各球団の背番号3をつけた主要選手たち〜スター、レジェンドが綺羅星の如く〜
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前回、各球団で背番号1 や背番号2 を付けた主要選手たちについて見てきました。そこで、今回は背番号3を。スーパースター揃いなイメージが何となくありますが、実際のところどうなのか。見てみます。
前回同様、選出基準は独断と偏見です。御了承ください。調べるに当たっては、下記サイトを参照しました。
関連サイト:
「背番号Maniax(プロ野球)」(http://sebango.web.fc2.com/index.html)
人名の後ろにある数字は、現役選手・指導者として背番号3を背負った期間です。西暦で「19」または「20」を略しています。なお、選手の略歴はWikipediaを参考にしていますから、話半分でお願いします。御了承ください。
読売ジャイアンツ
「ミスタージャイアンツ」こと長嶋茂雄(58-74, 00-01)を顕彰するため永久欠番となっているのは有名。長嶋以前には、初の三冠王中島治康(35-42)、伝説的名二塁手である千葉茂(46-57)が付けています。全員が野球殿堂入りという、実に恐るべき番号。
横浜DeNAベイスターズ
阪神やロビンスを経て入団し、50年には34本塁打を放った強打の外野手藤井勇(50-54)が初代。80年代に入ると高木豊(82-93)が三拍子揃った内野手として活躍。その後は古木克明(99-02)、種田仁(04-07)、日本ハムからやって来た長距離砲スレッジ(10-11)、ヤクルト・読売を経て入団したラミレス(現監督)(12-13)、そして現在の梶谷隆幸(14-)へと連なっています。
阪神タイガース
初代は、戦火に散った強肩の遊撃手岡田宗芳(36-40)。その後は戦後初期のエース梶岡忠義(52-55)が一時期付けたり、後藤和昭(70-75)が背負ったり。あと、「空白の一日」騒動で江川卓が一瞬だけ阪神入団という形を取ったのは有名ですが、この時(79)に阪神が用意した背番号が3でした。そして大洋で首位打者になった長崎啓二(85-87)、主力打者や代打の切り札として暗黒時代を支えた八木裕(88-04)、内野のユーティリティとして長年活躍した関本賢太郎(05-15)を経て現在は大山悠輔(17-)が背負っています。19年には四番打者としてもしばしば起用され主力打者としての成長が期待される若手野手です。
広島東洋カープ
連続出場記録を持ち「鉄人」と異名を持つ大打者衣笠祥雄(75-87)を記念して永久欠番。それ以前には、50年代に俊足外野手として活躍した平山智(55-64)らが背負っています。
中日ドラゴンズ
戦前の盗塁王石田政良(38春-40)、俊足の二塁手国枝利通(48-54)、三拍子揃った伝説的外野手中利夫(57-72)、俊足や小技に守備も備え後に黄金時代西武でも活躍した平野謙(83-87)、ミスタードラゴンズと呼ばれた立浪和義(88-09)。現在は高橋周平(15 -)が背負います。18年以降レギュラーに定着、将来を嘱望される三塁手です。
東京ヤクルトスワローズ
国鉄時代には、俊足で50年代野手陣を引っ張った箱田淳(55-60)、60年代に主力打者となった三塁手徳武定之(60-67)。以後は、現役中に死去した悲運の強打者ジャクソン(68-69)、初の日本一にも貢献したヒルトン(78-79)、阪急から移籍した強打の二塁手マルカーノ(83-85)、阪神から移籍し95年にMVPとなったオマリー(95-96)、助っ人野手初の名球会会員となったラミレス(01-07)など助っ人野手が目立ちます。他にも長嶋茂雄の長男長嶋一茂(88-92)、広島から移籍した盗塁王福地寿樹(09-12)もこの番号。現在は西浦直亨(14-)。18年には10本塁打を記録しています。
埼玉西武ライオンズ
東急から移籍した伝説の大砲大下弘(52-59)、近鉄から移籍した本塁打王土井正博(75-81)、そして清原和博(86-96)とホームランバッターが目立ちます。その後もマクレーン(01-02)、中島裕之(04-12)、浅村栄斗(17-18)と主力打者の系譜のようです。
福岡ソフトバンクホークス
阪急のエースだった石田光彦(41-42)が2年在籍した際に付けたり、伝説的名遊撃手木塚忠助が最初の2年(48-49)だけ背負ったり。50年代後半の一塁手寺田陽介(56-61)、バントヒットに長じた60年代の外野手樋口正蔵(62-71)、定岡三兄弟の長男で長らく正遊撃手の座を守った定岡智秋(76-87)、三拍子揃った名外野手佐々木誠(89-93)、阪急や阪神を経て入団した名三塁手松永浩美(94-97)。21世紀に入ると平成唯一の三冠王松中信彦(00-15)、松田宣浩(17-18)とチームを支える主砲の番号に。
東北楽天ゴールデンイーグルス
初代は近鉄から移籍した長距離砲吉岡雄二(05-08)。怪我に悩まされ全盛期は過ぎていたものの、05年には10本塁打を放ち打線を支えています。その後はフェルナンデス(12)やマギー(13)といった助っ人野手が目立つ印象。現在は浅村栄斗(19-)。全体的に、主砲の働きを期待される選手の番号と言えそうです。
千葉ロッテマリーンズ
安打製造機として知られる大打者榎本喜八(55-71)、俊足堅守の外野手弘田澄男(73-83)、盗塁王や首位打者も経験した「走る将軍」こと西村徳文(87-97)、バレンタイン監督に背番号2を譲ったサブロー(04-11, 12-16)、角中勝也(17-)といった顔ぶれ。一塁手だった榎本以外は名外野手の系譜と言えそうな。
北海道日本ハムファイターズ
初代は「青バット」で知られた伝説のホームランバッター大下弘(46-51、68)。その後は俊足の三塁手石原照夫(56-60)、読売で五番を打っていた坂崎一彦(65-67)、後に阪急で活躍する名遊撃手大橋穣(69-71)。また当時を代表する長距離砲だった大杉勝男も73年だけ背番号3をつけています。
日本ハム時代になると、南海や巨人でも活躍した三拍子揃った内野手富田勝(76-80)、堅実な二塁守備で知られた白井一幸(84-95)、北海道時代の名二塁手田中賢介(00-12, 15-19)と渋めな内野手の系譜になるようです。
オリックスバファローズ
初代は、ノーヒットノーランを2回経験したエース石田光彦(36-40)。その後は戦後初期の正捕手だった山下健(50-65)、阪急黄金時代の主砲長池徳二(66-82)、阪急末期からオリックス初期の主砲石嶺和彦(88-93)。更に仰木監督時代の助っ人ドネルス(97-99)、ホークスから移籍した俊足堅守の外野手村松有人(04-08)、強打の助っ人フェルナンデス(09)など。現在は遊撃手安達了一(12-)が背負っています。
年代によってはここも、長池や石嶺といった長距離砲のイメージが強いかも。
以下、消滅球団。
大阪近鉄バファローズ
伝説の長距離砲土井正博(68-74)、強打の三塁手羽田耕一(75-89)、怪我に悩まされた強打者石井浩郎(90-96)、中村紀洋(97-00)、吉岡雄二(01-04)とホームランバッターの系譜が続きました。中村紀洋は01年以降の背番号5なイメージかもですが。
その他の消滅球団
松竹ロビンスでは、走攻守揃った名外野手ながら戦火に散った鬼頭数雄が初期(36-37春)に付け、浅原直人が37秋のみ使用。42年の正捕手広田修三(40-43)、南海時代に新人最高打率を記録した田川豊(48-49)、そして50年に驚異的な打棒を奮った伝説の強打者小鶴誠(50-52)という系譜。なかなか豪華です。
翼軍では初代主将大貫賢(36-37秋)、小技に長じた外野手森口次郎(37秋-39)。
名古屋金鯱および西鉄軍(翼軍と合併してできた。後の西鉄ライオンズとは別系統)では、走攻守揃った伝説の名外野手黒沢俊夫(40-41, 43)が使用。黒沢は後に読売でも活躍するも現役中に病死、読売での背番号4は永久欠番となっています。
大映スターズおよび大映ユニオンズでは、朝日軍(松竹ロビンス)でも活躍した内野手酒沢政夫(46-48)、阪神でもレギュラーだった三塁手伊賀上良平(50-54)、俊足の外野手高野价司(55-57)の番号。伊賀上は50、51年には二桁本塁打を記録しています。
基本的には野手の番号と言って良さそう。チームの顔だった長距離砲、「ミスター」と称されたり殿堂入りしたりといったレジェンドクラスも沢山。中島治康、千葉茂、長嶋茂雄、高木豊、衣笠祥雄、中利夫、立浪和義、ラミレス、大下弘、土井正博、清原和博、中島裕之、浅村栄斗、佐々木誠、松中信彦、榎本喜八、長池徳二、石嶺和彦、羽田耕一、石井浩郎、小鶴誠…。別の番号なイメージが強い人でも、オマリー、中村紀洋、松田宣浩、大杉勝男、黒沢俊夫…といった具合。眩しくて、クラクラしそうな顔ぶれです。実際、読売と広島では永久欠番。実に華やかですね。背番号1も大概豪華でしたが、こちらも負けず劣らずです。その辺りは、事前のイメージ通りというか、イメージ以上といいますか。