「自分自身」になるのは、急いだ方が良い〜人生、タイムアップが何時かは誰にも分かりません〜
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どうも、松原左京です。ご無沙汰してます。これまで、童貞云々に絡めまして
人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
と繰り返し申し上げてきました。

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そして、童貞かどうかよりも、「人間らしい人間」になれているか、「自分が本当に人生で望んでいる物は何か」を見据えて生きているか、そういった事の方が遥かに大事だ。そういった事も繰り返しお話して参りました。
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とは言え、実際問題としては日々の生活に追われ、それどころではない。そういう方も少なからずおられるかと思います。でも、たとえそうであっても、日常の忙しさにかまけてはいけない。「自分自身」になるのは急いだ方が良い。そういった思いを込めて、今回は少し脅しめいたお話を致そうかと存じます。と申しますのは、人生、いつタイムアップが来るかは誰にも分からないから。
中国の隠遁詩人・陶淵明も、『雑詩』の冒頭で言ってます。
人生無根蔕
飄如陌上塵
(一海知義著『漢詩入門』岩波ジュニア新書 33頁)
すなわち、「人生には、繋ぎ止める根っこもヘタもなく、路上の塵のように散ってしまうものだ」といったニュアンスです。人間、いつお迎えが来るか、誰にも知りようがないのです。だから、グズグズはしていられない。
『徒然草』第五十九段が、まさしくそのものズバリの事を言っています。
大事を思ひ立たん人は、去り難く、心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。
(西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫 108頁)
命は人を待つものかは。無常の来る事は、水火の攻むるよりも速かに、遁れ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。
(同書 109頁)
現代語訳がなくとも、何を言っているかは分かり易いと存じます。正に火の玉ストレート。身の回りのあれこれを「捨てる」かはともかく、大事な人や用を「やらない言い訳」にしている場合じゃないのは確かでしょう。
次に、室町時代の僧・蓮如についてお話し致しましょう。蓮如は、人々に阿弥陀如来への帰依を呼びかける布教の手段として、平明な言葉を用いた手紙(※)を用いていた。それについてはご存知の方も多いかと存じます。
※東本願寺では「御文」、西本願寺では「御文章」と呼ぶそうです。
今回触れますのは、その中の第五帖第十六。「白骨」と通称される、有名な文章です。結構な長文ですが、蓮如の著作権は切れている筈なので、せっかくだから以下で全文ご紹介しようかと。
夫、人間の浮生なる相をつらつら観するに、おほよそはかなきものはこの世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり、さればいまだ萬歳の人身をうけたりといふ事をきかず一生すぎやすし、いまにいたりてたれか百年の形躰をたもつべきや、我やさき人やさき、けふともしらずあすともしらず、をくれさきだつ人は、もとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり、されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり、すでに旡常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変して桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属あつまりて、なげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれりあはれといふも中々をろかなり、されば人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて阿彌陀佛をふかくたのみまいらせて念佛まうすべきものなり、あなかしこあなかしこ(兼寿述『御文』哲学書院 第五帖目 26-27頁)
こちらも現代語訳は省略致しますが、大意は理解しやすいかと存じます。「人間、若かろうが老いようが、いつ他界するか分からない。だから、一刻も早く、その後の事を考えて阿弥陀如来に縋って念仏しなさい」、といった内容です。
阿弥陀如来に帰依するかどうかはここでは問題にしませんが、少なくとも人の命の儚さや予測し難さという一点はまさしく忘れてはならぬ内容だと思います。常にそれを頭に置いて、一刻も早く「自分自身の人生」を送らなくてはなりますまい。なので、性愛等の欲望や衝動に振り回されるのも大概にしなくては。ましてや自他が童貞か否かなんて、気にしてる場合じゃあないですよね。
まあ、ここまで厳しめかつ偉そうに色々申し上げて参りましたが、それが私自身にも特大級のブーメランになって戻って来そうな臭いがボツボツとして参りましたので、ここまでに致したく存じます。それでは。
参考文献:
一海知義著『漢詩入門』岩波ジュニア新書
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
『日本人名大辞典』講談社
『精選版 日本国語大辞典』小学館
西尾実・安良岡康作校注『新訂徒然草』岩波文庫
兼寿述『御文』哲学書院
因みに、兼寿とは蓮如の別名です。
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引用された森鴎外『青年』の一節が、まさに今回の趣旨にストライク。兼好法師に勝る劣らずの直球っぷりです。