3場所合計33勝以上で大関になれなかった事例~大半は、結局大関に~
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2020年 01月 15日
今年も、初場所が始まりましたね。新関脇・朝乃山が新世代のホープとして期待されている他、大関・貴景勝もこれからの年齢。大関と言えば、昇進の目安は三役で3場所合計33勝以上、直近場所が二桁勝ち星というのが一応の目安みたいです。しかし、これはあくまで目安であり、それ未満の成績で昇進した事例もあれば、この条件を満たしているのに昇進できなかったケースも。 そこで今回、3場所合計33勝以上・直近場所で関脇かつ二桁勝利という条件ながら大関になれなかった事例を見てみます(※)。調べるに当たって参照したのは、以下のサイト。 ※2020/1/21 御指摘を受け、上記のように修正。なお、三役経験2場所以下で大関になった事例もないわけではないようです。大半は年6場所になる以前の話ですが。詳細はこちら。三役経験合計は3場所以上ながら、直近3場所のうちに平幕時代の成績が1つ混じっているケースはもう少しあるようです。 関連サイト: このサイトのうち、「大関取り」という項目を閲覧しました。成績の後ろの(優)は優勝、(同)は優勝同点、(準)は準優勝(優勝次点)を意味します。 3場所合計36勝 隆の里(最高位・横綱): 昭和55年7月 東前12 12勝3敗(準)、同9月 西前1 13勝2敗(準)、同11月 西関脇 11勝4敗 3場所のうち2場所が平幕だったのが理由だと思われます。なお、隆の里はその後、 昭和56年9月 西張出小結 10勝5敗、同11月 東関脇 11勝4敗、昭和57年1月 東関脇 11勝4敗 の成績を残し3場所合計33勝にて大関昇進。更に横綱となっています。 3場所合計35勝 照國(最高位・横綱): 昭和15年1月 東前2 12勝3敗(準)、同5月 東張出関脇 11勝4敗、昭和16年1月 西関脇 12勝3敗 この直前である昭和14年5月にも西前15で11勝4敗の好成績を挙げており、昭和15年5月時点で3場所合計34勝。おそるべき安定感です。なおその直後である昭和16年5月に西関脇で13勝2敗(準)の成績を残し、3場所合計36勝で大関昇進。これを足がかりに横綱となりました。 琴ヶ濱(最高位・大関): 昭和32年3月 東前8 12勝3敗(準)、同5月 西張出小結 12勝3敗(準)、同9月 西張出関脇 11勝4敗 この直後の昭和32年11月にも東関脇で10勝5敗の好成績を残し、3場所合計33勝。しかしこれでも見送られました。厳しい。なおその後、更に昭和33年1月 東関脇 11勝4敗、同3月 東関脇 13勝2敗(同)という好成績を続けて3場所合計34勝でようやく大関となりました。ここまで待たされた理由は、謎です。 琴欧洲(最高位・大関): 平成17年5月 東前5 10勝5敗、同7月 東小結 12勝3敗(準)、同9月 東関脇 13勝2敗(同) この直後の同11月、東関脇で11勝4敗(準)の好成績を挙げて3場所合計36勝。晴れて大関となりました。 3場所合計34勝 照國(最高位・横綱): 昭和14年5月から昭和15年1月にかけて。詳細は上記参照。 玉ノ海(最高位・関脇): 昭和16年1月 西前6 11勝4敗、同5月 西小結 13勝2敗(準)、昭和17年1月 東関脇 10勝5敗 この翌場所である昭和17年5月、5勝7敗3休で大関取りは成らず。見送られたのが悲運という他ありません。3場所前が平幕だったのを厳しめにとられた、という解釈はできそうですが。 大鵬(最高位・横綱): 昭和35年5月 東前6 11勝4敗、同7月 西小結 11勝4敗、同9月 西関脇 12勝3敗(準) なおその直後の同11月、東関脇で13勝2敗(優)。3場所合計36勝と直近場所優勝を手土産に大関昇進し、やがて大横綱への道を歩んでいきます。 若ノ花(最高位・横綱): 平成5年1月 東前3 10勝5敗、同3月 東小結 14勝1敗(優)、同5月 西関脇 10勝5敗 なおその直後の同7月に東関脇で13勝2敗(同)という好成績を続け3場所合計37勝にて大関昇進。最終的には横綱となります。 琴光喜(最高位・大関): 平成13年9月 東前2 13勝2敗(優)、同11月 西関脇 9勝6敗、平成14年1月 東関脇 12勝3敗 2場所前が一桁だったのが、印象を悪くしたものでしょうか。2場所前一桁勝ち星でも昇進するケースは、直近場所を優勝している印象がありますので。なおその後、 平成19年3月 東関脇 10勝5敗、同5月 東関脇 12勝3敗(準)、同7月 東関脇 13勝2敗(準) の成績を残し3場所合計35勝で大関昇進。腐ることなく6年後も再挑戦し夢を果したのは見事でしたが…。 雅山(最高位・大関): 平成18年3月 西小結 10勝5敗、同5月 西関脇 14勝1敗(同)、同7月 東関脇 10勝5敗 一度大関から陥落し、大関再挑戦したものの果たせず。大関時代に不安定だったため厳しめに見られたのか、11勝以上が1回だけだったことが響いたのか。謎です。 3場所合計33勝 吉葉山(最高位・横綱): 昭和25年1月 東前3 10勝5敗、同5月 東前1 10勝5敗、同9月 東張出関脇 13勝2敗(同) 3場所のうち2場所が平幕だった事、11勝以上が1回だけだったため時期尚早とみられたのでしょうか。なおその直後である昭和26年1月に東関脇で13勝2敗(準)の成績を残し3場所合計36勝で大関昇進。その後も安定した強さを見せ、最終的には横綱となっています。 琴ヶ濱(最高位・大関): 昭和32年5月から同11月。詳細は上記参照。 魁傑(最高位・大関): 昭和47年3月 西前7 12勝3敗(同)、同5月 東張出小結 11勝4敗(準)、同7月 西張出関脇 10勝5敗 なおその後、 昭和49年9月 東張出関脇 7勝8敗、同11月 西張出小結 12勝3敗(優)、昭和50年1月 東関脇 11勝4敗(準) の成績を残し3場所合計30勝で昇進。この時に昇進できたのは、大関が貴ノ花一人だったからのようです。その後、一度は大関陥落したものの 昭和51年9月 西前4 14勝1敗(優)、同11月 西関脇 11勝4敗、昭和52年1月 西関脇 11勝4敗 で3場所合計36勝。大関再昇進を成し遂げた不屈の力士です。 貴ノ花(最高位・大関):昭和47年3月 西前1 10勝5敗、同5月 11勝4敗(準)、同7月 西関脇 12勝3敗(準) なおこの直後の同9月に東関脇で10勝5敗の成績を残し、大関昇進を果しています。 調べた範囲では、以上です。該当するのは13事例、11人。多くは、3場所のうちいずれかが平幕時代という事例でしたが、3場所とも三役だったケースも2例。この2例が見送られた理由は、よく分かりません。玉ノ海以外は、一度は大関経験があるという結果になりました。しかも、そのうち5人は、最終的に横綱となっています。やはり、当該する成績を成し遂げる力士は、大関相当の力量があると見なして良さそうですね。 ※2020/1/21 大幅に修正。 関連記事: 3場所合計33勝未満で昇進したケースも、強豪率が高い。 ※2020/1/15 誤謬を修正。
by trushbasket
| 2020-01-15 18:53
| NF
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