長 寛政元年十一月 名古屋 越智広海蔵板 発行書林 江戸日本橋一丁目 須原屋茂兵衛 伊勢松坂日野町 柏屋兵助 尾張名古屋玉屋町 永楽屋東四郎 【参考文献】 『本居宣長全集』第八巻 筑摩書房 関連記事:
by trushbasket
| 2019-09-21 15:19
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