<読書案内>高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』〜家康は「敗戦処理首脳」だった?〜
|
当ブログ関連書籍の一つ、『敗戦処理首脳列伝』。
Amazon :『敗戦処理首脳列伝』
楽天ブックス:『敗戦処理首脳列伝』
当ブログ内紹介記事
最終的には不採用だったものの、企画段階では徳川家康も「敗戦処理首脳」候補にリストアップされていました。対象となる戦争は、文禄・慶長の役。秀吉死後における、軍勢の撤退や和平交渉といった戦後処理がありましたから。
ただし。関ヶ原以前の段階において、家康がどの程度主導的役割を果たしていたのか。その時期における家康の肩書をどう位置付けるべきか。その辺りの結論を出せなかった関係から、見送りになった経緯があります。
あと、あの戦役を「敗戦」と見做すかどうかも、論議を呼びそうではありますし。まあ、アメリカがベトナム戦争から手を引く際のあれこれを連想させるものはあるという事で、検討対象になった訳ですが。
ともかく、秀吉死去から関ヶ原辺りの経緯に関する近年の議論は、史学的に要注目。これまで広く知られていた通俗的なストーリーが洗い直され、色々な説が出ている状況ですからね。まだまだ分からない事が多そうで、目が離せません。
さて。今回ご紹介する高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』(河出書房新社)は、家康にいわば「敗戦処理首脳」としての一面があると判断、そこに焦点を当てた一冊と言えるかと。題名からも分かる通り、これも関ヶ原周辺のあれこれについて史料から推測し仮説を述べた書籍の一つ。ただし、文禄・慶長の役の経緯や撤退、戦後処理をメインに論じているのが特徴と言えましょう。まあ、上述した通り、まだ色々な説が出ている段階なので本書の内容を鵜呑みにはできないのでしょうけど。
それでも、興味惹かれる描写が少なからず見られるのも事実。最期まで明晰さを失っていなかった秀吉。撤退にあたり、国内向けに「勝ち戦」であったという演出に腐心した家康ら豊臣政権。撤兵後の交渉に当たって、時には「第3ラウンド」をもチラつかせたブラフを掛け合う日本と明・朝鮮の両陣営。秀吉死去であの戦が終わった訳ではない、という当然ではありながらつい忘れがちな事実を思い出させてくれます。家康が「豊臣」の人間になる事を拒んだ事実も、対外交渉の面から説明できるというのも面白い。当否は存じませんが。
思えば。秀吉は、死去時の情勢において武田信玄と少なからず類似点があります。御家騒動で、決まっていた筈の後継者を始末してしまい世代交代に不安を残したままであった。国力を傾注した大戦争に自らけりをつけられずじまいになった。その戦争で敵国からヘイトをかった事が、死後の自家にとって禍根となった。家督相続者は、そのツケを払わされた面があるのは否めない。そして、自家の滅亡後に国を受け継いだのは、徳川家康。牽強付会のきらいはあるでしょうが、何となく興味深い一致ではあります。
繰り返しますが、秀吉死去から関ヶ原にかけてのあれこれは、まだ様々な説が出ています。だから、本書もそのまま無条件に受け入れるのは無論、問題があるでしょう。それでも、こうした見方もあるのか、と知る意味でも。あの時期は戦後処理が行われていた時代だという事を、改めて認識する意味でも。手に取るのはありかと思います。
【参考文献】
高橋陽介『秀吉は「家康政権」を遺言していた』河出書房新社
平山優『信虎・信玄・勝頼 武田三代』株式会社サンニチ印刷
平山優『武田家滅亡』角川選書
丸島和洋『武田勝頼』平凡社
関連記事:
「「敗戦処理首脳」の難易度別について少し考えてみる」これに家康を当てはめるなら、「敗戦処理首脳」としての難易度はかなり低いものという判定になるでしょう。自国が戦場にならず、「いかに面子を保って手を引くか、手打ちにできるか」が問題だった訳ですから。ベトナム戦争におけるニクソンあたりと通じるものはありそうな。まして、内戦にかまける余裕もあり、後世からは戦後処理に従事していた事も忘れられがちですからね。
「『敗戦処理首脳列伝』外伝?・金沢貞将~鎌倉政権最後の執権はこの人?~」
逆に、徹底的に状況が詰んでいた「敗戦処理首脳」?の話。
「徳川期、関ヶ原合戦は現代と異なって伝わっていた?~伊沢蘭軒の旅行記から~」









