さらば鳥谷~NPB各球団の、背番号1を付けた主要選手たち~
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2019年 10月 16日
この連休中、列島を襲った大型台風。またしても、大きな犠牲を出してしまいました。被害に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げます。いったい、いつまでこうした天災が続くのでしょう…。
さて。阪神タイガースで長らく主力選手として活躍してきた鳥谷敬内野手が、今シーズン限りで退団とのこと。これが決定するまでの交渉やらの過程には色々と思うところはあります。それでも今はただ、「これまで長い間、本当にお疲れ様でした。貴方のおかげで幾試合、幾シーズン、チームが助けられたか分かりません。ありがとうございました。お別れするのは残念ですが、今後も活躍を祈念します」という言葉をこの場を借りて申し上げておくにとどめます。 全盛期の鳥谷選手は、選球眼、打率、長打力、守備、走塁いずれをとってもプロの主力選手として一流レベルの力量を長年にわたり維持した鉄人。しかも、故障も殆どせず、ポジションは遊撃手。実にありがたい存在でした。2000年代後半から2010年代にかけては、チームの顔と申し上げて差し支えなかったのでは。個人的には「五代目ミスタータイガース」扱いでいいんじゃないの、と思ったりもするレベル。少なくとも、阪神の「背番号1」を重い番号にしてくれた選手なのは間違い有りません。 そういえば。プロ野球界全体を見回すと、「背番号1」はチームの顔となるような選手が付ける重い番号というイメージがあります。そこで今回、各球団で背番号1を付けて活躍した人々を幾人か拾ってみたいと思います。なお、選出基準は独断と偏見です。御了承ください。調べるに当たっては、下記サイトを参照しました。 関連サイト: 人名の後ろにある数字は、現役選手・指導者として背番号1を背負った期間です。西暦で「19」または「20」を略しています。なお、選手の略歴はWikipediaを参考にしていますから、話半分でお願いします。御了承ください。 読売ジャイアンツ: 言うまでも無く、王貞治(59-88)を称える永久欠番です。なお、王が使用する前にも何人かが背番号1を背負っており、中でも南村侑広(51-57)は数年間レギュラーを張った俊足巧打の名外野手です。 阪神タイガース: 鳥谷が使用する前に1をつけた有力選手として、初期に三塁手レギュラーだった伊賀上良平(36-40)、60年代の三塁手・朝井茂治(64-67)、ロッテから来た名外野手・弘田澄男(84-87)、90年代前半を彩った助っ人オマリー(91-94)。投手では野田浩司(88-90)や中込伸(95-00)。面白いところでは、吉田義男が第一次監督時代(75-77)につけた事も。 中日ドラゴンズ: チームの顔として活躍したスター選手が複数人、この番号を背負っています。ミスタードラゴンズと呼ばれた名二塁手・高木守道(63-82)、後に海を渡ってメジャー挑戦した福留孝介(99-07)。19年より京田陽太内野手が背負うことになったのも、彼らの系譜を嗣ぐことが期待されているとみて良いでしょう。 他にも俊足堅守の遊撃手で、後にジャイアンツの名コーチとして知られた牧野茂(53-58)も背負っています。 広島東洋カープ: 初期には白石勝巳(50-53)、金山次郎(54-58)と他球団から移籍しチームを支えた名内野手が背負い、その後はやはり俊足堅守の名内野手だった古葉竹識(59-69)が引き継ぎました。なお、古葉は後にカープ黄金時代を現出する名将となります。更に日本ハムから移籍した名二塁手・大下剛史(75-78)を経て、走攻守三拍子揃った外野手・山崎隆造(84-93)、天才打者と称された前田智徳(94-13)に続きます。19年からは鈴木誠也が背負っていますから、「俊足堅守の内野手」から「強打の外野手」へと系譜が移った感がありますね。いずれにせよ、華やかな顔ぶれです。 東京ヤクルトスワローズ: ここも、チームの顔となる主力打者たちが背負っているイメージ。若松勉(72-89)を皮切りに、しかるべき選手が付けるものと定められているようですね。すなわち、池山隆寛(92-99)、岩村明憲(01-06)、青木宣親(10-11)、そして現職の山田哲人(16-)。 若松以前では、50年代にレギュラー二塁手だった佐々木重徳(56-60)、60年代前半に遊撃手だった杉本公孝(61-65)も主力選手としてあげて良いでしょう。 横浜DeNAベイスターズ: 近藤昭仁(60-74)、山下大輔(75-88)、進藤達哉(93-00)と華麗な守備で知られた名内野手たちが目立ちます。その後は攻守兼備の外野手だった金城龍彦(02-14)が背負いました。18年から付けている桑原将志外野手も、走攻守三拍子揃った良い選手ですね。 埼玉西武ライオンズ: 初期の名内野手・今久留主淳(51-56)、国鉄移籍後にレギュラーを掴んだ小淵泰輔(57-60)、60年代に打線を支えた伊藤光四郎(63-70)といった渋い面々が西鉄時代には目立ちます。更に太平洋クラブ時代の主力打者・ビュフォード(73-75)を経て、西武時代には秋山幸二(89-93)、佐々木誠(94-98)、現在の栗山巧(08-)と走攻守揃った名外野手のイメージに。 福岡ソフトバンクホークス: 三拍子揃った外野手・岩本義行(38秋-42)、60年代前半の主力打者ピート(61-63)、頭脳プレイで日本野球の進歩に貢献した二塁手ブレイザー(67-69)、70年代の正二塁手桜井輝秀(72-82)、ダイエー初期のチームリーダーだった小川史(86-93)。更に秋山幸二(94-02)が西武時代同様に背番号1を付け、柴原洋(04-11)、現在の内川聖一(12-)に至ります。こちらも、いぶし銀から主力打者まで多士済々。 オリックスバファローズ: 慶応のスターにして阪急の初代主将だった宮武三郎(36-38秋)に始まり、強打の正捕手・日比野武(46-48)、俊足の外野手・西村正夫(49-53)、西本監督時代に遊撃・二塁手として活躍した山口富士雄(64-73)、堅守と長打を兼ね備え上田監督時代を彩った名外野手ウィリアムス(75-80)。走攻守兼ね備えトリプルスリーも達成した簑田浩二(81-87)、堅守の名二塁手・福良淳一(88-97)、近鉄との合併後に内野ユーティリティや主力打者として活躍した後藤光尊(05-06、09-13)といった面々が挙がります。19年に背番号1を背負ったのはモヤ内野手。 北海道日本ハムファイターズ: 俊足攻守の名二塁手・大下剛史(67-74)、内野のユーティリティとして81年の優勝に貢献した菅野光夫(75-85)、90年代前半に主将としてチームを支えた名遊撃手・広瀬哲朗(86-98)といぶし銀な名内野手が目立ちます。北海道へ移転すると一転して、SHINJO(04-06)、森本稀哲(07-10)と堅守に加え華やかなパフォーマンスで盛り上げた外野手たちの系譜に。陽岱鋼(13-16)も走攻守揃った名外野手でしたから、この文脈上で捉えてよさそう。現在の背番号1は斎藤佑樹投手(17-)。 千葉ロッテマリーンズ: 初代は、短期間ながらも俊足巧打の外野手として活躍した伊藤庄七(50-53)。その後は、60年代の正遊撃手・八田正(62-68)、ロッテ・中日・太平洋クラブで活躍した遊撃手・広瀬宰(69-72)、73年の日本一に主力打者として貢献したラフィーバー(73-75)、1試合で全守備位置を経験した究極のユーティリティとして知られる高橋博士(77-80)、落合博満の薫陶を受け主力打者となった愛甲猛(81-95)、その守備が歴代トップクラスとも言われる小坂誠(98-05)といった面子。現在の背番号1は清田育宏(10-)。 東北楽天ゴールデンイーグルス: まだまだ歴史が短い球団ですが、特筆すべき存在は不動のクローザーとして活躍する松井裕樹(14-)投手でしょう。 以下は、消滅球団についても。 大阪近鉄バファローズ: 通算314勝を挙げた大エース・鈴木啓示(66-85)を記念して永久欠番となっていた事は有名です。なお、鈴木以前には広島などでも活躍した武智修(53-57)、60年代の正遊撃手・矢ノ浦国満(63-65)などがいます。 その他の消滅球団: 翼軍(およびその前身球団)で「百万ドル内野陣」の一角だったという高橋輝彦(36、40)、名古屋金鯱で盗塁王を獲得した外野手・島秀之助(36)、西鉄軍(戦後の西鉄ライオンズとは別)の遊撃手・濃人渉(41-43)、 1950年限りの球団だった西日本パイレーツで背番号1だった南村不可止(50)は、その後に読売ジャイアンツに移籍、そこでも背番号1を付けます。上述の南村侑広です。松竹ロビンス(およびその前身球団)では俊足強打の外野手・水谷則一(36-37春、48-51)やNPB初期の左腕投手・近藤久(37秋-40)が挙げられます。高橋ユニオンズでは、洋松ロビンスから移籍した安井直史(54)や南海ホークスから移籍した前川忠男(55-56)はいずれも不可欠な主力内野手として活躍しています。 以上です。チームによってカラーは色々ですが、永久欠番となった球団が複数あったり、しかるべき選手にのみ与える事になった球団があったり。僕が背番号1に対し「球団の顔」向けの番号というイメージを持ったのも、そうした理由からかも。 ※2019/10/16 一部、言葉遣いを修正。
by trushbasket
| 2019-10-16 20:29
| NF
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