<OBサイト記事再掲>【現代語訳】本居宣長『秘本 玉くしげ 上』 翻訳:NF
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身におはぬしづがしわざも玉匣 あけてだに見よ中の心を
<超意訳 by NF>身の程に似つかわしくない賎しい者のすることも、玉の櫛笥のようなものです。せめて開けて中にある心情をご覧ください
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2019年 10月 12日
※OBサイト「れきけん・とらっしゅばすけっと」で掲載していた記事です。当該サイト消滅に伴い、最低限の修正を経て本ブログにて再掲載いたします。現代からすれば表現に問題があるところや、説として古いものもあるかと思いますがあえて極力そのまま現代語訳しています。 はじめに 本居宣長が紀州藩に仕えていた弟子を通じて、紀州藩主から政治的助言を求められた際に書いたのが『玉くしげ』ですが、この『秘本 玉くしげ』は具体的な助言まで言及したものとされています。 現代から見れば不適切な考えや表現もあるし、NFの考え方と反する部分も少なからずあります。また、明らかに史実と異なる指摘もあるかと思いますが、資料としてあえてこのまま現代語訳させていただきます。ご了承ください。 『秘本 玉くしげ 上』 身におはぬしづがしわざも玉匣 あけてだに見よ中の心を 我々如き下賎の者が、御国政の内容などを、仮にもあれこれと申し上げることは、大変にもったいなく、恐れ多い御事であるが、ともかく御武運長久、御領内の上下が安泰であることを、恐れながら明け暮れに祈り申上げる心情から、こうあって欲しいああであって欲しいと思う事が多いところに、我が君の御仁徳が深くていらっしゃり、この度はめったにない思し召しを仰せになられ、そしてまた「思うところがあれば、遠慮なく申し出るように」との仰せを承るにつれ、ますます常に祈りもうしあげている心中の一片をも、申し上げたく、下賎の身分をも忘れて、恐れをも省みず、当時承っていた他国の様子などを、あれこれと引用して、心にあることを取り繕わず、言葉を飾らず、この一書に申し上げました。しかしながらやはり恐れ多い事であるなら、御覧に入れるかどうかは、ともかくも取次ぎなさる人の心に任せ申し上げる。さて我々如き者が申す事は、百や千に一つであっても、採用なさるであろうとは、思ってもおらず、ただ願わくは、仮に一度御目に触れて、御咎めさえなければ僕にとっては大いなる幸いである。また高貴な御方に御覧に入れるべき書は、その言葉を、口上として申し上げるように書くべきであろうが、そのようにしては逆に恐れ多いであろうから、ただ同輩同士で語り合うような調子の言葉で書き綴り、全体の文章も飾ることなく、ただ通俗の口語で申し上げる。これまた私めの考えをご賢察いただき、何事も御覧になって御許し頂くことを請い願い申し上げます。ああ、恐れ多いこと。 一般に天下を治め一国一郡を治める政道の大小について、その善悪利害の判断を立てる際に、まず学問をしない人の判断は、多くはただ今日における目の前の手近な事ばかりについており、工夫を巡らして、根本の所に気がつくのができないことが多い。たとえまた根本の所に気がついても、その工夫が不十分なことが多い。特に最近の世間の風潮は、ただ目の前の損得ばかりを考えて、根本の所を思って言う判断を、現在の役に立たず迂遠な事だとして、相手にしない習慣となっているが、これは大変な間違いである。現在における目の前の利益を思うならば、まずその根本から正さないわけにはいかない。根本を正さなければ、どのように工夫を巡らして、良い判断を立てるとしても、諺で言う飯の上の蝿を追うというもので、成し遂げられず、すべて無駄となり、あるいはついに大きな害悪を招くこともあるのである。なのでさしあたっては迂遠なようでも、ともかく根本の所に目をつけ、諸事の判断をするべきである。 そしてまた少し学問にたずさわる人の判断は、多くはただ四書五経など儒教経典の内容を、今日の政治に用いようとする。これは根本の所には近いけれど、経書の内容ばかりでは、時勢の様子、国の風俗、古今の変化などに疎いため、現在の政務には、本当に迂遠で、かえって世俗の人の判断にも劣ることもあるのである。しかしながら全体としては、あの当座の利益にだけ走る俗物な官吏の判断よりは、はるかに勝るものであろう。 また一層学問に深く没頭し、経書だけでなく、歴史やさまざまな学問なども取り扱い、その意味をも考え、古今に広くわたって、何事もよく理解し、世を治める概要をもよく把握した人の判断は、根本も瑣末な事もよく照らし合わせて考えるので、本当に天晴れといえ、俗人には及ばないことが多い。やはり世間に知られているほどの学者に、世を治めることについての理解があるのは、ますます学問も深く広いことであるから、なおさら良いことは多い。 しかしながらどれほど学問ができ、世を治める大筋をも知り、世間の事情にも明るいといっても、とにかく儒者はまた儒者気質の一種である考えがあり、議論の上での理屈は、大変尤もらしく聞こえるが、現実にこれを政治に用いると、案外良くないことも多く、かえって害のあることもある。総じて何事も、実際に行うことについては、その議論や理屈のようには行かないものである。また儒者はあの聖人の考えを根本としているので、国政の根本については、元来良く知っているように思われるが、実はやはり知らないところがある。したがってこれこそ国政の根本で究極であると思われる内容も、案に相違して、実際の政道には合致しない事もある。 だからこそあのように議論を小賢しく行う中国の各時代に、長らく太平が続いたことはないのだ。あの国は学問をよくし、賢い智者が時代ごとに出て、様々のよい判断を立てているが、昔から今に至るまで、治め方が良くなって、そうした政治が長く行われたことはない。そのありようを考えると、まず昔の人が考えた判断によって、その通りを行い試してみると、案外に良くないので、これはどうしたことかと思うところへ、後世の人が出て、先人の判断が間違っていると言えば、確かにと思い当たるので、また後の人の判断によって行うが、それもまた良くない。またその非を言い立てて、また新しい考えを立て、いつまでもそのようにして、しばしば改め変えているので、良いものはできず、逆に改めるごとに害が多く、その間には邪悪な者も多く出て、様々に国政を乱して、ついには国を滅ぼすに至った。 さてこのように色々と改めて、各時代を経た間は、しばらくは長く続いて、後世から見ても、そのやり方が本当に良いと思われることもあるが、それもまたその方法を後に行ってみるときには、思ったようにいかず、改めるのである。一般に儒者の性癖として、前の王朝が滅んだ理由を論じて、このようになったので、この国は滅んだのだから、この度は改めてこのようにすれば、必ず国は長く久しいであろうというのは、各時代においていつものことである。しかしながらその前の時代の欠点を省みて、これを改めても、またこれも同じ事で、長くは続かず、また議論には常に聖人の道と言い立てているが、その聖人の道のままでも、国は治まらないので、時代ごとに様々な新しい方式を立てているのである。 総じて昔から中国の風俗として、何事でも、古いものに依拠するのを尊ばず、ただ自分の私的な知恵で考え、全ての事を改め変えて、功績を立てようとする習慣がある。これはただ自分の才知を頼みにして、真実の道を知らないものである。したがってその考える議論や理屈は、どれほど尤もらしく、適切であるように聞こえても、実際問題としては、その議論のようには行われず、予想外の欠点があるのは、真実の道理に適っていない所があるためである。 それなのにわが国でも、儒者の考えは、ひたすら中国のやり方を良いように思って、物事を自分の考えで改変しようとしており、礼の儒者気質である一種の考えと申し上げるのはこれである。儒者はとにかく中国の政治方法を良いように言うけれども、あの国の時代ごとの治まり方は、学者の議論のようには行かないことから、その実は良くないことがわかるであろう。あの国はあれほど賢明な聖人賢者が出て、学問も盛んで、知恵の深い人も多いように思われる国であるのに、どのようにすればあのように時代ごとの治まり方が悪く、まとまらないのかというと、上述したように、道の根本を知っているような顔をしているが、実は知らないためである。 全体として世の中のことについては、どれほど賢明であっても、人の知恵や工夫には至らないところがあるものであるから、安易に新しい事を行うべきではない。全ての事は、ただ時代の流れにそむかず、先人のやってきた方法を守ってこれを治めれば、たとえ少々の欠点はあっても、大きな失敗はないものである。何事でも長らく慣れてきた事は、少々悪い点があっても、世間の人が安心しているものである。新たに始めることは、良いところがあっても、まずは人を安心させないものであるから、なるべくは旧来の方法によって、改めないのが国政の肝要である。これこそが真実の道に合致する詳細があり、その理由は別巻で詳しく述べるとおりである。 さて中国の治め方では、この国ではますます道に合致しないわけがある。このように言えば、儒者の心には逆におかしく思われて、「天地はひとつであり、人情はどこも同じであるから、中国と日本だって道が二つあるわけでなく、治め方の根本に変わりはない。特に中国は聖人の国なので、その道をおいて他に、身を修め国を治める事のできる道はない。聖人の道をおいて、他に道を言うものは、みな異端であり、正しい道ではない。」と儒者は言うに違いない。しかしながらこれは一通り誰でもみな言う事であって、珍しくない。更にその上を一段高く考えて、あの聖人の道は、やはり根本の所に間違いがあって、真実の道に合致しない点がある事を探求すべきである。上辺の議論の美しさに惑わされ、あの道に馴染んではならない。これらの理由も詳細に別の巻で述べた。 ただし根本の点にこそ違いがあるとはいえ、中国の道も、あれ程の聖人の智恵で作られたものであるから、末端の今日における行動などには、採用すべき点が多い。本朝でも中世以来は、多くが中国風の政治であり、風俗や人心も一般に中国風になった世の中であるから、今は末端の事には、あの国の道をも交えて行わなければどうにもならない事もある。だから国の君主である人は言うに及ばず、その政治を行う人々も、十分に漢学をも修め、その道のしかるべき所を、事によっては採用できるよう、またあの国の時代毎の治め方が、実際には良くない事も考慮に入れ、その根本の点においては、大いに違いがあるということをよく理解して、けっしてあの国の道に偏って惑わされてはならない。返す返すもこの根本が大事である。一般に世間で漢学をする者は全て、必ずあの道に偏り惑わされて、他に道がある事を知らず、その根本の違いを理解できないために、逆に国政を誤ることが多い。この点さえよく理解し、心に留めて動かさなければ、どれほど漢籍を見て朝夕に馴染んでも、害はないであろう。 さて上述のような事であるから、その根本である内容を、まず巻を開いた始めに申し上げるべきであるが、世間で書籍を見るような人の考えは、漢籍に依拠していてもいなくても、自然とみな中国風の考えになるものであり、その中国風の考えのほかには、耳に入りにくいものであるから、最初にその根本の理由をまず申し上げては、大変迂遠に聞こえ、国政に無益な無駄事のように聞こえるであろうから、見る人はすぐに巻を捨てて、最後を御覧にならないであろうと恐れ、これをしばらく後ろにまわし、別巻として、本書では手近な事だけを申し上げる。その別巻は、先頃に著述したところであり、この度に添えます。 さて国政は、大変に広範で多様なもので、一つ一つは簡単に言い尽くせないので、この書はただこの頃のさしあたっての事を、あれこれと抜き出していささか私めの思うところを申すばかりである。さてこの書は、その末端の身近な事に至るまで、根本の道を土台として、これに背かない事を肝要としているので、事によっては迂遠で、無益なように聞こえるところも多いであろう。しかしながら全ての事は、真実の道理に背いては、どれほど尤もらしく聞こえても、これを行ってみるときには、その思ったようにはいかないものであり、逆に害があることもある。また当分は得るものがあるようでも、必ず最後にはうまくいかないものである。また、根本の道理にのっとって行うときは、迂遠なようでいて、逆に思いのほかに早くその効果があり、うまくいくこともある。あるいは当分はその効果が見えなくとも、最後には効果が現れて、永久に行われることもあり、または目に見えては効果が内容でも、目に見えないところに大きな利益があることもある。したがって聞いたところは迂遠であるからといって、これを採用しないのは、件名であるかに見えるが、かえって愚かな事である。返す返すも道の根本の所を土台として、瑣末な事までも、これに背かない事を慣用として、何事も行うべきである。 全体として上中下の人々の身分の有り様は、それぞれその分相応でよい程度があるのは勿論であるが、その分際について、どれほどが分相応であるかと言う事は、はっきりした見本がないので、実際には定めにくいものであるが、古今を広く考察して、これを推測すると、今の世の人々の身分の有り様は、上中下ともすべて、身分よりは特に豪華に過ぎる。まず上を言えば、今の大名方の御身分の重々しさは、太古の天子や中世の大将軍などの御様子よりも勝って、何事にも荘重である。それに準じて中や下の人々もみな同様で、例えば今の世の中で千石を取る武士は、昔の一万石または四から五万石を取っていた人程の重々しさである。百石取る人は、昔に千石や四から五千石を取っていた人と同程度で、このように上中下すべて、身持ちが殊の外に重々しいので、これに準じて、身分不相応に気持ちも高い身分のようになって、昔は大名も自分でしていたような事でも、今では百石や五十石程度を取る人もみな、下の者に言いつけて働かせ、自分ではしないようになった。豊かな町人などは尚更である。しかしながらこれは天下一同の事であるから、それぞれ身分に過ぎているという事を自分でも気づかず、元来そうであるはずのものとばかり思っている。身分を重々しくするのは、贅沢とは別のようであるが、これは多いな奢りである。その中で平民の奢りは、その身一代限りの事で、害が他に及ぶ事はないが、上の人の奢りは、害が領内に及ぶ。全体として太平の世が長く続くときは、いつの間にか世の中の物事が華美になって、際限なく、次第に世の中が困窮し、ついには困ったことが起こるのである。既に最近は諸大名の家々が金が足りず、多くは御財政が逼迫しているのは、全てこのためである。昔は諸大名はどこも、毎年多くの軍役を務めていた時すら、今のように逼迫することはなくて、豊かであったのに、今の世の中はまったく軍役をお勤めになることもなく、知行の収入は、新田などもできて、多くなりこそすれ、昔より減ったことはないのに、かえって御財政がたいへんに逼迫するのは、どういう事であるか。これは全て世の中が次第に華美となり、いつの間にか自然と御身分が余りに重々しくなり、何につけても御支出が、昔よりは格段に多くなったためである。だからといって、目に見えては先例と格別に変わったところもないであろうが、ただ目に見えないところに、大変な変化があることが多いのであろう。 さて御身分が重々しいことによって、次第に御支出が多くなった理由は、まず目の前の問題としては飲食や衣服、そして調度などであるが、これらは大名の御財産では、何と言うこともない。しかし世間で倹約といえば、まず第一に飲食衣服音信などを減らす事であるが、これは下々の財産でこそ、大いに違いが出ることであり、大名の御財産では、これらの倹約ばかりでは、それほど御財政が改善することは、できないであろう。これらの他に、すぐにそれとは気がつかない事に、莫大な出費があることが多い。まず御身分が重々しくなる事によって、それについて全ての事を、殊の外に重々しく取り扱うので、武備国政のほかに、御身分の事についての様々な役人が多く、一人で済むであろう事にも、上役下役と段階があり、人手が多くかかり、たいした事のないものにも、多くの人手間がかかり、次第に回数も多く出費も多く、その一つ一つの扱いに、一つとして御支出のないものはない。また上下の役人が多ければ、横流しで抜けていく出費も多いであろう。 全体として上の物事を、下で扱う事は、余りに重々しいので、下の煩いとなる事は言うまでもなく、無益な出費も大変に多いものであるのを、その細かな事までは、上には御気がつきにくいものである。あの飲食衣服などの類も、上が御召になるものは、どれほど美を尽くしても、たかが知れているものであるが、それを下で余りに重々しく取り扱う事で、役人なども多くなり、ひたすらに念を入れるのをよい事とする習いとなり、年月がたつごとに諸事が重々しくなり、無益のことに大変な念を入れるから、何につけても出費が大変に多くなるのである。全ての事を、余りに大切に重々しくする時には、ただ無益な出費や、無益な扱いばかり多くなり、かえってその本来の意味である実際が失われ、表向きばかりとなり、粗末に扱うよりも、結局はるかに劣る事も多く、またかえって扱いが大変悪い事も多い。例えば直接に君主の御前に伝えても良い事も、ここの役人の手を経て、あそこの役所に伺いなど、あれこれとするので、無益な人手や手間がかかり、紙や筆の費用ばかりかかって、かえって火急の御用の処理などは滞って、何の利益もない。全ての事はこれに準じて理解できる。 全体的に今の世の中は、大名方の御身分に付随する諸事の取り扱いをみると、十のうち六や七はどれも省いても良い事ばかりである。これはみな先に決まった定まった規則のように思うけれど、昔は全体的に物事は無造作であり、今の世の中のように重々しくはなかったので、何事も出費は今の半分もなく、かえって扱いもよかったのである。さて軍記などを読んで、昔の大名の身分や働きと、今の様子とを比べて、今の世の中が大変に重々しいことを考慮すべきである。主君がそうであるだけでなく、家中までみな、分相応よりも殊の外に重々しくなった事は、既に上述した通りである。これらは戦国時代と、太平の世とは、同じように言うべきではないだろうが、今の世の有り様は、余りに重々し過ぎる。例えば甲乙丙丁と上下各段の役人があり、物事を執り行う際に、昔は甲が自分で取り扱っていた事を、今は乙に言いつけて行わせ、以前は乙が勤めていた仕事も、近年は丙に努めさせるようになり、去年までは丙が自分でしていたことを、いつの間にか今年は丁にさせて、丙は手を下さなくなり、全体に下々まで武士の身持ちは、次第に重々しくなってゆくのについては、国の政治のためにも、良くない事である。 上述のように身を重々しく持つ事で、自然と家庭の生活も良くなり、身の面倒は少ないけれど、出費は多いので、結局はそれぞれのためにも損である。さて諸大名の江戸御往来の人数は、殊の外に多いものである。今の大名の御往来の人数は、全く軍陣の際の人数である。平時の往来に、このようにおびただしい人数を御引き連れになるのは、和漢古今聞き及ばない事であり、無益の出費が多いであろう。ただしこれは、昔の戦国から間近な時代の御定めであり、武備にかかわり、公儀にかかわる御事で、今私的に減少させる事はできないという理由があるのかもしれないが、今の太平の御世の有様としては、大いに減らしなさって、五分の一位でも良いのではないかと思われる。 さて主人の連れる人数が多いのに準じて、家中の人々が常々に往来する際の人数もまた大変多い。一人の従僕だけでも良いであろう程度の人も、三人や五人を引き連れ、三人や五人程度でよいであろう時にも二十人や三十人や五十人も引き連れなさる。このように人数は多いけれど、まさかの時の役に立つ供回りは、まれであろうから、これはみな無益な人数であり、ただ外見の美しさと、途中の身の用事を自由にするのと二つに過ぎない。たとえ武備のためであるとしても、このような静謐な御世に、通常の往来に、これほど多くの人を引き連れなくとも、何の間違いが起ころうか。結局はただ身分を重々しくする飾りというのみである。 そしてまた江戸詰の人数も、これまた大凡は公儀の御定めがあるのかもしれないが、太平の御世としては、大変に多く、出費がおびただしいことであろう。御領内の政務については、みな国許で行われることであるから、江戸御屋敷の御用としては、ただ公儀の御勤めや、あるいは御親類やその他との御交際、更に御国許との連絡などのみであり、その他はどれもみな、御方々の御身分に付けた御用ばかりであろうから、決して武備のためにもならず、ただ御身分が重々しいためについている、男女の人数が大変に多いので、無益の御支出がおびただしいことであろう。 大体において上述の事などは、今の人は、今のそのままを当たり前の事と思うであろうが、決してそうではない。書を読んで、昔と比べて、今は何事も大いに度が過ぎている事を理解すべきである。全体的に大名の御身分が余りに重々しいため、御出費がおびただしいのは勿論であり、またこれによって国政の妨げとなる事が、何に付けても多い。その理由は所々で申し上げよう。 そもそも下々は定まった禄がないので、困窮に及ぶ者が多いのも無理もないが、武士は定まった禄があるので、その分相応にさえ暮らせば、逼迫することはあるはずがない道理である。大名も、時々凶作や水害などがあって、御収入が減る年があるけれども、これらは昔からある事であり、今始まった事ではないので、常にその御対策はなくてはならないものであり、また公儀の御手伝いなどに、過分の御出費があるのも、これも決まったことであるから、常にその対策もあるはずである。また凶作などには、御領内の民を、十分にお救いになって、一人も飢えや寒さに至らないようお取り計らいになるはずのことは、最も決まったことである。そして御軍用の蓄えは申すまでもない事で、すべて常に上述の対策をも、十分にして、その余った分を計算し、年毎の御出費を賄いなさるなら、特別な御逼迫はあるはずがない道理であるのに、上述の御対策が行き届かないばかりか、あまつさえ毎年定まった御財政すら出来ない家々が多いのは、どういう事であるか。昔は下々から上納されるものは、今の年貢に比べれば、大変少なかった時代ですら、今のように上が逼迫なさることはなく、民をお救いになるのも、随分と行き届いて、凶作の年ならば年貢をも、ある時は半分に減らされ、時によっては全てをも免除なさることもあり、またそれぞれの御対策なども良く出来ていた。しかしながら今は、臨時に年貢を免除なさることもなく、全体の御収入も、昔の十倍であるのに、それでも出費が足りないのは、全体の物事の取り扱いが、余りに重々しく、無益な事が頻繁で、御支出が過分に多いためではないか。 そして中小の武家が、多く家計に困窮するのも、また同様に分不相応に身分が重々しく、何事も華美になって、出費が多いためである。武士は多くは町人などに比べると、内実は華美とはいえないようであるが、それでも世につれて自然に何事も華美になっている。武士が贅沢になれば金銀が欲しいままに、自然と不正をも行い、また大変困窮するときには、自然と肝心の武備をも欠く事がある。よく心得るべきことである。 それに付けて思うのであるが、現在役目が忙しくない家臣衆は、大小上下問わず、十分に農作業をし、家中の婦人は、女工として働いたらよいのではないか。その中で身分の低い人々は、出来る限り、自身で鍬や鋤を持って働き、また自身ではさすがにそれほど働くわけにはいかない身分の人でも、十分に駆け回って指図や手伝いなどをして、全体的に多くは田の耕作をするようにしてほしいものだ。そうする時には、さしあたってまず家計出費の助けにもなるだろうし、また武士の筋骨身体が強くなって、第一である武の働きのためにも大変良いであろう。そもそも武士は、常に身を重々しく安逸にしていては、身体が虚弱になって、肝心の働きの際に大いに苦労するであろうから、常にこれを心がけて、筋骨を丈夫にして欲しいものだ。 近頃の百姓は、特に困窮のひどい者ばかり多い。これに二つ理由がある。一つは地頭に上納する年貢が多いためである。二つ目は世の中一同の贅沢につれて、百姓も自然と身分に比べ贅沢になったためである。まず一つに地頭に上納する年貢が、大変多いと申し上げる詳細は、まず中国の太古には、十分の一というのを、ちょうど良い程度としたけれども、後世には段々と多くなった。しかしながらこの国の今のようには多くはなかった。さて本朝は、大宝年間に令での御定めを見ると、二十分の一ほどに相当し、例えば米二十俵取れるところで、年貢はわずか一俵で済んだのである。ただしこれには少々疑問なところもあって、別に僕の考えもあるが、たとえその考え通りだとしても、十分の一以上にはならないのである。その他に調庸という税もあったけれど、それも大したことではない。大宝年間がこのようであったので、それ以前、太古はもっと年貢が少なかったであろう事は、理解するべきである。 さて中世から次第に令の制度が崩れて、年貢なども、全くその昔の定めのようではなかったと思われるが、それほど過分に変わる事はなかったが、源平の乱の後に、鎌倉から諸国にことごとく守護地頭というものが置かれる世になると、領主と地頭の両方に年貢を上納すること隣、この時から年貢はずっと多くなったのである。領主というのは、元来その土地を領有する都の人々である。守護地頭は武家である。そして次第に守護地頭の威勢が強くなり、足利の世の中頃から後になると、領主に上納すべき年貢をも、全て地頭が押収し、大将軍の号令も及ばないようになると、天下の大名小名が、それぞれ思うままに領地を治め、隣国を攻め取るのを常とするうちに、それぞれ武威を盛んにし、兵力を強くするために、段々と人数を多く雇うので、年貢をも余計に多く取らなければ足りないようになり、年々増加することとなった。大体において戦国の頃の様子は、田畑の収穫のうち、わずかに農民の命をつないで、飢餓に至らない程度を百章の手に残して、その他はみな年貢に取るほどの事であったのは、ひどい事ではないか。そして豊臣関白の御世に、天下一統に治まり、何事も法制が定まって、乱れた事は止んだけれど、年貢の分量は、大体もとの戦国の時のままで、昔に戻って減ったという事もなかった。次に東照神御祖命の御時も同じ事であった。この時に世の中が太平に帰して、戦は止んだといっても、あの戦国の時の様子が、年を経て、長らくその習慣に慣れていたので、急に天下の武士を減らしなさることもできないので、たとえどれほど御志がおありでも、年貢も急に余分に減らしなさることはできない、自然の情勢であったので、そのままで今に至っているのである。 (NF注:実際には宣長の主張は必ずしも史実と合致しているとは言えなさそう。ただ、凶作の際にはまだ飢餓に陥ることもあり貧富の差も大きかった事を考えると、百姓の生活改善を訴える視点からは宣長の献言は的外れとは言えない。) だから今の時代の年貢は、あの戦国の頃のままであるから、大変に多いのである。しかし今の武士は、昔の定めの量も考えず、次第に年貢が多くなった理由も考えないで、ただ元から今のように上納されるべきはずのものと理解していて、みだりに百姓を虐げ苦しめる国も他国にはあると聞くのは、どういう事であるか。 さて年貢が二十分の一ほどで済んだ、昔の時代でも、百姓は豊かな者ばかりではなく、貧しい者もいたけれども、その時代は、年貢は少なかったので、一反か二反の田を作れば、今の時代に一町余り耕作する程度の米を得られたので、貧しい者も貧しいなりに、体を費やし心を労する事は、大変少なかったのに、今の世は年貢が多いので、昔に一反二反の田を作って取っていた程度の米は、一町や二町も耕作しなければ、自分のものにならないので、それだけに体を使い心をも労するのが甚だしい上に、それに加えて本当の米は、多くは上納して、自分はただ米ではない粗末なものばかりを食べて過ごしているのである。これを思えば、今の百姓というものは、大変哀れで不憫なものである。 しかし今の世のどこの国であれ、仁徳深い領主があって、上述の詳細をよく理解なさり、百姓を不憫にお思いになって、年貢を半減に改めたいとお思いになる御志があっても、これは決してかなわないことである。その理由は、戦国以来諸大名が武士をおびただしく扶持なさっているのは、自然と決まりになって、長らく年代を経てきたものであるのに、その武士を余分に減らしなさると、公儀の御軍役も勤まらず、また多くの武士が、急に難儀に陥ることになるので、これを減らすことは出来ないから、年貢も今更急に減らすことは、決して出来ない御事である。また百姓も、年代久しくなれてきた年貢の事であるから、今の決まり程度は、必ず上納するはずのものと理解していて、これを過分に多いとは思っていないので、不憫ではあるが、年貢は定まったとおりであるべきだが、せめて上述の詳細をお考えになり、今の世の百姓は、心身を労する事も、昔よりひどく、年貢に大いに苦しんでいるという事を、朝夕にお忘れにならず、不憫にお思いになって、いままでやってきた決まりの年貢の量を、決して増やさないように、少しでも百姓の辛苦が休まるようにと、心がけなさるのが、御大名の肝要であり、下々の役人たちまでも、この心がけを第一として、忠義を思うならば、十分に百姓をいたわるべきである事を、常に仰せになるべきである。 ところで今の世は、百姓のほうも、年貢の決まりに正直でない事をたくらみ、これを免れようとする者もあるけれども、それも結局は上からの労わりがなく、扱いが悪いので、下からもそのような企みをするのである。上の御恵みさえ行き届けば、下は速やかに感激し申し上げるもんである。それなのに他国の様子をお聞きすると、上も下々の役人も、百姓を扱うのに、露ほども恵み労わる心がなく、年貢は元から今の世の決まりのように当然出すはずのものと考え、その決まった年貢の他にも、なお様々な事を考えて、ただひたすらに取り上げる事を仕事として、飽く事無く、たまたま主君が仁徳の心があって、これを緩やかにしようと御思いになっても、下の役人がこれを認めず、あるいは下の役人に仁徳の心があっても、上がこれを許さず、ただ百姓を苦しめ抜いている所もあると承っている。 上述したように、年貢はこれまでやってきた決まり程度は、やむを得ずその通りなのであるが、せめてそれ以上は決して増やさないようにするのが望ましいのに、近頃は段々に増やすばかりで、少しも減らす事はなく、また様々な掛り物などというものさえ次第に多くなり、その他にも何のかのといって、百姓から出すものが、年々多くなっていくので、百姓は困窮が年々につのり、未納分が積もり積もって、ついには家が絶え、田地も荒れるので、その田地の年貢を村中に課するので、他の百姓もまた耐えられなくなり、あるいは困窮に耐えかねて、農業を捨てて、江戸大坂や城下町などに移って、商人となる者も次第に多くなり、子供が多ければ、一人はやむなく百姓をさせるけれど、残りは多く町人に奉公に出して、最終的に商人になるなどするので、どこの村でも、百姓の竈は段々と少なくなって、田地は荒れ村は次第に衰える。そのために法律を作り、百姓の兄弟子供などを外に出すのを、厳しく禁止している国々もあるが、それは源流を濁らせて、流れの末を清めようとするようなものだから、その禁制もとかくうまくいかず、また今の世の中は、ただ当面の事ばかり慮って、長期的な事を考えない習慣であるから、さしあたってまずその年の上納さえ整えば、良いことにして、百姓が疲弊するのを顧みず、百姓が疲弊すれば、将来的には上の大きな損失である事も思わず、徐々に農民が衰えていく事は、返す返すも嘆かわしい事である。 さて二つ目に、百姓の身分は、上述のように余裕がない上に、また町人などの贅沢を見てそれに倣い、自然と贅沢もするので、いよいよ困窮がひどくなる。もっとも町人の贅沢に比べれば、百姓の贅沢は、どれほどのものでもないのだが、元々に余裕がないので、少々の事でも、疲弊となる。困窮する百姓の身分で、贅沢という程度の事は、とてもできないのであるが、世の中につられて、知らず知らず贅沢が身につくことが多い。例えば衣服などは、昔は木綿でなければ用いなかった程度の者でも、今は一般に衿帯などには、絹の類を使うようになり、昔は藁莚でなければ敷かなかった家でも、今は畳を敷くようになり、昔は雨に蓑笠草鞋で歩いた者も、今は傘をさし草履を履くようになった。これらに準じて、他の事にもこの類が多く、出費が多いのである。 百姓や町人が大勢徒党を組んで、強訴や乱暴をすることは、昔は太平の世には、けっして承らなかった事である。近世になっても、先頃には非常にまれな事であったのに、近年は年々所々であり、珍しくないものとなった。これは武士は関わらず、所詮は百姓や町人の事であるから、大したことはなく、小さな問題のように見えるが、小さな問題ではない。これは重要な事である。どれも困窮に迫られて、仕方なく起こったとはいえ、考えるに上を恐れないために起こったのである。下民が上を恐れないのは、乱の原因であり、大変容易ならざる事であり、まず第一にその領主の恥辱は、これに過ぎるものはない。だからたとえ少しにせよ、そうした事があれば、それが起こった根本を、詳細によく吟味して是非をただし、下に非があれば、その張本人の連中を、重く罰しなさるべきであるのは勿論、また上に非があれば、その非を行った役人を、重く罰しなさるべきである。 そもそもこうした事が起こるという事を考えると、どれも下の非はなく、みな上に非があるために怒ったのである。今の世の中は百姓や町人の心も、悪くなったとは言っても、よくよく耐えられない状態にならなければ、騒動はおこるものではない。たとえ起こそうと思う者があったとしても、村々で一致する事は難しく、また悪党がいて、こうした事を進めて回っても、このような事を一同で密かに申し合わせるのは、漏れやすいものであるから、なかなか大抵の事では、一致はできないであろう。それなのに近年にこうした事が所々で多いのは、ますます百姓の心も動揺し、また役人の行いもますます悪い所が多く、困窮も甚だしいため、一致しやすいのである。しかしながら近年に世間でこうした事が多いのについては、どの国も、上でも常にその心がけを怠らず、起こしにくいようにあらかじめ防御策もあるのであるから、下はますます一致しにくく、起こしにくい道理である。上のかねてからの防御は、隠す事ではないから、どのようにも議論しやすく、表立って計画するものであるから、行いやすく、またたとえ下に隠して計画するものでも、上は元来一致しているので、どのようにもなる事なのに大して、下がこのような事を起こそうとするのは、上に隠して、大変に秘密で談合するものであり、特に世間は広いので、必ず途中で遺漏するはずの道理であるのに、近年ではたやすく一致し団結して、こうした事が起こりやすいのは、結局はこれは人為(人の手で意図的に作り出されたもの)によるものではない。上の人は深く思慮をめぐらすべきである。 しかしながらどれほど起こらないようにあらかじめ防御策をするといっても、末端の原因を防ぐばかりでは、騒動を止める事は出来ない。とにかくそれが起こる根本を是正せねばならない。その根本を直すというのは、理に適わない対処をやめて、民を労わることである。たとえどれほど困窮しても、上の対処さえよければ、こうした事は起こるものではない。しかし近年は、あちらにもこちらにも強訴・暴動が多いので、珍しくない事態となり、まずひとまず鎮静化すればよいとして、それほど後の調査も詳しくはせず、張本人を二三人ほど捕らえて、決まった通りに刑を行えば、それについて、その後の上の振る舞いを改める事もせず、世間に例が多いので、さほど恥辱とも御思いになっていないような所もあるということだ。そしてその張本人というものも、最近はただ仮に決めた者であって、本当の張本人ではない。その仮の者というのは、あらかじめそうした事を起こす始めから、相談して仮にこれを張本人という事にして、後に刑を執行される覚悟で決めておくので、これを処罰しても何の利益もなく、みすみす罪のない民を殺すのは、哀れむべきものである。上でも仮の張本人だという事は知っていながら、ただ決められた法さえ守ればよい事として済ませる。近年には何事にもこのような軽々しい無実の処罰が多いのは、全くあってはならない事である。たとえ自分が張本人だと名乗り出る者があっても、よくその真偽を調べて、疑わしいなら、実際の張本人が出るまでは、その偽者を処刑すべきではない。草の根を分けてでも、本当の張本人を探すべきである。 ところで近年にこうした騒動が多いために、この頃の上からの対応も、やや厳しくなって、もし手ごわければ、飛び道具なども用いるようになった。これにより下での準備も、またそれまでとは異なり、あるものは竹槍などを持ち、飛び道具なども持ち出して、全体の振る舞いは次第に増長したようである。これはいよいよ容易ならない事態だ。この騒ぎに乗じて、万一に不慮の変事などが同時に起こることも、ないとはいえない。まず下はたかが百姓町人であり、その請願を聞き届けさえすれば良く、またたとえ本当に軍事衝突しても、武具なども揃わず、戦いの方法なども知らない者であるから、結局は恐れるには足りないと思われるが、もし上から容赦なく厳しくこれを防げば、下よりもまたいよいよ容赦なく、身命を捨ててかかってくることもあるであろう。その時にたとえ武士一人が、百姓町人の三人や五人ずつに対抗できるほどの働きをするとしても、ついに多勢に及ばず敗れる事も、ないとはいえず、またたとえどのような計略をめぐらして、十分に勝利するとしても、敵とする相手は、みな自分の民であるから、一人でも損なうのは、結局は自分の損である。また手に余る時に、近国などから加勢があって、軍勢を出されると、たとえ早期に騒動が静まっても、ますます恥辱の限りである。ただしさしあたっては、相手が手ごわい時は、やむを得ず、少々人的損害を出しても、まず早期に鎮めるようにするのが、もちろんそうあるべき事である。またその後に恐れさせるためにも、一旦は武威で、厳しく抑圧して鎮圧するのも権道としてしかるべきである。しかしながら結局は武威ばかりでは抑えられない。こちらから厳しく当たるのは、以降は民からもますます厳しくかかってこいと、教えるようなものであるからである。だからこの事に関してはともかく、その起こった根本の原因を慎む事が大事である。 今の世の中で町人の贅沢は、特にひどいものである。どれも飲食衣服を始め、諸道具や住居など、みな高貴の人の身の上とさほど変わらず、中でも特に富裕な者などは、内部の詳細な贅沢は、大名にも全く劣らず、何事にも贅美を尽くして、豊かに暮らしている。そして町人は、特に決まった階級のないものであり、かつては同等であったので、財産の多少は雲泥の違いであっても、ともかく富裕な者の身の上を見習い羨んで、それほどでない者もその真似をして、分不相応に豊かに暮らそうとするので、家計が困窮する者が大変に多い。あるいはその困窮を隠そうとするから、ますます困窮がつのったり、または財産を立て直すために、性急に巨利を得ようとして、つまらない事にひっかかり、家を滅ぼす者も多い。さてこのように全体が格別に奢り高ぶっているが、これは天下全ての事であるから、当たり前になって贅沢というようにも見えず、それぞれ自身でも贅沢という事には気づかず、元来そうであるはずのものと思っているのである。 その中でたまたま、世間の奢り高ぶっている事に気付いて、物事に質素を心がける者もいるが、世間一般から外れると、かえって変であるように言われ、人に悪く思われるので、仕方なく自然と世間に従う事が多いので、これも贅沢を免れる事は出来ない。また時々は倹約倹約と言い立てて、省略する事もあるが、ある時は省略してはならない事をまず省略し、ある時は止めてもさほど役に立たない事をやめたりして、全体の贅沢は相変わらずである。またしばらく倹約をしても、世の中が皆そうである訳ではないから、世の中に釣られてまたいつの間にか緩んで、元のようになるなどして、一般に質素に戻る事は全くなく、年々月々に世間が華美にばかりなっていくので、貧しい者も世間につられて自然と出費が多く、困窮する者ばかりが多いのである。 さて世間の贅沢については、商業も盛んで、世の中が賑わい、金銀が流通しているので、それほど困窮はするはずがないと思われるが、そうではない。上中下ともに身分不相応に贅沢し、家計が困窮しているので、商業は盛んでも、買ったものの代価を払えない者が殊の外に多く、また借りた金銀を返さないものが多いので、商人や金融業者も利益を上げることができず、損をする事が多く、また世の中全体の商業は盛んであるが、百姓が町人になるのが多く、商人の数が次第に多くなっているので、それぞれの個人の売り上げは多くない。売り上げが少ないと、生計が立たないので、無理に多くしようとすると、値引きによる損が多くなり、また困窮に至る。そして町人は家計は困窮していても、百姓よりは肉体労働が少なく、また百姓よりは贅沢しても通用するものであるから、百姓はこれを羨んで、とにかく町人になる事を願うものが多い。そのため商人は年々多くなり、共倒れになるのである。 そしてまた世の中の贅沢が酷いので、その贅沢に用いる様々な物品はおびただしく、それに人の手間を費やす点もまたおびただしい。そもそも人間に役に立つ一切のものは、元はみな大地から生じるものであるが、その中になければならないものと、無用の贅沢に用いるものとがあるのだが、世間の贅沢が強くなったので、その無益の事に多くを費やす。その無益の物のために、田地や山林を多く用い、必需品が生産される妨げとなり、また無益な事に様々な人の手間が入る事が多いので、有用な仕事をするべき者も、その無用な仕事をして渡世をする。これは天下の手間の無駄使いであり、そうした無益な物に土地を費やすのも同じ事である。しかしながら世間の人はこの詳細を理解せず、何をしていても、人の生活できる事が多く、商業も盛んなので、世間は賑わい繁盛していると考えるのは、誤りである。 平民の身一つについては、確かに何の仕事をしていようと、金銀を得る額が多いのが利益であるが、上に立って民を治める人の身にとっては、領内全てに利益があることでなければ、損失である。例えば城下町は賑わって、商人は多くの利益を得ても、町の外の百姓が生活に詰まっては、根本を失い瑣末な所に利益を与えているのである。ただしこれは、天下と一国一国とで違いはある。例えば何であれ、世間で無益な贅沢のために用いるものを、多く生み出す国があると、これは天下から言えば損であるが、その国にとっては損ではない。なぜかというと、その物を多く作り出すだけ、米穀を生産するのが少なくとも、その物の代価で、米穀などを、その分だけ他国より買い取れるので、その国には損はない。しかし、その国で米穀を生産しない分だけ、天下にとっては損である。一般にこれに限らず、天下と一国一国とでは、その意味合いが変わる事は他にも多い。 ところでまた交易のために、商人もなくてはならないものであり、商人が多いほど、国のためにも民間のためにも、便利なものである。しかしながら総じて便利が良いと、それだけ損失もある。何事も便利が良いと、それだけ出費も多く、不便であれば、出費は少ない。しかし今の世の中は、どの人も他人に劣るまいと良いものを望み、便利な上にも便利を追求するから、商人や職人は、年々月々、便利な事や珍しいものなどを、考え出し作り出して、これを売り広めるため、年々月々、良いものや便利なものが出来て、世間の人の出費は、だんだんと多くなるのである。一般に何事も、これまで無ければ無いで事足りていたことも、あるのを見ると、無いのが不自由に思え、また今までは粗末なもので事足りていたのも、それより良いものが出ると、粗末なのは大変よくないように思われるので、次第次第に物事も数が多くなり、華麗になっていくのである。こうして物事も、一つでも多くなり、華美になると、それだけ世話がかかり、出費は勿論多い。これはすべて世間の贅沢が広がり、結局は困窮の元となるのだ。そしてまた世間が困窮すると、富裕な者はますます富を重ねて、大体において世間の金銀財貨は、動いて豪商の手に集まるのである。富裕な者は、商売で何事も工面しやすいのは、言うに及ばず、金銀が豊かであるため、何事に付けても勝手が良く、利益を得る事ばかりなので、ますます金銀は次第に増えるのに対し、貧しい者は、何事もみなその逆なので、いよいよ貧しくなる道理である。 さて世の中が困窮して、貧しい商人が多いので、その貧しい者は、何事も勝手が悪いので、売るものも買うものも、多くは勝手の良いほうにつくため、豪商はますます工面しやすい。また世の中が困窮すると、金銀を借りる者が多いので、富裕な者は、これを貸して利益を得る事が多いので、貧しい者は、借りて利息を払い、ますます苦しむのである。また借りて返さない者も多いが、それについては、貸す者は色々と思案して、確実な方法を考えて、利口に立ち回るので、損をする者はまず少ない。総じて今の世の中は、大抵利益を得る事は難しく、損しやすい時代であるので、豪商はまず金銀を減らさない智恵を第一として、確実なものを選ぶので、まず財産が減る事は少なく、とにかく増える方が多い。しかしそれも少し良くないほうに傾くと、万事がどれも逆に働くので、巨万の金銀も、消えやすい事では春の雪のようだ。しかしその金銀も、貧民を潤さず、それもみな豪商の手に入るのである。また富裕な者は、一時的に大損をする事があっても、土台が丈夫であるので、また取り返す事もたやすいが、貧しい者は、損をしても、また取り返す元手がないので、永遠にその損を取り返すことは出来ない。何にしても貧乏人と金持ちの境目は、大きな違いであり、貧乏人は金持ちのために貧しさをまし、金持ちは貧乏人によって、ますます富を重ねるのである。 これは商人だけでなく、百姓などでも同じ事であり、富裕な者は、百章でありながら多く商業にも従事し、金銀の遣り繰りの上で利益を得る点でも、商人と変わりなく、また農作においても、富裕な者は利益を得る事が多い。肥やしなども十分に入れ、人手間も十分にかけて作るので、実りも特によく、米などを売り出すにも、利益の多いときを待って売るので、金銀を得る事が多く、貧しい百姓は、少しの米を売るにも、待つ事が出来ないので、急いで売るためみすみす利益を得る事が出来ずにおり、何事も商人の場合と変わらない。 とにかく貧民は、何に付けても気の毒なものである。しかしながら世間の金銀財貨は、とにかく平等には行き渡らないものであり、偏在するのは古今の常であり、ちょうど良く流通するようにはならないものである。その中でも今の世の中は格別で、貧しい者はますます貧しく、富裕な者はますます富むということが激しいので、上に立って治めなさる人の御計らいで、何とかして、大変富裕な者の手に集まっている金銀を、程よく分配して、専ら貧民をお救いなさるようにしていただきたいものだ。 ただしその分配方法は、富裕な者が帰服して、心から出すようでなければ良くない。どれほど多く蓄えを持っていても、これはみな上から賜わったものではなく、人の物を盗んだのでもなく、法に背く事をして手に入れたのでもなく、どれもこれはそれぞれの先祖、または自分の働きで得た金銀であるから、一銭といっても、無理にこれを取り上げてよい道理はない。金銀はどれほどたくさん持っていても、人はそれぞれもっと増やそうとこそ思っても、少しでも、理由なくこれを出すのは、大変憂えるものである。しかしながらまた、心から帰服さえすれば、つまらない仏寺などのためにも、多くの金銀を出して、惜しむ事がないので、まして領主が貧民をお救いになる、御仁政のためならば、その様子によっては、十分に心から感服して、貢献し御用に立つであろうから、それには良いやり方があるであろう。とにかく無理にこれを召し上げるのはよろしくない。 またその金銀を、他の事に用いるのもよろしくない。ひたすら貧民を救って欲しいものである。上から民をお救いになる御仁政が専ら行われて、貧民がその御恵みを有難く思い申上げる様子を見れば、仰せ付けられなくとも、自然と富裕な人は貧民救済の志が出来てくるはずである。そしてもし志があって、貧民を救う者があれば、その程度によって厚くこれを賞賛なされば、ますます互いに励みあって、貧民を救う者が多くなるだろう。 しかし他国の様子を承ると、近年は民を救う政治は少なく、ただひたすら上の御用の金銀ばかり御言いつけになっているので、富裕な人はこれを恐れて、志がある者も、貧民救済をできず、またたまたま救う者があっても、それを賞賛なさることもなく、ただ上の御用に立つ者のみを、賞賛なさるようであるが、そのように金銀を、上の御用に立てて、賞賛され、羽振りの良い者を、世間ではかえって嫉み憎むので、それを羨む者は少ない。貧民を救って賞賛されるのは、世の中の人が大変喜ぶ事であるから、嫉み憎む者はなく、これを羨む者ばかり多くなるだろう。その所を良く考えて、金持ちの金銀を分配して、貧民を潤す方法はあるはずである。 さて上述したように、金持ちと言っても、その金銀は、それぞれの働きで手に入れたものであるから、無理にこれを召し上げるのは、よろしくない事である。またやむを得ずこれをお借りになることがあっても、それも無理にするのはよくない。ただし御領内に居住し、豊かに暮らしている君恩を、有難く思い申上げて、冥加のために差し出す事を願う者があれば、それは別である。しかしそのような金銀も、みな貧民に施して、なるべくは、上の御用には用いなさらないようにして欲しいものだ。またそれぞれの都合にもなり、冥加のためにもなるからといって、常に金銀の御用を務めようと願う者があれば、もし御用があれば、これはお許しになるべきであろうか。しかし上の御用を承るのにかこつけて、人に金銀を貸すのにも、その御用といって貸し付ける事が、最近はどこでも多い。これはますます豪商を富ませる事であって、世の貧民のために大いなる害悪である。たとえ上のためには、御便利である事といっても、下々の民のために害があるのは、すべて禁じなさるべきである。 そしてまた今の世の中は、武家は大小によらず、仕送りといって、町人に財政を賄わせる事が多い。これは便利で勝手が良いようであるが、結局は損が多い。町人はこれによって、多くの利益を得る。それだけ武家に損があることは、目に見えているが、困窮したときなど、さし当たって便利なので、損を承知ながら、みな申し付けているのである。しかしこれはみな、豪商が承ってする事であるから、ますます富を重ねさせて、武家に破損があるので、なるべくは用いないようにして欲しいものである。 人は何事も、その身分相応にするのがよい。地位以上に贅沢するのが悪いのは、言うまでもないが、また余りに地位より低くして吝嗇するのも、正しいあり方ではない。大名は大名相応に御身をお持ちになるのがよい。質素がよいからと言って、下々の武士のように御身をお持ちになるべきではない。次にその下に立つ武士もまた、その相応が良い。百姓町人も、またその身分相応に身を持つのが良いのである。一般に身を軽くするのがよいと言っても、余りに身が軽々しいと、それに応じて、自然と心も全ての講堂も、卑しく軽薄になって、上に立つ人などには、特に良くない事が多い。また倹約を心がければ、自然と吝嗇に流れやすいものであり、必ずしなければならない事も止めてせず、人に与えるべきものも、惜しんで与えず、ひどい者は、人の物さえ奪いたいと思う心情になりやすい。 そこでその所をよく理解して、質素倹約でしかも吝嗇に流れないようにはしにくいものである。特に上に立つ人などは、その理解がなく、吝嗇であるときは、下々が潤わず、大変良くない。だから倹約も実際には良い事ではない。ともかく上中下各身分相応に暮らすのが良い。 だからといって、その相応と言うのは、どれほどが相応なのか、手本が無いものであるから、適切な具合はわからないものであり、総じて華美な方向に流れやすく、少しも質素な方へは移らないものであるから、太平が長く続いた世は、一同段々と華美が強くなるのが習いであり、上述したように、今の世間ほど下の下まで華美である事は、古今の間になかったのであるから、今の世の中でこれが分相応のちょうど良いと思う事は、どれも大いに分不相応である。だからこれを適切にしようと思うときは、万事を大いにそぎ落とし、正気かと人に笑われるほど落とさなければ、それぞれ身分相応のところにはならない。しかしそれほどには、とても落とせないものであり、たとえ自分一人は、人に構わず、上述のように落としても、家中に行き届かず、また上からどれほど厳しく命令を下して、これを定めても、時勢の勢いは、なかなか防げないもので、人の力が及ばないところがあるのである。たとえしばらくは命令を恐れて、これを慎んでいるようでも、末までは貫徹できず、また上辺は命令を守っているようでも、内々ではみなこれを破っている。衣服の制限など皆それである。また一国だけでこれを制限しても、天下一同でなければ、その制限は成り立たない事も多い。また総じて表向きに見える事には、制限も立つけれど、今の世の中は、上下ともに、表には出ない、家中の細かい事での贅沢が甚だしいのに、一つ一つ吟味して、これを禁止する方法が無いので、とにかくその世間一同の華美贅沢は、どのようにしても、急にはやめられず、年々月々に増長していくばかりである。 しかし物事には限りがあり、上るのがきわまれば、また自然と下るものであるから、いずれは本来の形に戻る時もあるであろう。しかしその世間の贅沢などの、そのように自然と質素のほうに戻るということは、まずは何か変化がなければ、戻らないものであるから、その変化があって、自然と戻るのを、安閑として待っているわけにはいかない。したがって上に立つ人は、十分になるべくは、工夫をめぐらして、自分や他人の贅沢が増長しないように、少しずつでも質素な方向に戻るように、お計らいするべきである。少しずつでも、質素の方向に戻って、増長しなければ、起こるはずの変事も起こらず、長らく無事であろう。 さてその計らいはどのようにすればよいかと言うと、上述したように、これは厳しい命令ばかりでは、とても直らないものであり、ただそれぞれ自然とたしなむ心となって、自然と感化されるように計らうべきである。下はとにかく、良い事も悪い事も、上に倣うものであるから、まず上から物事を落とせるだけ質素にして、身を軽くしてお見せになると、だんだんと自然に、御家中も下々の民も、それにならってそのつもりになり、ついには逆に華美である事を笑うようにもなるはずである。一般に何事でも、心から帰服してするものでなければ、後まで通用せず、長くは行われないものである。そしてその下々を心から帰服させる事は、みな上からの計らい次第によるものである。 <以下、『秘本 玉くしげ 下』へ。> ※2019/10/20 『下』の投下に伴いリンクを設置。 【参考文献】 『本居宣長全集第八巻』筑摩書房 関連記事:
by trushbasket
| 2019-10-12 19:33
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