『増鏡』は、日野資朝の辞世をこう伝えた〜『太平記』との異同〜
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四大本無主
五蘊本来空
将頭傾白刃
但如鑽夏風
(高木武『新釈 増鏡』修文館 882頁)
四大は本 主無し
五蘊は本来 空なり
頭を将ちて白刃を傾くるも
但だ夏風を鑽るが如し
〈超意訳〉
肉体は元来、主体などなく、
人を構成する諸々も本来は実体がない。
今、頭をあてて白刃を傾けているが、
これとてただ夏の風を切り裂くようなものに過ぎない。
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2020年 02月 23日
前回、『太平記』をもとに、後醍醐天皇の寵臣・日野資朝らの辞世を見ました。今回は、『増鏡』で少し違うバージョンの資朝の辞世がありましたのでご紹介しようかと。 なお。日野俊基については、『増鏡』には辞世の記述がありませんでした。 『増鏡』とは、応安年間といいますから14世紀末ごろ。南北朝動乱も終わりに差し掛かった時期に書かれた歴史物語です。作者は二条良基と伝えられます。『大鏡』を始めとする「鏡もの」と言われる歴史物語の掉尾を飾る位置付けになり、後鳥羽天皇即位に始まり、鎌倉政権滅亡に伴う後醍醐天皇還御までの期間を扱っています。主に朝廷内部に視点を置いている感があります。 さて。この『増鏡』にある資朝の辞世は、こんな感じになってます。 四大本無主 四大は本 主無し 〈超意訳〉 基本的な意味合いは、『太平記』バージョンと大差なさそう。この詩の平仄・押韻は以下の通り。◯が平声、●が仄声、◎は韻脚になります。平仄を始めとする漢詩の規則については、こちらをご参照ください。韻脚は前回と同じく上平声一東「空、風」。 ●●●○● 『太平記』では、資朝の子・阿新丸が幼いながらに父に会いたい一心で佐渡へ渡ってきたものの、面会を許される事はなく、無念を抱いて父を処刑した相手に仇討ちする話が語られています。一方、『増鏡』には処刑寸前の資朝が 「都にとどめける子のもとに、あはれなる文かきてあづけけり」(同書 同頁)とあるのみ。これを信じるなら、彼の子は京に留まっていたという事になりそう。こちらの方が蓋然性は高そうですが、真相は藪の中。まあ、『太平記』とは異なる形で話が伝えられた、と見る傍証にはなりそうな。 阿新丸はともかく、資朝の辞世は『太平記』の異本間や『増鏡』との間で相違はあれど、「四大」「五蘊」「空」「白刃」「風」といったキーワードは共通してる印象。文献によっていくらか記述のズレはあるものの、「資朝が処刑前に上述した大意の辞世を漢詩で残した」のが事実である蓋然性は割と高そう。少なくとも、比較的早い時期からそうした話が既に伝えられていた、という事は間違いなさそうですね。 【参考文献】 高木武『新釈 増鏡』修文館 『角川新字源改訂版』角川書店 菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬社ルネッサンス 『日本大百科全書』小学館 『大辞泉』小学館 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 関連記事:
by trushbasket
| 2020-02-23 11:30
| NF
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