福沢諭吉から北里柴三郎へ 『贈医』 明治人が残した漢詩の一例
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明治人たちは、徳川時代以来の漢籍の素養があり、漢詩にも堪能な人が多かった。この事は、ご存知の方も多いかと思います。
また、名門・慶應義塾大学は、福沢諭吉が創立した。この事も、大多数の方はご存知でしょう。福沢も明治の知をリードした巨人の一人、無論、漢詩の素養はありました。という訳で、今回は福沢の漢詩作品を鑑賞しようかと。
問題の漢詩は、福沢が細菌学研究者・北里柴三郎に贈ったもの。北里が伝染病研究所を設立する際、激励したものだそうです。詳細は下記のサイトより。
関連サイト:
「KOMPAS 慶應義塾大学病院 医療・健康情報サイト」(http://kompas.hosp.keio.ac.jp/sp/index.html)
「福澤諭吉が残した『贈医(医に贈る)』という言葉」(http://kompas.hosp.keio.ac.jp/sp/contents/medical_info/scholarship/index.html)
件の漢詩は、以下の様な内容です。
贈医
無限輸贏天又人
医師休道自然臣
離婁明視麻姑手
手段達辺唯是真
(上記サイトより引用)
医に贈る
無限の輸贏 天また人
医師 道(い)ふを休(や)めよ 自然の臣と
離婁の明視 麻姑の手
手段の達する辺 唯だ是れ真なり
<超意訳>
終わる事のない勝負を続けている、天と人。
だから医師よ、「自分は自然の僕だ」などと天に負けを認めるような事を宣うのはおやめなさい。
古の視力に優れた離婁のような眼力、爪の長かった麻姑のような手腕。
それらを駆使して治療手段の到達した地平にのみ、真実があるのだから。
時しも、西洋医学の導入によって日本医学も大きく変化しつつあった時代。感染症という自然の脅威に負ける事なく、これを征服して欲しいという意気込みが読み取れますね。明治という、新たな世を建設する時代のエネルギーも伝わってきそう。
因みに、こうした福沢との縁故もあって、北里は1917年に慶應義塾大学が医学部を設立した際には初代医学部長となっています。
この詩の平仄は、以下の通り。○が平声、●が仄声で◎は韻脚です。平仄などについては、こちらをご覧ください。
○●○○○●◎
○○○●●○◎
○○○●○○●
●●●○○●◎
仄起式七言絶句で、韻は「人、臣、真」の上平声十一真となります。
以下、語句解説。上記のサイト内にも十分な解説がありますが、まあお気になさらず。
・輸贏:勝負のこと。「輸」は負ける事、「贏」は勝つ事。「しゅえい」が元来は正しいよみだが、近年は「ゆえい」とも。
・休道:ここでは「休」は「やめる」、「道」は「言う」という意味。
・離婁:中国の伝説上の人物。離朱とも。黄帝時代に生きたとされ、百歩離れた所からでも毛の先を見る事ができたと言う。優れた眼力を「離婁が明」と称する事があるのは、この故事に由来する。
・麻姑:中国の伝説上の仙女。『神仙伝』によれば、後漢時代に蔡経という人物のもとに現れ神仙世界について語ったという。仙人だけあって非常な長寿であり、東海が桑畑に変じるのを三回見たという(滄海の変)。爪が長かった事から、蔡経は「背中を掻いてもらえれば気持ち良かろう」と考えたとか。思い通りに事が運ぶのを「麻姑掻痒」というのはこれに由来する。
【参考文献】
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
『日本国語大辞典』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
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福沢諭吉絡みの記事という事で。
漢籍に長じた明治の医学者、という事で。