後醍醐天皇の遺言冒頭にあった、「如来の金言」とは〜古代、中世日本人に深い影響力が〜
|
南北朝動乱を彩った帝王、後醍醐天皇。その生涯にわたる奮闘も虚しく、最後は吉野の行宮で崩御した事は広く知られています。そして、その遺言で覇権奪回を命じ、更に死後も京を睨むとの言葉に従って陵墓は北向きに作られた。この事も有名かと思います。
さて、その壮絶な遺言の冒頭はこのようになっています。
「妻子珍宝及王位、臨命終時不随者」、これは如来の金言にして、平生朕が心に感ぜし事なれば、秦の穆公が三老を埋み、始皇帝の宝玉を随へし事、一つも朕が心に取らず。
(兵藤裕己校注『太平記 三』岩波文庫 419頁)
〈超意訳〉
妻子も貴重な宝も王位も、この世を去る時には持っていけない。これは如来が残した金言であり、朕も日頃から肝に銘じていた事柄である。だから今、命が尽きようとするにあたって、秦の穆公が三人の老臣らを殉死させたとか、始皇帝が多くの財宝を副葬品としたとかいった話は、全く朕の心には響かない。
こうして財宝とか殉死とかへの執着がない事を前置きとして述べた上で、ただ一つの妄念として、上述した覇権奪回に燃える遺言を残したのです。
さて。この冒頭の十四文字、実は
妻子珍宝及王位
臨命終時不随身
唯戒及施不放逸
今世後世為伴侶
という句が元になっています。上でも少し触れたように、「妻子も宝物も王位も、世を去る時には持っていけない。ただ、戒を守ったか、布施をしたか、放埒に過ごさなかったか、といった生前の行いだけが、今生でも来世でも我が身に付き従うのだ」といった意味の言葉であります。
松村恒先生によると、元来の出典は曇無讖訳『大方等大集経』巻十六虚空蔵菩薩品なんだそうです。古くから我が国で知られていた一説らしく、『宝物集』や『往生要集』にも引用されています。面白いところでは、藤原兼家が孫の懐仁親王(一条天皇)即位を急ぎ、花山天皇を退位させた策謀にもこの偈が利用されました。寵愛する妃に先立たれ無常感に駆られた天皇に、この偈を見せる事で出家をさり気なく促したというのです。
更に、後世の傑僧も著作にこれが元ネタと思われる一説を記しています。こちらの記事で引用されている道元の『正法眼蔵』や蓮如の「御文」がその一例と言えるでしょう。
妻子珍宝及王位
臨命終時不随身
この十四文字、古代から中世にかけて日本では思想的に少なからぬ重みと実感をもって受け止められ、影響力を有していた。その事が実感させられる話の数々かと思います。このご時世にもまた、新たな重みをもって我々に迫ってくる言葉だとも感じる次第です。
【参考文献】
兵藤裕己校注『太平記 三』岩波文庫
『印度學佛教學研究第五十巻第二号』日本印度学仏教学会より松村恒「「妻子珍宝及王位」の偈をめぐって」
『世界大百科事典』平凡社
関連記事:
「『太平記』にある、直義と玄慧のやりとり~南北朝期の和歌と漢詩の一例~」
「「独り生まれて独り死す」という観念 in 『太平記』~中世日本の時代精神なんでしょうか?~」








