『太平記』より、日野資朝・日野俊基の辞世
|
ここしばらく、明智光秀、朝倉義景が辞世として残した漢詩をご紹介しました。
今回は『太平記』を題材に、後醍醐天皇に仕えた側近二人が残した辞世の漢詩についてお話ししようかと。
ご存知の通り、後醍醐天皇は色々あって鎌倉政権と対立、挙兵して軍事的な解決を志すようになります。その前段階として、後醍醐による鎌倉打倒のための陰謀とされる事件が二回ありました。いずれも事前に露見し、首謀者は鎌倉方によって捕縛される結末に終わっています。ただし、二回目の元弘の変は後醍醐による挙兵に直結し、鎌倉政権滅亡に繋がる動乱の呼び水となりました。
あと、実のところ、一回目の正中の変に関しては、後醍醐の関与を疑問視する説が近年では有力になりつつあるようです。
それはさておき、これらの事件で捕縛された貴族の中には、処刑された人々もありました。その中の二人について、『太平記』は辞世の句として漢詩を記録しています。いずれも、偈の形式です。
まず一人目は、日野資朝(1290-1332)。
〈略歴〉
日野俊満の子で、後醍醐の下で参議に昇進。鎌倉打倒の同志を作るため関東に赴いたとされる。正中元年(1224)、六波羅探題に捕らえられ佐渡に流された。元弘元年(1331)に後醍醐が挙兵したのを受ける形で、配所で斬られている。
その資朝のものと伝えられる辞世は、下記の通り。
五蘊仮成形
四大今帰空
将首当白刃
截断一陣風
五蘊 仮に形を成し
四大 今空に帰す
首を将って白刃に当て
截断す 一陣の風
〈超意訳〉
人を成り立たせる諸々の要素は、仮に私という形をなしているに過ぎない。
その肉体は、今や元の空に帰ろうとしている。
首を白刃に押し当て、
さっと吹いてくる風を断ち切ってやろう。
この詩の平仄・押韻は以下の通り。◯が平声、●が仄声、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。韻脚は上平声一東「空、風」。
●○●○○
●●○○◎
○●○●●
●●●●◎
ただし、起句は、岩波文庫版によれば「五蘊仮成得」のようです。この場合、起句の平仄は
●○●○●
となります。
・五蘊
ごうん。人間存在を構成する五つの要素。肉体的な要因である色蘊、感覚を表す受蘊、表象・イメージを意味する想蘊、意思・欲求を表す行蘊、識別・認識を意味する識蘊からなるとされる。
・四大
先週を参照。ここでは、人間の肉体か。
・截断
切断と同じ。断ち切る事。
次は、日野俊基(?-1332)です。
〈略歴〉
貴族社会においては下流の儒者の家柄であったが、後醍醐から信任され蔵人に。鎌倉打倒のため活動したとされ正中元年に一度捕らえられたが釈放される。その後も朝廷における謀議の中心人物として暗躍、元弘元年に再び捕らえられ翌年に処刑された。
俊基の辞世は、下記の通り。
古来一句
無死無生
万里雲尽
長江水清
古来 一句あり
死も無く生も無し
万里 雲尽きて
長江 水清し
〈超意訳〉
昔からこんな言葉がある。
死も生も共に実態はないと。
今、遥か遠くまで雲はなく晴れ渡り、
長い河の水も清らか。私の心境はそんなところだ。
平仄は下記の通り。韻脚は下平声八庚「生、清」。
●○●●
○●○◎
●●○●
○○●◎
伝統貴族だけに、漢籍や仏典への馴染みも浅からずあったという事なんでしょうかね。
【参考文献】
兵藤裕己校注『太平記 一』岩波文庫
『太平記 巻二(国立国会図書館蔵)』荒木利兵衛刊行
呉座勇一『陰謀の日本中世史』角川新書
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
関連記事:
「明智光秀の次は、朝倉義景の辞世を概観~こちらも、偈(げ)の形式~」
「『太平記』にある、直義と玄慧のやりとり~南北朝期の和歌と漢詩の一例~」








