項羽の最期を巡り、漢詩は評す〜杜牧と王安石〜
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「捲土重来」という有名な四字熟語があります。一度失敗した者が、再び力強く盛り返す事を意味します。この言葉、ご存知の方も多いでしょうが漢詩由来とされています。
問題の漢詩を詠んだのは、晩唐の詩人・杜牧。項羽が劉邦に敗れて自決したとされる烏江の地で、その悲運を惜しんだ内容です。
題烏江亭 杜牧
勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男兒
江東子弟多才俊
卷土重来未可知
勝敗 兵家 ことは期すべからず
羞をつつみ 恥をしのぶ これ男児
江東の子弟 才俊おおし
巻土重来 いまだ 知るべからず
(共に竹内実『岩波漢詩紀行辞典』岩波書店 202頁)
<超意訳>
戦の勝敗というのは、兵を率いる者にとって予測できぬものだ。
だからたとえ敗れても、屈辱や恥ずかしさを堪え忍ぶ事こそが男児の本懐というもの。
かつて項羽が旗揚げした江東の青年達にはまだまだ有望な者たちも多かったのだから、
烏江で自害などせず落ち延びて再起を図っていれば、巻き返しができたかも知れぬのに。
平仄は下記の通り。○が平声、●が仄声、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。韻脚は上平声四支「期、児、知」。
●●○○●●◎
○○●●●○◎
○○●●○○●
●●○○●●◎
一方、この杜牧の感慨に反論した漢詩もあります。こちらは、北宋の政治家・王安石によるもの。
烏江亭 王安石
百戰疲勞壯士哀
中原一敗勢難回
江東子弟今雖在
肯與君王卷土來
百戦 つかれはてし 壮士 あわれ
中原 一敗 いきおい とりもどすは かたし
江東の子弟 いま ありといえども
うべないて 君王がため 巻土して きたらんや
(共に同書 203頁)
<超意訳>
数々の戦いで疲れ果てた勇者は哀れなものだ。
中原で覇権を争う決戦に敗北し、挽回は最早困難であった。
たとえ今、江東の若者達がいたにしても、
この期に及んで項羽に味方して巻き返してくれたであろうか。無理じゃないかねえ。
こちらの平仄は下記の通り。韻脚は上平声十灰「哀、回、来」。
●●○○●●◎
○○●●●○◎
○○●●○○●
●●○○●●◎
どちらの論に分があるのか、それは天のみぞ知る、という事にしておきましょう。
もっとも。そもそもの話として、項羽が烏江に落ち延びたという話自体を疑問視する向きもあるようで。確かに烏江で項羽が自刎した話は『史記』の「項羽本紀」にしか見えません。
例えば『史記』を見ても「高祖本紀」には「使騎将灌嬰追殺項羽東城」(『史記 一』有朋堂書店 396頁)とあり、そもそもの「項羽本紀」ですら「太史公曰」で始まる末尾の総評では「身死東城」(同書 348頁)と記されている。灌嬰の伝でも「別追項籍至東城。破之。所将卒五人共斬項籍。皆賜爵列侯。」(『史記列伝 二』富山房 300頁)とある(※)。そこから、項羽は東城という場所で漢軍の将・灌嬰に討たれたとするのが妥当だ、という見解もあるそうです。
関連サイト:
「王様は○○だー‼︎」(https://seesaawiki.jp/ousamamatome/)より
この問題について、分かりやすく解説しています。
※灌嬰の列伝にある「項籍」は、項羽の事。籍が名で、羽は字(成人男子が本名以外に付ける呼称)にあたります。
項羽という人は、まだまだ分からない点も多ければ、興味を掻き立てられる点も多い。だから、議論も尽きない。そういう事なのかもしれませんな。
【参考文献】
『大辞泉』小学館
井波律子『中国名詩集』岩波現代文庫
竹内実『岩波漢詩紀行辞典』岩波書店
紫彤編著『司法五等 複選題型專攻國文』千華數位文化
曲愛靜編著『一點都不靠譜』千華駐科技出版有限公司
張秀楓主編『歷史大謎案 中國歷史百家論壇』人類智庫
『史記 一』有朋堂書店
『史記列伝 二』富山房
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
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