結婚・恋愛と優先順位〜山岡荘八『伊達政宗』における恩師の言葉〜
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どうも、松原左京です。少し前、山岡荘八『伊達政宗』を題材にした雑記がありました。虎哉禅師、味のある良いキャラクターですよね。そこで、今回は私も禅師の言葉を取り上げたいと思います。
問題の舞台は、元服間もない政宗が正室を迎えようとしている時期の事。師匠にあたる禅師が、愉快な事を言い出します。禅師は、仏僧なのもあって妻帯はしていないようですが、その辺りに関しての言い分をご覧下さい。
「減らず口を申すな。実はの、わしも女子が、欲しくて欲しくてたまらぬ時期があった。若いおりにの」
「それほど欲しいものを、何故おあきらめなされましたので?」
「その事よ。実は欲しいものが他にもあり過ぎた。学問もしてみたかったし、お釈迦さまと相撲もとりたかった。書道もやってみないし、絵も描きたい。般若湯も嫌いではないし、よい弟子も欲しかった。しかし、これは一度に皆寄こせというのは貪欲すぎる。そこで一つ宛順に貰ってゆこうとしたのでな、女子の方は後廻しになっているのだ」
(山岡荘八『伊達政宗(1)』講談社)
そして、禅師によれば、現時点でも諦めた訳では断じてなく、
わしの師匠が怖くなくなった時に、日本一の賢こい美女を娶るつもりだ
(同書)
との事。しかしながらこれ、どこまで本気なのやら。何しろ、その師匠は誰かと問うたれば、「知れたこと、お釈迦さまよ」(同書)だそうですし。案の定、これ、政宗に結婚前の訓戒を与えるための前振りだった様子。
それはさておき、現代の「恋愛離れ」な人々、独身の人々にも、禅師の言葉のような感じだった面々は多い筈。別に殊更に避けている訳ではないが、優先順位が低いだけ。で、恋愛や結婚なしで生涯を終えても、それはそれで仕方ない。そんな感じの人々が。
彼等は、それで別に不幸な訳ではないと思います。経験できればそれに越した事はない、という程度で。そんな、プチ虎哉禅師というべき人々は、昔も今も一定数いたのではないかと。恋愛や結婚はして当然のもの、しない・できないのは不幸なことだ。そういった先入観を捨てる事が、非婚化社会でどう対策を打っていくかを考える上でも大前提になるのではないか。そう思います。
余談ながら。山岡荘八歴史文庫、今は電子書籍で買えるんですね。その辺りは、ホントに便利な世の中ではあります。
参考文献:
山岡荘八『伊達政宗(1)』講談社
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関連サイト:
「パレオな男」(https://yuchrszk.blogspot.com/)より
「10代でまったく恋愛経験がない人は何か問題を抱えているのか?を調べた観察研究の話」(https://yuchrszk.blogspot.com/2020/02/10.html)
ソーシャルスキルやリーダーシップに最も優れていたのは、恋愛・交際をしないグループだった、という結果が出た研究もあるそうです。その詳細や、どの程度普遍性があるかは存じませんが。
興味のある方は、ぜひ。
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